ハンミ一家など約30人支援

故郷の家手放し、手弁当で  父は「拍手を」と激励

 1996年にビジネスで訪れた中国で北朝鮮を脱出した青年に出会い、自分でも想像もしなかった人生を歩み始めた。韓国で脱北者支援の運動をする人権活動家、文国韓(ムン・グクハン)(58)がこれまでに韓国に亡命させた脱北者は、2002年に瀋陽の日本総領事館に駆け込んだハンミ一家を含めて約30人に達する。
 韓国中部の忠清北道、忠州市で生まれた。父はそこで小学校の先生をしていたが、文が幼いころ清州市に移り、カメラマン、記者、菓子屋、大工といろいろな職に就いた。文も78年に大学を出て、雑誌記者、カメラマン、出版社勤務などをした。「私は父の血を引いているみたいで」
 韓国が92年に中国と国交を樹立、中国ブームが起きた。文は韓国の文房具を中国へ輸出するビジネスを考え、市場調査のため中国を度々訪れた。
 96年に1人の脱北者青年と出会った。最初は「まあ、一度、北の話でも聞いてみるか」という好奇心だった。彼は平壌の大学に通っていたが、外国製ビデオを持っていて検問に引っ掛かった。娯楽ビデオだったが、これが原因で大学を中退。
 工場労働者になったが、労働状況は悲惨で「こんなところで一生働くのか」と絶望し、脱北を決意した。

1人くらいなら

 文は「1人くらいならなんとかなるか」と思い、結局、3年間、青年の面倒を見た。この間に、北朝鮮の実情を知り、何とかこれを世界に知らせなければと思った。
 韓国の人たちは北朝鮮の悲惨さを理解してくれなかった。そこで、文は中朝国境を行き来する北朝鮮の子どもたちに絵を描かせることを考えた。
 99年夏、朝鮮族の知人から「ある子どもが絵を描くと言っている。その家族が15人もいる」という連絡が来た。「1人で3年も苦労したのに、とても15人の面倒はみれないと思った。でも何か胸が熱くなり、とにかく絵を描かせる、すべてはその次だと考えた」
 北朝鮮を脱出した当時17歳の少年、チャン・キルスとその家族の書いた絵は、北朝鮮での過酷な生活の実情を描き衝撃的だった。この絵を韓国メディアが取り上げ大きな反響を呼んだ。
 キルスたち4家族15人の生活の面倒を見ているうちに手弁当の資金が尽きた。故郷の家を担保に銀行から借金し、ついに何も貸してくれなくなった。結局、家を売り、両親には借家暮らしをさせることになった。母は家を文の名義にしていた。文は「泥棒に通帳を預けるようなものですよ」と笑った。
 資金が尽き果てた文が選んだ方法は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の北京事務所に駆け込むことだった。

最初の駆け込み

 4家族15人のうち、ハンミ一家は摘発され北朝鮮に送還されていた。大連に身を潜めていた10人のうち3人はモンゴルへ逃亡する道を選択し、7人が北京へ行くことを決意した。さまざまな幸運が重なり7人は2001年6月26日に同北京事務所への駆け込みに成功し、同30日に韓国に到着した。脱北者が国連機関や海外公館に駆け込む先鞭(せんべん)をつけた事件だった。
 文の父は同年7月、5人の子どもたちを呼び付けた。「わが家でこんな立派なことをする人間が出た。どんなに誇らしいことか。小さな家だったが、こんなすばらしいことに使えた。おまえたちも拍手しろ」と子どもたちに拍手を迫り、文に花束を渡した。本当はきょうだいで分かつべき財産を長兄が使い果たしたが「おまえたちはちゃんと暮らしているのだから、兄さんに文句を言うな」と言ってくれた。
 父は文の近くに住んだが、廃品回収をして小遣いをつくり、文に渡した。韓国が植民地支配から解放された記念日でもある09年8月15日にソウル市内で交通事故に遭い、「北韓(北朝鮮)はどうなっている」と北朝鮮の状況に気を使いながら82歳で亡くなった。
 82年に結婚し1男2女をもうけた。子どもたちは「お父さんはキルスたちのことは何から何まで知っているのに、私たちが今、中学生か高校生かも知らないでしょう」と不満をこぼした。
 「自分の家族には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。でも妻は私のやっていることの意味を分かってくれ、最近はいろいろ手伝ってくれている」と家族に感謝の言葉をささげた。

物語はまだ終わっていない

脱北者も自立が必要

 「ハンミ一家も4家族15人の中の1家族だった。1度、責任を負ったらやらねばと思った。情が移り、彼らの生死が掛かったことだから放棄できなかった」。
 韓国の人権活動家、文国韓(ムン・グクハン)(58)は2001年夏にチャン・キルスら10人の韓国亡命を成功させたが、残されたハンミ一家5人の支援を放棄はしなかった。
 文はハンミが00年1月に黒竜江省の隠れ家で生まれたという知らせを受け「韓国の美しい娘になるように」という願いを込め「韓美(ハンミ)」と命名した。
 02年5月8日、ハンミ一家は瀋陽の日本総領事館前の旅館の3階にある部屋にいた。ハンミはつたない言葉で文に「チャル、プータクハムニダ」(よろしくお願いします)とあいさつした。
 そして、ハンミたちも紆余(うよ)曲折の末に同23日、無事に韓国に到着した。
 しかし、韓国に到着した脱北者がすべて幸せになるわけではない。韓国へ来た脱北者は約2万人になろうとしているが、差別や就職難などの問題を抱えている。ハンミの母は家を出た。
 「ハンミたちを含めて残念だと思うこともたくさんある。私たちは水に落ちた者を救い上げる責任がある。でも、水から上がったら(脱北者も)自分でやっていかなくてはならない」
 だが、文は「キルスやハンミの物語はまだ終わってはいない。北朝鮮が変わらなければならない」と強調する。(文 平井久志、文中敬称略)=2010年11月03日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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2008年11月、ソウル市内にあるハンミ(左)の自宅を訪れ、一緒に記念写真に納まる文国韓(撮影・平井久志)

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