新天地の豪でコメディアン

漁船でベトナム脱出30年  苦労笑い飛ばす

 「また、ボートピープルです」。夕方のテレビニュースが1週間で3隻目の難民船入港を伝えていた。
 「昨夕、オーストラリア北西沖でスリランカからの難民約30人を乗せた船を海軍が拿捕(だほ)しました。今年に入り約90隻目。野党は対策が手ぬるいと批判、総選挙を前にギラード政権は対応に苦慮しています」

魔法の袋

 ちょうどその時間、シドニー湾に臨む大会議場の舞台で、アジア系の一人の男がステージ狭しと動き回っていた。絶叫し、ささやき、小走りで口を動かしながら。白人中心の観客は笑いころげ、涙をぬぐっている。
 男はアン・ドー(33)。刈り上げた髪にくりっとした瞳、小柄だが厚い胸板。「千ワットの笑顔」が売り物のオーストラリアで人気のコメディアン・映画俳優。元はベトナムからの難民だ。
 ベトナム戦争終結から5年後の1980年、家族ら約40人が身動きもできない老朽漁船でサイゴン(現ホーチミン)を脱出。食料も尽き漂流中にインド洋で救助され、マレーシアの難民キャンプを経てオーストラリアへ。
 20代だった父母、アンと弟の一家4人。シドニー郊外での定住が認められ、カトリックの尼僧から大きな袋を渡された。半ズボンやジーンズなどきれいな服がどっさりと出てきた光景を一家は忘れられない。「魔法の袋だ」。母はジーンズをカウボーイ映画のポスターでしか見たことがなかった。「なんて素晴らしい国なの。セカンドチャンスをくれたこの国に恩返しをしないとね」。
 商才があった父は家で裁縫工場を始めて成功、妹も生まれた。だが、農場経営に手を出し失敗、飲酒や暴力で家族を苦しませた揚げ句、失踪。生活は暗転する。成績優秀だったアンと弟は名門私立校に通っていた。英語もろくに話せない母は針子など三つの仕事を掛け持ちし、アンも熱帯魚を売って生活を支えた。
 だが、家賃や学費は常に滞納し、制服はつぎはぎ。教科書も買えず、授業時間の違う親友に借りた。難民の生徒に冷たい教師には意地でも助けを求

めなかった。アンは自叙伝「最高に幸せな難民」の中で「難民だからと、ばかにされたくなかった」と打ち明ける。

実力主義

 小学生のころは英語の発音を笑われた。コメディアンの仕事で出向いたクラブの入り口で入店を拒否されたこともある。アンのような難民や移民を多く受け入れてきたオーストラリアだが、現実はきれいごとだけではない。差別もあるし、雇用を奪うとの批判も強い。
 大学時代に見に行ったスタンドアップ・コメディアン(独演芸人)のショーが転機となる。「おまえの方がずっとおもしろい」。友達に促され、その場でステージに上がると大受けし、間もなく小さな賞も取った。法学部を卒業し、著名コンサルティング企業への就職が決まった。が、コメディアンを選んだ。
 素顔のアンはもの静かだ。まじめな顔で言う。「その会社で週70時間働くのと、週4時間お笑いの舞台に立つのと同じ収入だと気付いたんだ」「コメディアンとしてそこまでいくのは大変だって知らなかったんだけどね」。だが実際は8カ月後、最高のコメディー賞に輝き、瞬く間に人気者に。難民出身の自分には組織の中よりも、実力主義の仕事場が向いているとの直感が当たった。
 バラエティーやクイズ番組の司会だけでない。「笑いと涙の根性話」が目当ての講演依頼が続々と舞い込む。「成功の秘訣(ひけつ)? 白人コメディアンの育ち方はみな似たり寄ったり。ぼくの場合は脱出、難民船…、全く違う物語がある」。
 一方で、オーストラリア庶民なら思わずうなずく車や家に関するジョークを、黒髪、黒目のアンがオーストラリアなまりで連発するのも観客の心をくすぐる。
 大学時代思い続けた白人の妻との間に3人の男の子もできた。道化で同化を果たした「幸せな難民」は言う。「個人の裁量で自由に生きられる。本当にいい国だ」。ただ注文もある。「好きで難民になったのではない。一人一人に顔があり、物語がある。もう少し温かい目を難民に注いでほしい」。

難民への寛容さ失う?

総選挙の争点にも

 アン・ドーのようなインドシナ難民を大量に受け入れた1970~80年代から約30年。オーストラリアでは昨年から今年にかけ、同国を目指す「ボートピープル」の急増がメディアをにぎわせ、今年8月行われた総選挙の争点にもなった。
 昔と異なるのはボートピープルへ向けられる人々の視線だ。「難民キャンプで正規の認定の順番を待つ人々の列を飛び越えようとする不法入国者」とのマイナスイメージばかりが強調されるようになり、専門家は「寛容さが失われつつあるのでは」と指摘する。
 最近は治安悪化の著しいアフガニスタン、イラクなどからの難民船の数が増加。2001年の米中枢同時テロ以降生じたイスラム諸国への警戒感も、この視線の背景にあるとみられている。
 オーストラリアのラッド前首相は6月「難民政策を緩和したことが船の急増を招いた」と批判され支持率が低下、退陣に追い込まれる一因となった。後任のギラード首相は難民認定審査の施設を国外に設置し、同国への入国を認めないなど、規制強化を模索している。
 だが、オーストラリアは難民を拒否しているわけではない。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が推進する、避難先の国以外で難民を受け入れる「第三国定住制度」の下では08年、米国、カナダに次いで多い約8700人を受け入れている。(文 五井憲子、写真 金森マユ、文中敬称略 )=2010年12月08日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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シドニー郊外の自宅で妻や子どもらとくつろぐアン・ドー。ベトナムの置物に囲まれ、ルーツを忘れない

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