3代続く日韓の懸け橋

文学、信仰、音楽を通じて  次の百年へ用いられた自分

 「わたしのこころは湖水です どうぞ漕いでお出でなさい」―。ソウルの延世大の百周年記念館で2月3日、歌手、沢知恵(39)のつややかな日本語の歌声が流れた。
 この歌は知恵の母方の祖父、金素雲(キム・ソウン)が韓国の詩人、金東鳴(キム・ドンミョン)の詩を翻訳した「こころ」に、知恵が作曲したものだ。延世大は父、沢正彦と、母、金纓(キム・ヨン)が出会った場でもある。
 詩人、随筆家の金素雲は、戦前に日本に渡り「朝鮮詩集」などを刊行、朝鮮の詩や民謡などを日本に紹介した。その翻訳は「日本人以上に美しい日本語」とされ、文学を通じた日韓の懸け橋の役割を果たした。
 父、正彦は東大法学部を出たが、神学の勉強をしたいと韓国の延世大に留学、金素雲の娘、金纓と結婚し1970年に帰国。
 正彦は73年に戦後初めての日本人宣教師として再び韓国に渡り、知恵は2歳から6歳の間をソウルで送る。祖父も近くに住んでいた。「わたしにとって祖父はただの優しいおじいちゃん。こんなに偉い詩人だと分かったのはずっと後になってから」
 知恵の母方の祖母、金韓林(キム・ハンリム)は韓国の民主化運動の中心にいた。叔母の金潤(キム・ユン)は74年の民青学連事件で逮捕、服役した。「祖母の記憶は二つ。潤おばさんとの面会などでしょっちゅう刑務所へ連れていかれたこと。もう一つは家に誰かをかくまっていて、警察が来ると祖母のかけ声で隠れたこと」

国外退去

 正彦が米国のプリンストン大学に留学することになり77年から79年まで米国へ。留学の終了とともにソウルに帰るが、正彦の教会での説教内容が問題にされ、国外退去命令を受け日本へ帰国せざるを得なかった。
 正彦は宣教師活動の傍ら韓国では日本キリスト教史を教え、日本では韓国キリスト教史を紹介した。信仰を通じた日韓の懸け橋の役割を果たし、89年3月胃がんで49歳の若き人生を閉じた。
 知恵は都立両国高校入学後に再び渡米し、米ニュージャージー州の公立高校に編入。ここでジャズに出会い、両国高校復学後にロックバンドをつくりボーカルに。東京芸大楽理科に進学したが1年間休学し、91年にジョージ・デュークのプロデュースした「トモエ・シングス」でプロ歌手としてデビュー。その一方で、卒論「朝鮮民主主義人民共和国の音楽―イデオロギーと音楽―」を完成させた。
 2001年には「ピースボート」の企画で平壌で「男はつらいよ」を歌った。「韓国では日本語の歌が禁止され、北朝鮮では朝鮮語の歌はだめだった。朝鮮語の歌を歌うと人々の心を動かしちゃうから。南北とも歌の力を知っているんですよ」

10分で作曲

 1995年のある雨の日、母の本棚でふと手にしたのが「乳色の雲」という朝鮮の詩を日本語に訳した祖父の本だった。その中の「こころ」を声を出して読むと、メロディーが自然にわいてきた。すぐにピアノの前に移り、わずか10分ほどで曲が完成した。
 知恵は95年3月に大学を卒業し、3枚目のアルバム「フー・アム・アイ?」をリリース。沢の自分探しが始まった。96年9月10日、正式に許可を取り、ソウルで公演。まだ日本語の歌が許可されておらず、十数曲を韓国語と英語で歌った。会場からは「日本語で歌っても良いぞ」というヤジも飛んだ。「こころ」を朗読し、その後で「ラ、ラ、ラ」と口ずさんだ。
 98年10月24日「ジャパンウイーク」の一環として、韓国南部の光州で、韓国政府の正式の許可を得て「こころ」と「ふるさと」を日本語で歌った。「許可になったのはわずか2週間前。日本語の歌が初めて許可になりとても緊張しましたが、歌い始めるとすうーと染み込むようにやれました」
 それから、韓国でのソロ公演はなかったが、国際交流基金からの誘いで、併合百年の年に11年ぶりの韓国公演となった。
 「昔は、日韓の懸け橋というと、祖父母や両親を含めた無数の人たちの血と汗と涙で築かれたものという思いがあり、自分には荷が重かった。でも、今は、キリスト教的な言い方ですが、わたしが用いられたという気がします。今年は併合百年の年ですが、次の百年のビジョンに向かってわたしができることをやろうという気持ちになっています」

療養所で毎年コンサート

父のやり残した宿題を抱え

 沢知恵は2001年から瀬戸内海にある国立ハンセ

ン病療養所「大島青松園」(高松市庵治町)で毎年8月にコンサートをしている。
 父、沢正彦は神学生時代の一夏をここでボランティアとして過ごした。71年に生後6カ月の知恵を連れて青松園を訪問した。ハンセン病の施設に赤ちゃんを連れ込む人などいない時代だった。入所者は代わる代わるに知恵を抱いた。
 知恵は96年に青松園を訪れた。入所者の人たちは25年前の赤ちゃんを思い出し「ともえちゃん」と涙を流しながら迎えてくれた。「人が人を覚えていることは、何て深い愛なんでしょう。赤ちゃんのわたしを、思い出の中で抱きしめていてくれた人たちに背を向けて生きていけなくなった」
 その後、元患者の夫妻といっしょに韓国を旅行した。ソウルの教会で夫妻は「沢正彦先生に、日本人が朝鮮の人たちにやったことを忘れてはならないと言われてきました。わたしは、一日本人として心からおわび申し上げたい」と深々と頭を下げた。
 沢知恵は通訳をしながら涙が止まらなかった。「だって、日本人として長い間、人権を与えられなかった人たちじゃないですか。その人が日本人を代表して謝罪する姿を見て…」
 知恵は「ハンセン病は父がやり残した宿題。だから、わたしが続きをやろうと思います。義務感を持つようになったらだめ。でも今は本当にたくさんの人が支えてくれてるからやれそう」という。(文 平井久志、写真 萩原達也、文中敬称略)=2010年03月03日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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11年ぶりの韓国ソロ公演で熱唱する沢知恵。アンコールを含め17曲、会場からは熱い拍手が送られた=ソウル

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