獅子の心が救う

ボストン郊外に杉原記念碑 ナチ逃れ敦賀経由で米に

 「獅子のような心を持つ力ある者」―米マサチューセッツ州ボストン郊外にあるシナゴーグ(ユダヤ教会堂)に築かれた記念碑には、日本の通過ビザ(査証)を発給してユダヤ人難民6千人の命を救った元リトアニア領事代理、杉原千畝(すぎはら・ちうね)(故人)の肖像とその偉業をたたえる言葉が日本語、英語、ヘブライ語の3カ国語で刻まれている。
 記念碑の立つ「エメス教会堂」はボストンの中心から南西に約10キロの閑静な町ブルックラインにある。町の人口に占めるユダヤ人の比率は3~4割と高く、シナゴーグの数も多い。
 同教会堂の重鎮で記念碑建立の立役者の一人であるサミュイル・マンスキー(90)は、第2次世界大戦中に杉原の「命のビザ」を発給され、リトアニアからナチス・ドイツの迫害を逃れ、シベリア鉄道や船で日本を訪れた後、米国に渡った。
 リトアニア・カウナスにある日本領事館を訪れビザを取得したのは親族だったため、マンスキー自身は杉原と顔を合わせていない。
 しかし1990年代になって地元紙ボストン・グローブの東京特派員から電話があり「命のビザ」の取材を受け、記事になったのを機に「突如、頭の中でベルが鳴り始めた」という。杉原の功績を伝える「語り部」としての活動を本格化したのはそれからだった。
 記念碑建立のための資金集めに奔走したが、地元にはかつての「敵国日本」に対する反発も多かった。しかし難関を乗り越え、2000年4月の除幕式にこぎ着けた。

バナナ

 マンスキーは現在、エメス教会堂から車で西に約1時間の同州フレーミングハムにある施設で、64年間連れ添った妻エステル(87)と暮らす。「体は90歳だが、頭は40歳」と冗談も交えながら、波乱に満ちた半生を淡々と振り返った。
 ポーランド東部リダ(現在ベラルーシ)で生まれ育った。39年9月、ドイツ軍によるポーランド侵攻で第2次大戦が勃発。直後、リダはソ連の支配下に入ったが、マンスキーを含む多くのユダヤ人が、忍び寄るナチスの迫害から逃れるためリトアニア経由で第三国への脱出を図った。
 そうした時期、日本の通過ビザを大量に発給したのが杉原だった。母親らとともにビザを取得したマンスキーは41年2月にシベリア鉄道でウラジオストクに移り、日本海の荒海を船で福井県敦賀市に渡った。ドイツ軍がリダを占領したのは4カ月後のことだった。
 「日本は全くの別世界で、食べ物も見たことのないものばかり。バナナを食べ過ぎて、発疹に見舞われたことを覚えている。敦賀はきれいで人々も友好的だった」

 敦賀上陸後すぐに神戸に移動し、米国のビザが出るまでの間、「何もせずに歩き回るだけ」の生活が続いた。後ろを振り向くと監視役とみられる人物の姿に気付くこともあったという。

運命

 太平洋を日本船で渡り、米西岸のシアトルに着いたのは41年5月18日だった。マンスキーは一足先に米国に渡りボストンで働いていた父親と合流。ストッキング販売で生計を立てながらボストン大で学んだ。
 「今ここに杉原がいるなら、英語とヘブライ語と日本語でサンキューと言いたい」。自室入り口付近の壁には、杉原の夫人、幸子(ゆきこ)さん(故人)から贈られた色紙が飾られている。
 マンスキーはあえて杉原がユダヤ人難民にビザを発給した理由を追究しようとはしない。「すべては運命づけられていたこと。大切なのはわたしが今ここにいるということだ」と強調する。
 ユダヤ人の子どもたちを救ったドイツ人実業家のオスカー・シンドラーに例え、杉原を「日本のシンドラー」と呼ぶことには断固反対する。「シンドラーは経済的実益が根底にあった。杉原とは比較できない」
 教育現場や各種の集会に通い「命のビザ」の伝承と啓蒙(けいもう)に努めた。こうした活動に対し、ボストン駐在の辻優日本総領事(59)は今年7月、敬意と感謝の気持ちを込めて表彰状を贈った。
 現在は東京勤務の辻は、「心から日本人を敬愛しており、(杉原の話を)次世代に引き継ぐのは自分の役割と考えている。非常に静かな方で、個々の人に対する感謝の気持ちがよく伝わってくる(人柄だ)」と話した。

 サミュイル・マンスキー氏は2011年6月19日、マサチューセッツ州ハイアニスの病院で死去した。

父から子、子から孫へ

次世代への継承が焦点

 「命のビザ」の受給者サミュイル・マンスキー(90)の長男で経済学者のチャールズ(62)=ノースウエスタン大学教授=は昨年8月、学会で訪日した際、父親が1941年2月に自由への第一歩を踏み入れた福井県敦賀市を訪問し、父親の足跡をたどった。
 チャールズは「杉原の業績などが展示された『敦賀ムゼウム』を是非訪れたかった」と話す。何年か前に父親から「命のビザ」の記入された旅券の保管を託され、自宅の壁に飾っている。
 父親が自伝「神の加護とともに」(90年)をまとめ出版するのを手伝った。「2人の子どもたちもこの本を読み、父と歴史について話し合っていた」と話す。
 マンスキーと同じユダヤ教会堂に属するリチャード・グレー(65)=ボストン郊外在住=は、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の生存者と、自分より若い世代の懸け橋になることを志す。
 かつてマンスキーに伴って地元の学校を訪れたところ、生徒の一人が「自分の祖父も杉原に命を助けられた」と名乗り出てきたことがある。こうした“出会い”もグレーの活動を支えている。
 杉原が発給したビザで6千人のユダヤ人難民がナチス・ドイツの迫害を逃れてから70年。当時の生存者が次第に少なくなる中で、次世代への継承が大きな焦点ともなっている。(文 宮脇英朗、写真 レベッカ・デービス、文中敬称略)=2010年12月01日

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マンスキーは杉原千畝が発給した「命のビザ」について語り続け、日本総領事から表彰状が贈られた。苦労を忍ばせる表情の中に、かすかなちゃめっ気も=米マサチューセッツ州フラミンガム

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