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▽大震災から2年、詩人に及ばずとも  

 わたしの死者 ひとりびとりの肺に
 ことなる それだけの歌をあてがえ

 東日本大震災後に作家・辺見庸さんが書いた詩「死者にことばをあてがえ」の冒頭の一節だ。

 辺見さんは宮城県石巻市の出身。詩集「眼の海」の中でも特に印象深い一編で、時代の意味を携え、必ずや読み継がれていく詩になると思っている。

 死者の唇 ひとつひとつに
 他とことなる
 それだけしかないことばを吸わせよ

 と詩は続く。

 全編ただ書き写してこの欄を終えたい思いにもかられながら「新聞言語」について考えた。この詩は新聞報道についても深い問いかけをしているように思うからだ。辺見さんの「新聞言語」批判でもあり、ジャーナリズム論でもあると思っている。ぜひ、「眼の海」を手にとってこの詩を読んでほしい。

 「忘れない」「帰りたい」「生きる」

 大震災から2年の新聞報道では、記者も心を震わせながら書いたことが伝わる好記事も決して少なくなかった。

 ただ、似たような言葉が並んだ印象もある。自分自身も含めて「ひとりびとり」の被災者の悲しみの差異、嘆きの奥底にある個人史、この悲劇の深層に隠された意味などをどこまで伝えられたか。自信はない。

 記者が限られた紙面や行数を言い訳とするのは潔くない。

 ジャーナリストは「千行にみなぎる血の匂いを十行に煮つめねばならない」。

 ベトナム戦争報道にも加わった作家・開高健の言葉だ。

 当時、まだ読売新聞記者だった作家の日野啓三の著書「ベトナム報道」の序文に開高健はこの名句を捧げた。

 表現の選別と凝縮は新聞の宿命。だが、それは事象の類型化や「四捨五入」であってはならず、細部こそ、むしろ丹念に拾わねばならない。

 10日に訪れた福島県内では「被災者は心も『仮設』なんですよ」と支援者から聞いた。仮設住宅での生活が続く中で、将来を見据えられず、人々の心は揺らいだまま。仮設住宅の住民リーダーにも「心のケア」が必要な場合がしばしばあるという。

 南相馬市のカトリック教会で開かれた追悼ミサでは、妻と子を津波で失った男性が、促されて椅子から立ち、集まった人々に静かに頭を下げた。

 原発事故後に夫が自殺したフィリピン人の妻に近況を聞くと「うん、がんばる。がんばるよ」と繰り返し言っていた。

 作家や詩人には及ばぬ凡庸な言葉であってもいい。さりげない言葉を聞き逃さず、何気ない光景の意味を明かし、新聞に刻みたい。

 

(2013年3月15日 共同通信編集委員 石山永一郎)

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