お年寄りたちの“天使”

土着信仰のタブー打破  訪問看護と介護に尽くす

 「家族と離れて独り暮らしだけど、彼女だけは会いに来てくれる」。診療室代わりの涼み台の上で、血圧を測ってもらったシャプン・ゴタン(90)は深いしわを刻んだ笑顔で感謝の気持ちを語った。老人介護のボランティアを続けるシ・ヤブスカヌン(38)は、島のお年寄りたちにとって天使のような存在だった。
 台湾南東部の離島、蘭嶼(らんしょ)は先住民タオ族約3千人が住む自然豊かな熱帯の島。保健所の看護師シ・ヤブスカヌンは長い髪をなびかせ、体温計や血圧計を積んだスクーターで島内を巡回する。

うば捨山

 「老人は不吉で、アニト(悪霊)を引き寄せるから、近づいてはいけない」。老人たちは一定の年齢に達すると、子供や孫に災難が及ぶのを恐れ、自ら別居して近くの小屋などに引きこもった。
 食事は子供たちが届けるが、十分な世話を受けられないまま、さびしく亡くなる老人もおり、日本の棄老伝説「うば捨山」にも例えられた。
 1997年6月、シ・ヤブスカヌンは保健所の新たな業務として、迷信のタブーを破って訪問看護を始め、老人たちの惨状を目の当たりにした。
 「わたし一人では手が足りない。みんな力を貸して」。彼女は介護を行うボランティア・グループを創設。保健所と連携し、今ではキリスト教徒のメンバー約70人が老人の体をふいたり、洗髪や掃除などの介護を行うようになった。
 島民たちは、アニトを恐れないシ・ヤブスカヌンたちを気味悪がり「財産狙いか」とささやき合った。「親の世話は自分でする。余計なことはしないでくれ」と怒る者もいたが、辛抱強く説得しながら介護を続けた。
 神だけが支えだった。敬虔(けいけん)なキリスト教徒の彼女は神とともにアニトと闘った。
 ある日、長く病床にあったおばあさんを訪ねた。閉め切った寝室に入ったとたん、腐敗と排せつ物の強烈なにおいが鼻を突いた。掛け布団をめくると、ウジが体の至る所に巣くっていた。寝返りが打てず、ひどい床擦れも起こしていた。
 虫がきらいなシ・ヤブスカヌンは鳥肌が立ち、そこからすぐに逃げ出したいと思った。震えながら神に祈った。「不思議なことに、まるで体に充電されたように力がわいてきたわ」。彼女はウジをすべて取り除いた。おばあさんは4日後「清潔な体で天国へ行った」。
 4年後、お年寄りの暮らしとボランティア活動を紹介するドキュメンタリー映画「悪霊に直面して」を制作、上映して啓蒙(けいもう)に努めた。地道な努力により、訪問介護は次第に島民の支持を得た。
 「とても勇敢な娘だ。看護の知識とキリスト教信仰によって迷信を打ち破った。容易なことではない。心から敬服する」。シ・ヤブスカヌンが通うキリスト教会の牧師シャマン・ガーライー(55)はたたえた。

 蘭嶼で生まれ育ったシ・ヤブスカヌンは台湾台中市で看護学を学び、22歳の時に島に戻った。
 「大好きな故郷へ帰るのには何のためらいもなかった。島ではみんな和気あいあいと暮らしているけど、都会の人は互いによそよそしい」
 3年前、ボランティアの「同志」で、台湾本島出身の漢民族、楊文彬(よう・ぶんひん)(45)と結婚した。「第一の条件は、夫が蘭嶼に移り住んでくれることでした」とはにかんだ。

タオ族式

 お年寄りの世話を始めて十数年、迷信や伝統文化についての考えも少しずつ変わってきた。
 「以前は人命を軽視するような迷信がいやで仕方がなかったけど、今は迷信や風習とうまくつき合いながらよりよい医療や介護をしたいと思う」
 行政当局は終生型老人ホームの建設を計画しているが、シ・ヤブスカヌンたちは反対だ。なぜなら老人たちは「人が亡くなった部屋にはアニトがいる」と考え、住もうとしない。一部屋ずつ使えなくなっていく恐れがあるからだ。
 「老人たちが住む粗末な小屋に水道や電気を通すなど環境の改善に予算を使った方がよい」
 将来の夢は、老人の孤独や退屈さを癒やす日帰り施設の設立。シ・ヤブスカヌンたちはタオ族式の介護を目指しながら、アニトと闘い続けている。

核、観光が伝統脅かす  収穫分け合う共生社会

 台湾の離島、蘭嶼に住む海洋民族タオ族は独自の伝統文化を持ち、長い間、自給自足の暮らしをし

てきた。自然を大切にし、トビウオなどの収穫を集落で分け合う「共生社会」が特徴だ。だが、台湾本島から運ばれてきた核廃棄物や、観光開発が「古き良き伝統」を脅かしている。
 1982年、島の南端に核廃棄物貯蔵所が建設され、台湾本島の原発から出た低レベル廃棄物が運び込まれた。住民の激しい反対運動が起き、電力会社は搬入を停止し、貯蔵所移転の方針を示したが、実現していない。
 電力会社はこれまでに1人当たり計11万4千元(約32万円)の補償金を支給。過去になかった“現金収入”は、島民の生活レベルを上げた。
 また台湾本島の経済発展に伴って、蘭嶼から本島への出稼ぎ者が増え、蘭嶼の観光開発も進み、観光客とともに貨幣経済が島へ押し寄せた。
 「昔は金がなくても楽しく暮らせた。タロイモが育ち、海に行けばトビウオが捕れた。観光で潤うのは民宿経営者など一部の者だけ。今は経済競争が持ち込まれ、何でも金次第の世知辛い世の中だ」。元蘭嶼郷長(町長)のシャマン・マンケブン(56)はこう嘆く。
 漢民族や台湾当局に対するタオ族の不信感は根強い。同化政策によって伝統文化を破壊し、核廃棄物や観光で、昔からののどかな楽園を変質させたとの恨みからだ。(文 森保裕、写真 村山幸親、文中敬称略)=2010年07月07日

 「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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台湾・蘭嶼の涼み台で、トビウオ漁期が無事に終わったことを祝い、盛装でタロイモやトビウオ、サワラなどの昼食を囲む家族たち。何百年も変わらないタオ族の暮らしだ

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