核廃絶訴え続け約30年

子どもたちの平和願い  年中無休で問題提起

 「見て。ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)だよ」。米首都ワシントンのホワイトハウス前。黄色の立て看板に張られた10枚のモノクロ写真に気付いた中学生たちが、無邪気な声を上げた。その脇から、真っ黒に日焼けした小柄な老婦人が諭すように声を掛ける。「違うの。これは米国が日本に原爆を落とした時の様子。今も被害に苦しんでいる人たちがいるのよ」
 写真が伝えるのは、被爆後の広島と長崎の惨状だ。「なぜこんなことになったの」「どうでもいいや」。反応はさまざま。だが「コニー」の愛称を持つコンセプシオン・ピチョットが、1981年8月から30年近くこの場所で核兵器廃絶を訴え続けていると知ると、少年少女の顔には一様に驚きの表情が浮かんだ。
 コニーは年齢を明かさないが、支援者によると74歳。大統領が住む白亜の豪邸から道を1本隔てた公園の端に、テント代わりのシートと二つの立て看板を置き、支援者宅で食事や入浴、洗濯などをする以外、1日のうち約16時間を同じ場所で過ごしている。
 うだるような暑さの真夏も、大雪に見舞われる厳冬も年中無休。理由は単純だ。「ここにいれば世界中の人に反核を訴えられる」。実際に無数の観光客が原爆被害の写真を目にし、コニーと会話していく。内務省によると、昨年1年間にホワイトハウス前を訪れたのは147万人を超える。

娘のために

 スペイン出身のコニーは60年に米国に移住し、ニューヨークのスペイン大使館商務部などで働いた。66年に結婚。73年には女児を養子に迎え、母親になる夢をかなえた。だがわずか1年8カ月後に結婚生活は破綻(はたん)。親権争いの末に娘を失った。
 失意の日々を送っていた81年、平和運動家ウィリアム・トーマスと出会う。レーガン政権下で、核軍拡の動きが激しくなった時代。全面核戦争による地球破滅の不安は今よりずっと痛切だった。
 トーマスから核の脅威を聞くうち、離ればなれの娘を待ち受ける将来を案じた。「母親として何もできないなら、娘を含めたすべての子どもが平和に暮らせる世界を目指そう」。そんな思いで、座り込みを始めていたトーマスに合流した。
 二人三脚の運動は、いつしか「全米最長の座り込み」と注目され、コニーはホワイトハウス前の“反核おばさん”として平和運動のシンボル的存在に。同志のトーマスは2009年1月他界したが、コニーは残り続けている。
 長年の座り込みで、腰は曲がり、歯はぼろぼろ。酒に酔った通行人などからの嫌がらせは日常茶飯事で、頭にはヘルメットを改造したかつらをかぶる。歴史観や政治観をめぐって観光客と激しい議論になることも多く、強いスペイン語なまりも手伝って絶えず好奇の目にさらされる。
 味方もいる。「『変わり者』と一顧だにしない人も多いが、コニーほど不屈の人はいない」と話すワシントン・ポスト紙の元コラムニスト、コールマン・マッカーシー(72)もその一人だ。

政治不信

 そんなコニーが最も忘れられない出来事は、東西冷戦の終結という。
 「世の中が変わると思い、うれしかった」。ソ連大統領ゴルバチョフによる90年のホワイトハウス訪問では、汗ばむほどの五月晴れの下、目の前を過ぎる大統領専用車に向けて「歓迎」と書いた看板を何度も振った。
 しかし新時代に感じた希望はつかの間。「結局何も変わらなかった。核兵器は保持され続けた」
 不信は現米大統領のオバマにも向かう。広島の平和記念式典に今年初めて駐日大使を派遣したのは評価するが、「核兵器のない世界」に向けて「実際には多くは達成できないと思う」と懐疑的だ。
 だから子どもたちには政治家の言葉をうのみにせず、自分の頭で考えてと声を掛ける。「歴史を学んで。問題意識を持って」と。母親になりたくて、夢破れた女性の顔を少しだけのぞかせながら。
 「わたしじゃなく、あなたたちの行く末にかかわることよ」。遠慮がちに近づく少女に、コニーは長崎で被爆し放心した表情で赤ん坊に授乳する女性の写真を指さした。
 「核兵器はいけない。戦争はいけない」。繰り返すコニー。周囲の人だかりが大きくなった。

表現の自由めぐり攻防も

逮捕にも決意揺らがず

 最高の警備態勢が敷かれるホワイトハウスのそばで続くコニーの運動は、合衆国憲法が修正第1条で認める表現の自由をめぐる当局との攻防の歴史でもある。
 当初、コニーとトーマスはホワイトハウスの敷地に

接するフェンス脇の歩道に陣取り、きのこ雲を描いた巨大な看板を置いて反核を訴えていた。ところが内務省は1982~92年にかけて規則を相次いで打ち出す。
 横になって眠れば「キャンプ」とみなされ逮捕対象に。ホワイトハウスの敷地に接する歩道でのデモは制限され、2人は83年に道を挟んだ現在の場所に移動した。立て看板の許容サイズは細かく決められ、所有物から約1メートル以上離れてはならないとの規則もできた。
 夜間は荷物にもたれてまどろみ、日中は看板から離れない。支援者宅で休憩する際は、仲間に留守番を頼む毎日だ。
 規則違反などでトーマスは40回以上、コニーも5回逮捕された。「平和と正義のために必要な犠牲」と言い切るコニーに、広島原爆資料館を運営する財団法人の理事長スティーブン・リーパー(62)は「反核への超人的な貢献」をたたえる感謝状を贈っている。
 84年から約18年間運動に参加し、自身も7回の逮捕歴を持つトーマスの妻エレン(63)は「市民の権利を守る戦いでもある」と指摘。座り込みを見た少年が後に反核団体のスタッフになった例を挙げ、「わたしたちがまいた何百万もの種は実を結んでいる」とほほ笑んだ。(文 武井徹、文中敬称略)=2010年08月18日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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座り込みを始めた29年前、ホワイトハウス(奥)の住人はレーガン大統領だった。時代はめぐり、現在のオバマは5人目。だがコニーは“隣人”と直接会ったことは一度もない=ワシントン(撮影・アダム・リンキー)

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