俳句、短歌会や介護活動

高齢化する「日本語人」  日台のきずな次世代へ

   春節(旧正月)明けの静かな日曜日、柔らかな冬の光が差し込む台北市内のレストランで、台北俳句会の月例会が開かれた。集まった十数人のメンバーの多くは、日本の台湾統治時代に教育を受け、達者な日本語を話せ、書ける高齢の「日本語人」。台湾人と結婚した日本人女性もいる。  互いに批評し、難しい言葉の意味を聞き合ったり日本語で真剣に議論。会員の俳句を匿名で配り、投票で良句を選ぶ。

只歩く老いのリハビリ去年(こぞ)今年 
李錦上(り・きんじょう)(82)

小春日の光を脳に充電す 
張継昭(ちょう・けいしょう)(75)

去年今年過客とよばるるものの影 
黄霊芝(こう・れいし)(80)

 この3句が今回、約120句の中から選ばれた高得点句だった。
台湾史の中で日本語の地位は大きく揺れた。1945年までは植民地化の基礎となった「国語」。終戦後、大陸から渡ってきた国民党政権は「国語」を北京語に変え、長期戒厳令で日本語の集会を禁止。日本語は政治弾圧の標的ともなった。
 「いつも短刀を1本、かばんの中に入れていた。会員に手を出す者がいたら飛び掛かるつもりだった」。戒厳令下の70年、台北俳句会を発足させた黄霊芝は当時の緊張を思い起こす。
 終戦前、名家出身の黄は日本人向け旧制中学で学び「台湾人のくせに」と上級生から集団で暴行を受けた。肋骨(ろっこつ)が1本折れ、血尿が一晩中とまらなかったという。なぜ「屈辱の言語」で文芸を続けるのか。
 黄にとって「微妙な自己表現には日本語しかない」からだ。「日本人はにんにくを臭いと感じるが、芳しいと感じる台湾人が詠んだ句は日本語でも台湾文学」と言い切る。
 台北には台湾唯一の日本語による高齢者デイケアセンター玉蘭荘(ぎょくらんそう)もある。87年の戒厳令解除を待って、キリスト教の日本人宣教師が20年前に設立。週2日、約40人の日本語世代や日本人女性らが集まり、礼拝のほか合唱、映画鑑賞、おしゃべり会、カラオケなどの活動を続ける。
 よく通う劉(りゅう)(旧姓三浦)菊野(きくの)(89)は「日本語でおしゃべりをすると、知能が活発になり、元気がわき前向きになれる」と笑う。菊野は東京・大久保生まれ。終戦後、台湾人の夫で細菌学者の劉栄標(故人)とともに貨物船で台湾に渡り、3人の男の子を育て上げた。

生きの緒の続くかぎりを歌詠むと台湾歌人傘寿(さんじゅ)越しゆく

台湾歌壇の世話役、黄(こう)(旧姓三宅)教子(のりこ)(62)は、80歳を超す日本語人が懸命に短歌を詠む姿をこう歌った。

 歌壇は俳句会より早く68年に設立され、今も月1回、台北と台南でそれぞれ歌会を開く。メンバー約100人のほとんどは80歳を超す日本語人。戦後64年という時の経過の中、一人また一人と亡くなっていく。
 歌壇幹部は、最近入会した台湾女性、黄敏慧(こう・びんけい)(39)に後継者として期待を寄せる。敏慧は「勉強中ですが、先輩が亡くなっていく悲しみを歌えたら。できれば歌壇には少ない恋歌も」と話す。
 台湾では、戒厳令解除など民主化の中で、日本の漫画やドラマ、流行歌やファッションが好きな哈日族(ハーリーズー)(日本大好き族)が生まれ、日本語ブームが起きた。敏慧も自称「元哈日族」で日本へ短期留学した。
 台湾の日本語学習者数は人口割合で世界トップ級だ。日本語は支配者の言語ではなく、対等で親しみ深い隣国の「外国語」として復権した。歌壇のほか、俳句会や玉蘭荘にも外国語として日本語を学んだ世代が少しずつ参加し始めている。
 2008年、日本人と台湾人の恋愛を描いた台湾映画「海角七号」が大ヒットした。終戦時の日台の恋人たちの別れと、現代の若者の恋を二重写しにする物語。日本語世代や哈日族も登場する映画を六回見た敏慧は「日本は(断交で)台湾を捨てたが、台湾人は日本に片思いを続けていることが表れていた」と分析した。
 主演の田中千絵(27)は台湾に語学留学した台湾在住の日本人女優。「台湾人が日本を好きでいてくれることに感動、感謝します」と話す。日台のきずなは、こうした双方の次世代が未来へつないでいくのだろう。

編集後記

日本家屋の街並み保存 台北、住民運動で

 台北市南部の学園街近くの青田街。バス通りから路地裏へ足を踏み入れると、日本式の古風な屋敷が立ち並ぶ。

庭には樹木がうっそうと茂り、静けさの中、南国の野鳥がさえずる。「美しい街並みと緑を守ろう」との住民運動により、保存される約80年前の日本統治時代の住宅地だ。
 青田街は1927年ごろ、台北帝国大学の教授らが分譲地に自宅を建てたのが始まり。一角は昭和町と呼ばれた約百戸の高級住宅地で、台湾蓬莱米を開発した磯永吉ら著名な学者も住んでいた。
 戦後は国民党政権が接収し、台湾大教授らが居住。夫が台湾大教授だった劉菊野(りゅう・きくの)は51年から現在までこの地の日本式家屋に住み続けている。
 しかし、古くなった日本式家屋は次々に取り壊され、鉄筋のマンションや大学宿舎に建て替えられた。高校教師、游雲霞(ゆう・うんか)ら住民は2003年、グループを組織し、保存運動に乗り出した。
 かつて青田街に住んだ日本人教授や家族を訪ねて、当時の住宅地図を復元。現在も残る樹木や花などの植物や、集まる野鳥を丹念に調べて台北市に働き掛けた。菊野も日本人側とのパイプ役として運動に協力。現存する27戸のうち菊野の家を含む10戸が史跡や歴史的建造物に指定された。
 游は「保存により、青田街の歴史の深さと人と文化のぬくもりに近づけると思う」と運動の成果を語った。(文 森保裕)=2009年2月18日配信

 「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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春節明けの日曜日、市内のレストランで月例会に参加した台北俳句会のメンバー。左端が主宰者の黄霊芝(撮影 森保裕)

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