「迷信経済学」克服のため

アジア危機で友人の父自殺  虚偽事実流布と逮捕され

 韓国のインターネット上の討論掲示板「アゴラ」に2008年7月、ハンドルネーム「ミネルバ」の名前で「サブプライム、ついに韓国上陸」と題された書き込みがされた。韓国では、まだ対岸の火事のように思われていた米国のサブプライムローンが韓国経済に飛び火することを警告するものだった。さらに米リーマン・ブラザーズの経営破綻(はたん)も予見した。
 「ミネルバ」は為替レート暴落や不動産価格下落の予測なども次々に的中させ、一気に注目を集めた。人々は「ミネルバ」を「ネット経済大統領」と呼び始めた。
 韓国では08年2月に李明博(イ・ミョンバク)政権がスタートしたが、ネット上で米国産牛肉の輸入に反対する声が広がり、ろうそくデモが急速に盛り上がった。そうした中で「ミネルバ」は李政権の経済政策を厳しく批判した。
 検察当局は08年12月、ポータルサイトから「ミネルバ」に関する個人情報を受け取り本格的な捜査に着手。同年12月にネット上で「政府が金融機関にドル買い入れ中止を通告」と書き込んだことなどを虚偽事実流布とし、電気通信基本法違反の疑いで09年1月に「ミネルバ」を逮捕した。
 逮捕されたのは人々が予測した経済学者でも、金融専門家でもなく、独学で経済を勉強した朴大成(パク・テソン)(31)だった。

占い師でなく

 「『よく当たる』と評判になったことをおかしいと思っていた。『よく当たる』と考えること自体が、まだ経済学を占い師の予想みたいに考えていると思った。私は、経済のシステムやルールを知ることが重要だということを人々に分かってもらいたかった」
 ソウル市で生まれたが中学の時に家庭の経済事情が悪化。工業高校へ進み、理系の短大では無線システムを学んだ。子どものころから本はよく読んだ。兵役を終え、01年に就職したが、会社を辞めて、経済を勉強しようと大学編入の準備をしていた。
 平凡な道を歩んでいた朴に大きな影響を与えたのが1997年のアジア経済危機だった。株価や不動産は暴落、失業者やホームレスが激増した。
 さらに決定的だったのは高校時代の友人の父の自殺だった。「建築業を営み、家も貯蓄もある裕福な中産層だったが、友人は大学へも行けなかった。国家が決して個人を保護してくれないことが分かった」
 「よく勉強し、良い職場に就職し、誠実に働けば老後や子どものことはなんとかなるという神話が崩れた。それなら経済を自分が理解し、自分で準備しなくてはならないと思った」
 ネットへの書き込みは03年ごろから始めた。最初は単なる思いを書き込む程度だった。08年になり「ミネルバ」の名前で報告書のような形式での書き込みを始めた。

無罪、釈放

 「保守政権が誕生すると、10年前に経済危機を生み出した金泳三(キム・ヨンサム)政権時代の経済官僚チームがそのまま再登場してきた。10年前の失敗を再現しそうだったので、ネットを見る人だけでも資産を失わないようにと過去の事例分析をし具体的な提案をした。迷信のような経済学でなく、(事実に即した)論理的経済学を学び、困難を克服することが必要だと訴えたら逮捕された」
 ソウル地裁は09年4月「朴被告が虚偽だと認識していたとは言い難い。また虚偽だと認識していたとしても、公益を害する目的を持っていたとみることはできない」と無罪を宣告、朴は百余日ぶりに釈放された。
 だが、検察は控訴、朴も自らに適用された電気通信基本法第47条は言論の自由を侵害するおそれがあると憲法裁判所に違憲の訴えを起こした。
 「検察は、まず私を虚偽事実流布の疑いで逮捕し、調べれば別の経済事犯容疑があると思ったんだろうと思う。しかし、私は、株の売買など何の経済活動もしてなかった。これをしていたら、不当利益取得で処罰したでしょう」
 現在の朴は経済に関する執筆や講演の活動をしているが、いずれ海外へ出て先物取引などの勉強をしたいという。朴は「裁判をやっているので、就職もできないし、留学の長期ビザも取得できない。投資も追加容疑にされる恐れがあってできない」と訴える。

ネット世論が大きな影響力

民主主義の花開くと期待

 韓国はインターネット先進国といわれ、ネットが世論形成に大きな影響力を持っている。2002年末の

盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の当選もネット勢力の勝利といわれた。2008年の米国産牛肉の輸入反対に端を発したろうそくデモもネットでの参加呼び掛けやネット中継が大きな力を発揮した。
 一方で、韓国のトップ女優の崔真実(チェ・ジンシル)がネットで書かれたうわさで08年10月に自殺、書き込みの実名義務化など規制を求める声も高まった。
 朴大成は「ろうそくデモが大規模になったのはネットの効果が大きい。政府はネットをある程度、統制しなければならないと考え、それを国民に一つ見せつける必要があった。それが私だった。私の事件は公権力を持った国家がネットを管理しなければならないという時代錯誤的な考えから起きた事件だ」と語る。
 「過去には個人が意思表示をしても通じない場合は、焼身自殺などをし、それが追悼デモとなって拡大したが、今はネットで多くの人々に訴えることができる」
 朴は「ネットは直接民主主義の実用を可能にする道具。政治が特定のメディアや少数の社会的なエリートによって導かれるのではなく、多数を基礎にしたネットという手段を活用してトレンドを変えることが可能だ。いろいろ問題もあるが、過渡期を経て、より洗練された民主主義の花が開くのではと思う」とネットの未来に期待を寄せた。(文 平井久志、文中敬称略)=2010年04月07日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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ソウル市内でインタビューに応じる「ミネルバ」こと朴大成(撮影・金民熙)

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