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核心評論「安倍政治を問う」

恐怖政治は自殺行為だ

 「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」。憲法15条2項の規定だ。
 森友学園や加計学園を巡る特定の官僚らの言動や振る舞いは、組織や上司である閣僚らを守ろうと必死に見える。明らかに究極の「一部」をおもんぱかっている。

 かつて、中央省庁で事務方が練った人事案は、よほどのことがない限り大臣が追認し、そのまま発令された。しかし安倍政権下で3年前、審議官級以上の計約600人を首相官邸が一元管理する内閣人事局が新設されてから、様変わりした。

 本来求められる政策の能力や実績だけでなく、忠誠心も評価の対象となり、官邸の意にそぐわずにらまれればポストが遠のくようになったとされる。このほど出そろった今年の人事でも、政府首脳と関係が深かったり、野党の追及をしのいだりした省庁幹部の昇進が物議を醸している。

 そうした恣意(しい)的な動きの元凶として内閣人事局をやり玉に挙げる向きもある。しかしそれは必ずしも正しくない。以前から大物政治家の意向が色濃い官僚の抜てきはある。今その傾向が特に顕著なのは、新たな人事システムよりも、それに乗じた特異な政治力と掌握術によるところが大きい。

 その意味において、内閣人事局の創設時にもスローガンとして声高に掲げられた政治主導の実体は、設置反対派が懸念した通りの「恐怖政治」であることが自明となった。いきおい官僚は強権的な人事に萎縮し、さまざまな局面で為政者の顔色をうかがうようになり、忖度(そんたく)が連鎖している。

 議院内閣制の下では、選挙で多数を占めた勢力の方針に最後は官僚も従わねばならないことは否定しない。しかしその過程では、求められる知見に照らしておかしな点があれば、それをただすのが、あるべき姿だ。

 服従するばかりで「黒」を「白」と言い繕えばもはや忖度ですらなく、テクノクラートとしての矜持(きょうじ)と良心の放棄にほかならない。

 政治の側も「無理が通れば道理引っ込む」の不条理に官僚を引き込むのは、その能力を使いこなすのを放棄する自殺行為であることを肝に銘じるべきだ。

 森友・加計問題で、渦中の文書や記録について一部官僚が「見つからない」「もう探さない」と木で鼻をくくったような国会答弁を繰り返した。

 本人の刹那的な処遇には有効だったかもしれないが、目の当たりにした国民の不信感は、ボディーブローのように効いているはずだ。そうした官僚の姿を通して現政権の傲慢(ごうまん)さが透けて見え、内閣支持率の急落にも作用しているのではないか。

 折しも、防衛相と防衛省幹部が絡む国連平和維持活動(PKO)部隊の日報隠蔽(いんぺい)問題が再燃している。改めて「政」と「官」の健全な間合いの在り方を問い直してもらいたい。

  (2017年7月19日配信)