あふれる日本中古車への愛

小説「右ハンドル」を執筆 「生きる権利」にこだわり

  「君は日本ではもっと美しく、若かったけれど、そのころは田中とか林とかいう日本人のものだった。でも嫉妬(しっと)なんかしてない。今は一緒にいられる。僕は日本人が愛する以上に君を愛しているよ。これからも毎日、君が必要だ。別れには早すぎる」
 ロシア紙ノーバヤ・ガゼータの記者ワシーリー・アフチェンコ(29)が執筆した小説「右ハンドル」は、「僕」の独白風の言葉で始まる。
 日本人女性が登場する甘美な恋愛小説の始まりも予感させるが「君」の正体は日本製中古車。描かれるのは、ロシア極東で「第二の人生」を送る日本車に人々が注ぐ深い愛情だ。
 アフチェンコが生まれて間もない時から暮らすロシア極東のウラジオストクでは、日本中古車の比率が9割以上。日本車が路上を席巻する極東でも特に高い。
 太平洋艦隊の母港があり、ソ連時代は外国人の立ち入りが厳しく制限された町で「冷戦後」を支えた最大の産業が、対岸の日本からの中古車輸入だった。
 人口約60万人のうち、最盛期は計約10万人が輸入販売、修理、洗車などの関連ビジネスに従事した。
 「故障が少なく、燃費が良く、値段も手が届く日本車が世界で一番」。こんな評価は、トヨタ自動車の品質問題が起きても揺るがないという。

逆風

 この「基幹産業」に、昨年から逆風が吹き付ける。ロシア政府は2009年1月に、自国の自動車産業保護のため、輸入車の関税を大幅に引き上げた。
 中古車価格は3~5割程度上昇し、極東で昨年の輸入車台数は一昨年比で9割減った。中古車ビジネス関係者に、失業者が続出、自殺者も出た。
 政府は追い打ちを掛けるように、事実上の右ハンドル車輸入禁止となる技術基準を、9月から導入しようと検討中だ。
 計352ページの小説を1年半で書き上げた。08年12月のウラジオストク。輸入車関税引き上げに抗議するデモの場面で、運転手の「僕」が叫ぶ。
 「要求しているのは関税の廃止でない。この国での生きる権利なんだ」
 「僕」は、取材記者として、同時に一市民として現場にいたアフチェンコ自身だ。
 「極東では日本中古車は、生活の重要な一部だ。だがモスクワ主導で右ハンドルの排除が進む。同じ言葉、同じ国民でも、ロシアは東西で分裂している。西の人に極東の暮らしを知ってほしかった」
 押しつけに立ち向かう「僕」の叫びは、自由で自分らしい生き方へのこだわりでもある。
 02年にウラジオストクの極東国立総合大学ジャーナリズム学部を卒業。地元紙ウラジオストクで働き始めたころは自動車に無関心だった。しかし、町と日本中古車は不可分と知るにつれ「ウイルスに侵されたように関心が芽生えた」。

 03年以降、4台の日本中古車を乗り継いできた。現在の愛車はトヨタ・カムリグラシア。「今年、右ハンドル車の輸入が禁止される可能性もある。その前に5台目を買っておかないと」。笑っていても目は真剣だ。

夢

 他の記者が取材に来ない小さな集会にも顔を出す。記者会見でも歯に衣(きぬ)を着せず鋭い質問を浴びせるので有名だ。
 ウラジオストク紙を昨年夏に退社した。市長の事実上の管理下に入り、政府や市の批判を禁止する編集方針に転じたためだ。政府批判の論調で名高い全国紙ノーバヤ・ガゼータが、09年9月に極東で初めて開設した支局の一員となった。
 小説について、モスクワの文芸評論家ボリス・クプリヤノフは「極東で何が起きているのか想像もつかないモスクワの読者を意識しつつ、極東の人が日本車に注ぐあふれる愛を描ききった」と高く評価する。
 作品は「ドキュメンタリー小説」とも称され、ロシア有数の文学賞「国民ベストセラー」の大賞候補にノミネートされている。
 日本語訳を出し、訪れたことのない「恋人」の国へ行くのが夢だ。

ロシア車は20年遅れ

首相もベンツを愛用

 ロシアの自動車産業は「外国に比べ20年は品質面で遅れている」と言われる。自国メーカーの振興を訴えるプーチン首相自身が、ドイツ車メルセデス・ベンツの愛用者として知られる。

 ソ連時代は国際競争にさらされずに済んだが、ソ連崩壊後は外国車に市場を奪われ、技術革新を進められないまま取り残されてきた。
 天然資源の輸出に依存し、国際競争力のある製品を生み出せない経済体質の改善は急務だ。
 ソ連時代からブランド車「ラーダ」を生産する国内最大手アフトバスは、世界不況で販売台数が半減、政府支援で何とか経営破綻(はたん)を免れている。
 ウラジオストクで09年12月、ロシア自動車メーカー「ソレルス」の外国車組立工場が政府の支援で操業を開始した。ソ連時代も含め極東で初の自動車生産で、その場に立ち会った首相は誇らしげに成果を強調した。
 しかし現在、組み立てているのは、韓国で経営危機下にある双竜(サンヨン)自動車の車。地元では「高いのに日本車に劣る低品質。誰も買わない車の工場なんていらない」と評判はすこぶる悪い。アフチェンコも「産業誘致の形式だけが優先された政治ショーだ」と批判する。
 市場原理に基づかないユーザー不在の産業政策は、ソ連時代の計画経済にも似たところがある。人々が向けるまなざしは厳しい。(文・写真 平林倫、文中敬称略)=2010年04月14日

 

 「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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昨年12月にロシア・ウラジオストクで小説「右ハンドル」の発表会を開き、本にサインするアフチェンコ。初版の発行部数は3000部だが「無名の著者の作品を出版してもらえただけでもありがたい」と、至って謙虚だ

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