違いを認め限りなき対話を

日本人の対韓意識に衝撃  在韓日本人対象に歴史講座

 「違いを認めながら限りない対話をしていくことが大切だ。過去の歴史を見れば、極端なナショナリズムの衝突で不幸な事態が生まれた。すぐに効果が出なくても、相互理解の不足を乗り越え、お互いが利益になることを模索する必要がある」
 北東アジアにおける歴史の葛藤(かっとう)解消などを目的に韓国で2006年9月に設立された 「東北アジア歴史財団」理事長の鄭在貞(チョン・ジェジョン)(58) は、日中韓3国の対話の重要性を強調した。
 朝鮮戦争(1950~53年)中の51年9月、韓国中部の忠清南道唐津郡の平均的な自営農の家庭に7人きょうだいの4番目の次男として生まれた。名門の大田高校を経て70年にソウル大学師範学部(教育学部)へ。好きだった歴史を専攻した。
 74年に卒業後、2年半軍隊へ。除隊後にソウルの下町にある上道(サンド)中学の教師に。まだ、貧しい生徒が多く、生徒指導に苦労した。教師の仕事は面白かったが、自分の勉強と両立するのが難しかった。再び勉強をしようとしたが、兵役と中学教師の生活で数年の遅れがあり、進路を悩んだ。「当時、日本の文部省奨学生試験は教職のまま留学が可能だった」

政治一辺倒

 79年春、東京大学へ留学。最初は近代中国の農民運動史をやろうとしたが日韓関係史に専攻を変えた。動機は「日本人の対韓意識」だった。鄭が留学した79年から82年までの3年間は 朴正熙(パク・チョンヒ) 大統領の暗殺、粛軍クーデター、光州事件、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の発足と激動期だった。「日本人の対韓意識は政治一辺倒で、韓国人がどう生活し、どう考え、何を夢見ているのかには無関心だった」
 留学して1年後に文京区でアパートを探したが、韓国人だと分かると断られた。留学先の東大でも壁を感じた。「私はしゃべりたいことが山ほどあるのに、東大生は私と対話をしようとしなかった。韓国の政治が激動期だったので、私に配慮したのかもしれない」
 日本で韓国のためになる研究は何なんだろうかと悩み、植民地時代の朝鮮半島の鉄道史を研究テーマに選んだ。「日本人は韓国に鉄道を敷いて韓国を近代化したという。だが、その過程で農民がどれほど土地を奪われ、収奪されたかについて言及しない」
 だが、鄭が壁を感じた東大で、今も「感動だった」という出来事があった。修士論文の締め切り2週間前までに3分の2を書いたが、疲労と緊張でペンが握れなくなった。すると、同じゼミの学生5、6人がチームをつくり鄭の口述を筆記し、清書してくれた。最後の2日間は一睡もせず完全徹夜だった。「日本の友人たちの仲間を思う気持ちはすごかった」
 82年3月に帰国、ソウル大の大学院へ入り、韓国放送通信大教授を経て94年からソウル市立大教授に。87年に民主化運動が起き、88年のソウル五輪

を成功させた。「これで日本人の対韓意識が変わった。私が留学した時は、日本人から『韓国人も牛乳を飲むのか』と聞かれたが、ようやく『韓国人も日本人も同じだ』という認識が広がった」

貴重な出会い

 ソウル市内の居酒屋で日本人駐在員と飲み、日韓の歴史が話題になった。鄭が「私が歴史の講義をやったら聞きに来るか」と尋ねると「大賛成」という返事。
 知人の歴史学者の協力を得て、2004年から古代史から現代史まで1学期に1回2時間、16回の連続講座を企画。日本企業のソウル駐在員や、その夫人、外交官からメディアの特派員までが熱心に聴講した。
 さらにバスを仕立て、韓国各地や日本の京都などまで足を延ばし歴史の現場ツアーも実施した。大好評で、講義は4学期まで行われ、歴史ツアーは現在も続いている。
 「これは貴重な出会いだ。歴史認識の接近は可能だ。私は講義やツアーで日本の悪口を言うのでもなく韓国をたたえるのでもない。歴史は過去のものではなく、今も生きているということをともに考えたいからだ」
 昨年、東北アジア歴史財団理事長就任の話が来た。こうした財団の理事長に50代の学者が就任するのは異例。「驚いた。でも、財団が目指す歴史の葛藤を克服し、相互理解を深め、平和で繁栄した東アジアをつくろうという方向と自分がやってきたことが基本的には同じなので引き受けた」

政治のリーダーシップ必要

併合100年で問題克服を

 日韓両国の歴史学者らでつくる第2期の「日韓歴史共同研究委員会」が3月に報告書を発表、鄭在貞(チョン・ジェジョン)も「教科書小グループ」の韓国側委員として参加した。報告書では一部で共通の理解が広まったが、近現代を中心に、日韓の認識の違いが浮き彫りになった。
 「紆余(うよ)曲折の末だが報告書が出たことは幸いだった。だが、私がやってきた歴史対話の立場から言えば、相互理解の幅を広げる努力が不足した」
 日本の一部の委員からは「やっても無駄」という意見も出た。日韓歴史共同研究が継続されるかどうかも未定だ。鄭は「目標の設定や委員の選出などに政治のリーダーシップが必要。ともに何かを生み出そうとする人々で構成すれば、すぐに作業も始まり、成果も上げることができる。『やりたくない』という人を無理やり入れても成果は上がらない」と指摘した。
 今年は日韓併合100年の年。「日本政府は村山首相談話で謝罪と反省を表明している。併合条約が有効か無効か、合法か違法かというようなことは学者の論議に任せればよい。大きな見地に立ち、併合100年に際し、日本政府が武力を背景に多くの韓国人の意思に反して条約を締結したという程度の整理をすれば、問題は克服されるのではないか」と提案した。
 鄭はほほ笑みながら「本当は韓国人も日本人の前で歴史の話をこれ以上、したくない。韓国人も歴史の傷から抜け出したいのです」と訴えた。(文 平井久志、写真 萩原達也、文中敬称略 )=2010年05月12日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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日本の植民地支配を象徴する西大門刑務所歴史館で、展示施設の中に入り、小窓から顔をのぞかせる鄭在貞。在韓日本人を対象にした歴史ツアーで訪れた場所でもある=ソウル市内

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