東洋思想で「存在」を問う

哲学的思考めぐらす金我他  自分を導いた最大の師は父

 ビデオアートの創始者ナム・ジュン・パイク(白南準(ペク・ナムジュン))が米国での成功で有名になったように、金我他(キム・アタ)(54)も、米国での評価で韓国でも知られるようになったアーティストだ。
 2006年にニューヨークの国際写真センター(ICP)で3カ月間開催された金の個人展について、ニューヨーク・タイムズ紙は2面にわたり金を紹介、その作品を「哲学的な思考が新鮮」と称賛し「持続性と同時性の芸術」と評価した。
 1956年3月2日、韓国南部の巨済島に生まれた。本名は金碩重(キム・ソクチュン)。男5人、女1人の6きょうだいの末っ子だった。最も大きな影響を与えたのは小学校教師の父だった。父が勤務している小学校に通い、父が担任だったこともある。毎日、ほぼ一緒に登下校した。道の傍らの石を見つけては「いい形をしているね」と話し合い、秋の道ではコスモスの花を見て語り合った。父は、金を教えるのではなく、思索に導いた。金はいつしか「考えの多い子」に育った。金は「人生の最も大きな師は父だった」と語る。

彷徨

 中高校生のころから写真に関心を持った。大学では機械工学を専攻したが、文学や哲学に関心を抱き中退した。金の彷徨(ほうこう)はそれから始まった。冷凍工場、銀行、家庭教師、屋台など17の職業を転々とした。
 80年代に民主化運動が高揚すると、金もその渦中に。87年に催涙弾を受けて死亡した延世大生、李韓烈(イ・ハンヨル)の葬儀デモで踊り、一躍注目を浴びた舞踊家、李愛珠(イ・エジュ)ソウル大教授の写真を撮った。被爆2世の子を撮った「核の子たち」など社会的なドキュメンタリー写真を撮り続けた。しかし、金は、活動家グループとの考え方の違いに直面した。
 86年から当時住んでいた釜山から1週間に1度は巨済島に帰り、父の写真を撮り始め、再び父と向かい合った。自分で出版社をつくり写真集「アボジ(父)」を出版。
 肺がんを患った父の病状が悪化し病院から自宅へ戻った際、昔の話をしながら、父の期待に反した道を歩んでいるとの誤解を解いた。死の3日前まで父を撮ったが、その写真はフィルム現像だけして印画紙には焼かなかった。父を埋葬し、帰途、父に自分の成功を見せられず、父に何もできなかったことを

悔いた。「『外』にいた私が『内』に戻る懸け橋の役割をしてくれたのが父だった。父に再び会っていなければ、私はずっとさまよっていた」

解体

 釜山の近くの山寺に約1年間こもった。毎日、自分に課題を与え、自分自身の感覚を試した。そのうち、自分が体や精神から自由になっていくのを感じた。
 その中から「解体」シリーズが生まれた。大地に裸体をまき散らすように置いた荒々しい写真シリーズだ。「この作業の中で、万物には意味があり、小さなものがすべて自分と同じように偉大だと思った」。「金我他」と改名した。
 「解体」シリーズは「博物館」シリーズに自然に発展した。石、髪の毛、裸体の男女などありとあらゆるものをガラスケースに入れた。「ガラスケースに入れることで、現在の対象を過去のものにし、時間の差を描いた。博物館は死んだものを永遠に生かすが、私の博物館は生きているものを生かす」
 2000年3月に米ヒューストンで写真フェスティバルが開催され、韓国から10人の写真家が招かれ金も招待された。批評家たちのレビューを受け、ニューヨークへ来るように勧められた。
 03年に作品集が発刊され、ようやく注目を受けるようになった。「博物館」シリーズは「ON AIR」シリーズに発展した。氷の毛沢東像やパルテノン神殿をつくり、その解け行くプロセスを示した。ニューヨークの繁華街を、長時間シャッターを開けたまま撮影した。動く車や人はすべてなくなり、写真に残るのは動かないビルだけだ。「意味を加えようとしたこと自体が執着だった。すべてはなくなる。私の考えがそこへ行き着いた時の作品が『ON AIR』シリーズだ」
 金は「作家には社会的な事象をそのまま描くスタイルと、作家が世界を解釈して示すスタイルがあるが、私は後者だ」とし、自分の立つ場を「インドを含めた包括的な東洋的考え方」と説明する。金の、すべてのものの「存在」を問う終わりのない探求はまだ続く。

人間の成長一辺倒を反省

キャンバスに自然刻む

 金我他が、現在、取り組んでいるのは「自然の絵画」と名付けたプロジェクトだ。
 世界各地の大都市、チベットや韓国の非武装地帯など世界の約70カ所に2~3メートル大の白いキャンバスを2年以上置き、雨や風、雪、大気汚染などの自然の営みによって刻み込まれる「絵画」を制作しようという試みだ。
 その変化を記録しながら、後に、そのキャンバスを集めて展示を計画している。
 金は「人間が成長一辺倒でやってきたことを反省しようというプロジェクト。『自然の絵画』の中では、においさえもそこに刻まれる」と話す。
 既にニューヨーク、パリ、東京、ソウル、北京、シベリアの森林地帯など16カ所にキャンバスを設置した。
 金は2010年7月に被爆地、広島を訪問し、原爆ドーム近くのホテル「相生(あいおい)」の屋上にキャンバスを設置した。金は「今回のプロジェクトで、人類にとって大きな歴史の場である被爆地、広島は絶対に外せない場所」と強調した。「実際には、そこに放射能は残留していなくても、原爆ドームの横に置かれたキャンバスは、それを見る人の精神の中で放射能の影響を受けるだろう」
 金は「私は芸術が人類の傷あとを治癒することができると信じる」と、このプロジェクトの意味を訴えた。(文 平井久志、写真 萩原達也、文中敬称略)=2010年08月25日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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金我他の2005年の作品「ON AIR Project110―1」。ニューヨークの中心街でカメラのシャッターを開けて長時間露光。動いている車などは姿を消し、動かない建物だけが写真に残った(金我他提供)

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