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電気事業連合会が入る経団連会館=東京・大手町

 「夕方に発表があります。あんた異動ですわ」。2004年夏の昼下がり、経済産業省の幹部官僚に電話してきた電気事業連合会(電事連)の男は信じ難いことを口にした。その時点で事務次官か官房長しか知らないはずの「人事異動表」を持っているという。「送ってあげまひょか」。官僚は、卓上のファクスに送信されてくる紙を屈辱的な思いで見つめた。

電力辞令

 明らかな左遷。電力10社でつくる業界団体、電事連の意向による"電力辞令"だった。官僚は直前に、核燃料サイクル事業の問題点を指摘する文書の作成に関わった。「国民に知らせるべきだ」と確信しての行動だったが、業界には不都合な文書に電事連は猛反発、警告を発した。「政治家は業界の味方。パーティー券を大量に処理してやっているから。派手に動くと痛い目に遭うぞ」

 官僚は一蹴したが、自らの異動に直面し「まさかここまでの力とは。紙を渡したのは電事連の意向を受けた大臣だろう」と思った。別の官僚は「電力ににらまれると出世できない。監視しているなんて幻想で、電力が経産省を操っている」とぶちまける。

 アメも駆使する。電事連の10社が経産省や前身の通商産業省から受け入れた天下りは過去50年で54人。電力社員を役所に出向させる"天上がり"で労働力を提供する。東京電力は00年以降、内閣官房や文部科学省などへ23人を送り込んだ。前資源エネルギー庁長官の石田徹は11年1月に批判を浴びながら東電顧問に就任、原発事故後の4月に退職した。

拒否権

 停止中の原発の再稼働問題をめぐり、監督官庁と業界の力関係、事故後に生じた亀裂を端的に示したのが、中部電力による経産省原子力安全・保安院の「やらせ依頼」の7月の暴露だった。

 関係者によると、社長の水野明久を含めた幹部は公表の是非をめぐり議論を重ねた。国と一体で進めた原子力政策に風当たりが強まる中、「もたれ合い」との批判が中部電に集中することを恐れ、保安院を"刺す"ことを選んだ。記者会見で中部電側は「保安院の依頼にもかかわらず、やらせを防止できた。コンプライアンス上、高く評価できる」と自賛した。

 大規模事業の計画段階から、自然への影響調査などを事業者に義務付ける「戦略的環境影響評価(アセスメント)」をめぐる国の議論ではもっとあからさまだった。07年の指針策定時、電事連の反対で、あっさりと発電所は対象から除外された。ある官僚は「拒否権を持つみたいだ」と嘆く。

別格

 電事連の中で東電はずぬけた存在だ。西日本の電力会社社員は「中部、関西も発言力はあるが東電は別格。東電の意思が電力の意思だ」と語る。

 電事連に詰める各社東京支社の社員の仕事は、経産省よりも東電との縁を結ぶことが主。通したい意見がある場合は「会議で東電の人に『そうだね』と同意してもらえるよう、根回しすることが重要」という。

 東電は、1990年代初頭、電力の自由化が叫ばれたころから大きく変質したとされる。「工場など大口への新規参入が予想される一方、家庭など小口の顧客への電力安定供給だけは義務として残る。国の言いなりになっていては生き残れないと危機感を持ったのではないか」とみるのは、原子力委員も務めた日本気候政策センター理事長の森島昭夫(もりしま・あきお)だ。

 93年から6年間、東電社長に就いた荒木浩の口癖は「普通の会社を目指す」。地域独占で培われた官僚的な体質から脱却し、経営努力に汗する会社に生まれ変わらせる考えだった。だが森島の目には「自社の利益だけを考える品のない会社」への転換に映った。

東電は、01年、03年に米国で起きた電力危機や大規模停電をきっかけに台頭した電力不安をてこに勢いづき、自由化推進の経産省もねじ伏せていく。(敬称略)(浅見英一、関淳人)

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日本を創る 連載企画原発編 原発と国家

①原発と国家

第1部「安全幻影」
第2部「『立地』の迷路」
第3部「電力改革の攻防」
第4部「『電力』の覇権」
第5部「原子力の戦後史」
第6部「原子力マネー」
番外編・原子力の戦後史を聞く
第7部「原子力人脈」
第8部「漂流する原子力」
番外編・アトムの涙 手塚治虫が込めた思い

②復興への道

第1部「漂う人びと」
番外編・専門家に聞く
第2部「再建のハードル」
第3部「地方のスクラム」
第4部「海外の被災地」

③インタビュー

震災と文明
震災後論
海外の原発政策
震災後論②
震災後論③
震災後論④