自由求め、世界市民に

政治と性愛がテーマ  ノーベル文学賞の高行健

 「中国に帰りたいとはまったく思わない。わたしは世界市民だ。表現の自由がある場所を探し求めて中国を出た。主な戯曲、小説、絵画はみなフランスで創作した。もし中国にいたら、何もできなかっただろう」。
 2000年のノーベル文学賞を受賞した中国からの亡命作家、高行健(70)=フランス国籍=は2010年秋、国際ペン東京大会のゲストとして初めて来日した。
 上品で静かだが、確信に満ちた語り口。微笑を絶やさず、記者の質問に丁寧に答える。

上演禁止

 「中国の経済発展は奇跡だが、この奇跡は民主化や言論、表現の自由をもたらさなかった。西側の中国ウオッチャーの予想ははずれた」
 高は北京外国語学院フランス語科を卒業。1970年代末からモダニズムの小説や戯曲の作家として頭角を現した。しかし「西側の退廃的な思想に汚染されている」と批判され、高の不条理劇「バス停」(83年)は上演禁止になり、87年欧州へ出国した。
 89年6月、中国軍が民主化運動を武力で弾圧した天安門事件が起きた。パリにいた高は緊迫した北京の様子を刻々と伝えるラジオに耳を傾けながら「もう中国には帰らない」と決意し、中国の虐殺を批判した。
 事件をテーマに同年夏執筆した戯曲「逃亡」では、民主化運動に参加した若い男女と中年男を登場させ、残酷な政治弾圧と、極限下の男女の愛と性を生々しく描いた。
 「北京の家は没収され、公職、共産党籍ははく奪された。しかし、この作品はスウェーデンから始まり、日本、アフリカ、スロベニアなど世界各地で上演された」
 今回の来日時、思わぬハプニングがあった。中国に住む実弟への電話連絡を仲介しようという人物が現れたのだ。
 なつかしいが、国内にいる肉親や友人には連絡しない、という23年間のポリシーが崩れる。弟に迷惑がかからないか。
 迷った末、電話機をとったかどうかは不明だが、高にとって、全くの予想外であり、あまり愉快な出来事ではなかった。
 「中国での暮らしは終わった。郷愁はない。私はパリで別の人生を生きているのだから」

自由の証し

 自伝的な長編小説「ある男の聖書」(99年)では、高が経験した文化大革命(66年~76年)の悲惨さを描いた。毛沢東思想を信奉する学生組織、紅衛兵らが魔女狩りのように“反革命分子”をつるし上げ、無実の人々が大勢死んでいった。
 「抑圧や陵辱を受けることがあっても、窒息さえしなければ必ず復活のチャンスがある。問題は呼吸を維持することだ。息をひそめ、肥だめの中でも死なずにいなければならない」
 小説のラスト、きらりと光る一節。どんな過酷な弾圧を受けても生き抜いてほしいという励ましのメッセージだ。
 最近の中国ナショナリズムにも警戒を示す。「中国の指導者はナショナリズムや集団主義の危険性をきちんと認識していない。ナショナリズムは政府だけでなく民衆からも起きる。日本の軍国主義、ヒトラーのファシズム、毛沢東の文革、みなそうだ」
 「ある男の聖書」でも主人公と数多くの女性との情事が詳しく語られる。既婚女性との初体験、文革中の少女との刹那(せつな)の触れ合い、豊満なドイツ娘との香港の夜、フランス女性との心の擦れ違い…。政治的な抑圧からの「逃亡」と並び、セックスは高の二大テーマだ。
 「いかに愛情が深くても埋められない男女間の溝を描くため、性愛は重要な要素だ。また性愛は人間らしい生活の比喩(ひゆ)であり、出国後は自由の証しだったのだろう」。同書を翻訳した中央大学教授、飯塚容は分析する。
 「文学は個人の声でしかあり得ない。作家は政治や市場の影響を排除して、普遍的な価値としてヒューマニズムを追求すべきだ」。中国語作家として初めてノーベル文学賞を受賞した高の孤高で人間愛に満ちた文学論だ。
 来日時、中国の民主派知識人が集まる中国独立ペンクラブの関係者からの接触要請を断った。体制の内外を問わず、中国の政治的な組織とは関係しないという固い信念からだろう。

出国後も旺盛な創作意欲

反国家で個人を追求

 高行健は一部の中国亡命作家と違って、亡命後も創作意欲が極めて旺盛であり、フランスで主要な作品を生み出した。異国に適応できたのはフランス語が堪能で、絵画や実験演劇が早期に欧州で受け入れられたからだ。
 水墨画のようなモノトーンの抽象的な 絵には人物像や女性の裸体が影のように描かれ、夢幻と寂寥(せきりょう)そしてエロチシズムの世界を現出する。
 2005年にパリの自宅兼アトリエを訪ねた東大教授、藤井省三は「魂を揺さぶられるような素晴らしい絵だった。戯曲も小説もそうだが、彼は反国家、反社会で個人の存在を突き詰めていく」と芸術性を高く評価した。
 高は中国の政治や儒教の束縛から解放され、禅や道教に通じる孤高の創作世界を追求してきた。
 幻の聖なる山を中国内陸部に探す長編小説「霊山」(1990年)は極めて難解だ。高は「人が使い古した中国語は使いたくない。作家はオリジナルな言語をもつべきだ。最低限の文法は守るが、独特のものを求めた」と説明した。
 大病を経験し「今は長編小説を書く体力、気力はない」。パリ中心部のオペラ座近くのマンションに中国系の妻と住み、絵画や、詩的な前衛映画の制作に取り組む。
 日本文化への興味も旺盛であり、来日時は狂言のほか、江戸時代の禅僧仙厓(せんがい)の絵、上村松園の美人画を鑑賞し、能面の小面や武満徹らのCDを買い求めた。(文 森保裕、文中敬称略)=2010年10月20日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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国際ペン東京大会に招かれ、早稲田大の大隈講堂で講演する高行健。来日は初めてだが日本料理が大好きで、パリでも毎日日本料理を食べるという=9月26日、東京都新宿区(撮影・二神亨)

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