家族の「空白」埋めた再会

すれ違いの戦後に終止符  命懸けで救ったユダヤ少女

 中庭から飛行機を見上げていた。6歳までの、たった一つの記憶。今でも飛行機の音が怖いのは、戦争と結びついているからだと思う。
 ウルグアイの首都モンテビデオで繊維工場を経営するギゼラ・ゴールドファーブ(69)は、ドイツ占領下のワルシャワでユダヤ人が隔離されたゲットーで生まれ、ひそかにポーランド人夫婦にあずけられた。迫害から幼い命を守るためだった。
 アウシュビッツ強制収容所が既に稼働していた。ユダヤ人をかくまい、発覚すれば死が待っていたが、夫婦はギゼラを7番目の子として育てた。
 戦争が終わり翌1946年、ギゼラは親類とウルグアイに渡った。ポーランドにいた時のことは、詳しく問わずに成長した。「なぜ? たぶん真実を知るのが怖かった」。実の両親が、アウシュビッツなどに連行され、死んだと分かったのは数年後のことだ。

蜂起

 今もワルシャワに住むダヌータ・ガウコワ(86)は、母が連れてきた赤ん坊の姿を覚えている。「小さくて細く、病気で熱があった」。ナチスに抵抗する組織にいた少女は、その子がユダヤ人と分かったが黙っていた。口にするだけで危険だったのだ。
 その子は、ステフチャとポーランド名で呼ばれた。子守役のダヌータにも、別の名があった。地下組織の暗号名「ブロンド娘」。44年8月、市民がドイツに対し立ち上がったワルシャワ蜂起に参加した時は20歳だった。
 地下室で重傷者を看護する間に蜂起は制圧された。地上に出ると廃虚に初秋の風が吹き、樹木に1枚だけ葉が残っていた。「ここにも命がある。そう思いました」
 地下室では、暗号名「エレガント」が、片足を砕かれ横たわっていた。2人は間もなく結ばれる。
 ダヌータは戦後しばらく家に戻らなかった。ドイツに代わり支配者となったソ連も、蜂起参加者を捕らえると聞いたからだ。その間に、ギゼラは親せきに引き取られていった。
 ダヌータは47年と48年の2回、人づてにウルグアイに手紙を出した。親せきが受け取ったが、ギゼラには見せなかった。ギゼラもポーランドを離れる前、実の父と思っていたダヌータの父に手紙を残していた。
 「お父さん、とても会いたい。いつ帰るの? 娘が会いたがってます。家族が泣いています」

心の整理

 「お父さん」は44年にナチスに捕まり、ドイツの収容所で既に死んでいた。手紙はダヌータの家族が保管していた。「家族」を恋う2人の手紙は、どちらも届かないまま60年以上の時が流れた。
 「エレガント」は75年に他界。ダヌータも数年後に労働組合の仕事を引退した。静かに年を重ねるにつれ、一家の最後の空白を埋めたいという願いが募った。

 母の思いを受け止めたのは、次女のヨランタだった。ワルシャワのユダヤ歴史研究所に、ギゼラの記録があることを、ついに突き止める。
 2009年3月19日。ダヌータは家族と85歳の誕生日を祝った。ヨランタが差し出す受話器から「妹」の声が聞こえた。「育ててくれてありがとう。愛しています」。たどたどしいポーランド語で、懸命に繰り返した。
 ギゼラはポーランド語の猛勉強を始めた。だが、心の整理がつくまで1年かかる。
 翌年4月、2人は再会、復活祭をともに過ごした。飛行機が怖いギゼラが、長い空の旅に耐えた。大きな力に引き寄せられていた。

写真

 ポーランド南部オシフィエンチムにあるアウシュビッツ強制収容所は戦後、大量虐殺を伝える国立博物館となり、昨年は過去最高の130万人が訪れた。
 27号館にダヌータ一家がそろった写真がある。両親と7人の子供の中に幼いギゼラがいる。「あの子の消息を知る人が気付いてくれたら」。ダヌータの願いで60年代に展示された。
 ギゼラは初めて、その写真の前に立った。大きな目を見開き、人生の証人を半世紀待ち続けた自分がいた。

誤解生む複雑な歴史

被害者が加害者に

 ダヌータの父は路面電車の運転手だった。制服の下に小麦粉の袋を隠すのを母が手伝っていた。非番

の日に、飢えに苦しむユダヤ人のために、その袋をゲットーに投げ込んでいたのだ。
 海外からアウシュビッツ強制収容所を訪れるユダヤ人の中には、収容所がポーランド領にあるため、この国の人々が大量虐殺に加担したと誤解する若者もいるという。
 確かにポーランドにも、ユダヤ人迫害の歴史はあった。だが、ナチス支配下で命懸けでユダヤ人を救った人々も多かった。歴史は単純ではない。
 ダヌータは、ウルグアイに手紙を出しても返事がなかったので、ギゼラが会いたくないのでは、と心配した。ギゼラも記憶がない幼児期について「地下室のような暗いところにいたのかもしれない」と想像した。どちらも誤解だった。
 「命の恩人が分かって私は幸せ。見つからない人が多いのに」。ギゼラはワルシャワから、イスラエルへ飛んだ。エルサレムのホロコースト記念館「ヤドバシェム」に、ダヌータ一家の行為を報告するためだ。そこには、ユダヤ人を救った2万3千人を超える人々の名が記録されている。
 迫害の記憶は、恩人への深い感謝を生むが、対立者への過酷さにもつながる。ユダヤ人がナチスを忘れないように、パレスチナの人々もイスラエルを忘れないだろう。(文 松島芳彦、写真 八田尚彦、文中敬称略)=2010年05月19日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

secondpicture

長い時を経てワルシャワで再会したギゼラ(左)とダヌータ。ギゼラはナチス・ドイツのポーランド占領時代、ダヌータの妹としてかくまわれ生き延びた

つぶやく イタリアについて