独立運動家と神官の子孫

核心は人間同士の関係  心情理解してこそ和解可能

 「大橋さんを直接的に憎いというような気持ちは絶対にありません」
 「僕は(李さんに)申しわけないという気持ちがあります」
 日韓併合100年を機に、韓国の東北アジア歴史財団(鄭在貞(チョン・ジェジョン)理事長)主催で、日韓の大学生10人ずつが8月の猛暑の中1週間にわたり、京都から福山、光、下関、釜山(プサン)、浦項(ポハン)、華城(ファソン)、ソウルなど日韓の歴史の現場二十数カ所をともに訪問し、日韓関係を論じ合った。
 高麗大2年の李恵民(イ・ヘミン)(19)の曾祖父は1905年の日韓保護条約に反対し義兵闘争を繰り広げた独立運動家。家族も当局の取り調べを受け、拷問を受けるなどの苦難を経験した。
 一方、一橋大修士課程2年の大橋義拓(23)の曾祖父は靖国神社の神官、祖父は植民地時代に創建された朝鮮神宮の神官だった。独立運動家の子孫と、朝鮮神宮神官の子孫がともに旅をしながら語り合った。
 李は「曾祖父が亡くなった時、末っ子の祖父は9歳。曾祖母も同じころ亡くなり、祖父はきょうだいに育てられたそうです」。祖父はずっと「家族のルーツについて学ばなければならない」と語り、家庭でも曾祖父のことをよく話し合った。

「ごくせん」

 鉄道公社職員の李の父は「外国人と歴史を学ぶ良い機会だ」とこの旅への参加を勧めた。李は日本のテレビドラマ「ごくせん」のファンだ。「普段は日本から学ぶ点も多いと思うのだけど、歴史を学ぶと『どうしてこんなことができるのか』と急に民族主義的な方向になったりもする」と率直な気持ちをもらした。
 大橋は代々が神職の家柄。曾祖父は江戸時代末期に官軍について上京し、靖国神社の神官になった。祖父は37年に大学を出るとすぐに朝鮮神宮の神官に。
 大橋は「祖父が朝鮮へ行った時はまだ若かったので末端だったとは思うんです。でも、おそらく皇国臣民化の一環で神社参拝の強要を担っていたのでは」と思い、大学では「『皇国臣民化』政策」を研究した。
 「父は(神職の)免許は持ってますが、教員です。父は(歴史への)贖罪(しょくざい)意識があるみたいですが、幼いころに在日コリアンの人に激しくしかられたことがあり、僕のような者は研究しにくいのではと考え、最初は朝鮮史研究を勧めませんでした」
 2人は文禄・慶長の役から、江戸時代、植民地時代、戦後までの日韓の歴史の現場を訪れながら討論した。
 李は「この旅で韓日関係にも戦争と平和の二つの側面があったことを知りました。私があまりに日本強占期(日本の植民地時代)に中心を置いて考え、(歴史を)よく知っていると考えていたことが恥ずかしくなった」と語り、朝鮮通信使に関する福山市の鞆の浦歴史民俗資料館などから多くのことを学んだという。

 19年の3・1独立運動の際に日本軍が住民23人を殺害、放火した京畿道華城市の堤岩里(チェアムリ)教会を訪れた時には「ここに毎年多くの日本人が訪れると聞いて、(そんな日本人もいるんだと)驚いた」と語った。

神社参拝

 大橋は京都を訪れた時に、韓国人学生から「八坂神社へ行きたい」と言われ「神社参拝強要の歴史があったのに一般神社には抵抗がないんだ」と驚いた。一方で「韓国人学生は理工系でも歴史についてちゃんとした考えを持っていて感心した」という。
 李はこの旅を通じて「ある討論番組で日本人教授が『日本と韓国の関係を解決する核心は人間と人間の関係だ』とおっしゃったことを思い起こした」と述べた。今後も日本やその文化を理解し、日本人大学生との交流に積極的に参加したいと抱負を語った。
 大橋は「自分は本や資料を読んで歴史についてほかの人よりよく知っていると思っていた。しかし、この旅で、知識として知っていても(韓国の人々の)心情を理解していないことに気付いた。心情を理解してこそ和解できることを知った」と語った。
 異なった家族史を背負った日韓の若者が出会い、新たな100年の日韓関係に向け、小さいが確実な一歩を踏み出した旅のようだった。(共同通信編集委員、平井久志、文中敬称略)

歴史認識の差伝えなくては

在韓被爆者知らぬ日本

 「韓日大学生共同歴史体験」に参加した仁済(インジェ)大3年の李在賢(イ・ジェヒョン)(23)は、日本のアニメーション「ドラゴンボール」が大好きな身長

188センチ、体重74キロの理工系学生。彼の口から出た最初の言葉は在韓被爆者への支援の訴えだった。
 中学までは歴史に関心はなかった。高校に入学し「韓国原爆被害者2世会」会長でもある教師の李太宰(イ・テジェ)と出会い、在韓被爆者の存在を知った。
 李太宰の父、李康寧(イ・カンニョン)は徴用工として長崎で被爆。李康寧は在外被爆者への手当支給を求めて裁判闘争を行い、2006年6月に海外にいても被爆者手当が受給できるとの最高裁判決を引き出した。李太宰は病床の父を支え、李在賢は恩師の李太宰を支えた。
 李在賢は高校に入学した直後に、日韓高校生の平和交流活動に参加、釜山駅前で被爆写真展や署名運動などを行った。
 母は最初「そんなことはおまえがやらなくても、ほかにやる人がいるだろう」と反対したが、最近は「がんばれ」と言ってくれるようになった。
 「日本の大学生は日本が被爆したことはよく知っているが、その中に多くの韓国人被爆者がいたことはあまり知らない」
 李は「韓国の学生が日本の学生に、お互いの歴史認識の差異を積極的に伝え、彼らが歴史に関心を持つようにしないと新しい韓日関係は生まれない」と韓国の若者が日本の若者に積極的に働き掛けるべきだと強調した。(文・写真 平井久志、文中敬称略)=2010年09月22日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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釜山港沖の関釜フェリーの船上で話し合う李恵民(左)と大橋義拓

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