内戦と津波の悲劇を超えて

商人になった元ゲリラ幹部  生き残った意味を自問

  約6年ぶりに会った彼は、目尻にしわができ、髪がさらに薄くなっていた。インドネシア・アチェ州の独立派武装組織「自由アチェ運動」(GAM)の最強拠点パセ地区の司令官だったソフィアン・ダウド(42)。独立を求め、銃と無線機を手に密林を駆け巡っていたゲリラ幹部は、丸腰で州都バンダアチェの空港に立っていた。
 GAMの最高指導者で、同地に栄えたアチェ王国指導者の末裔でもあるハッサン・ティロが亡命先のスウェーデンから約30年ぶりにアチェに戻った日だった。空港にはGAMの元兵士が出迎え、トラックなど100台以上を連ねてバンダアチェ中心部へ向かった。GAMは既に武器を捨てているが、この日は独立派が州都を制圧したかのような喧騒に包まれていた。
 ソフィアンは、なぜか喧騒の輪に加わっていなかった。政治活動からも身を引き、ビジネスマンになったという彼は、ソファに腰を下ろし、かつては語ることのなかった身の上を話し出した。

父や兄弟も死ぬ

  「国軍憲兵隊の職を辞して独立運動に身を投じ父は、わたしが10歳のころに国軍に射殺された」
 国軍に包囲され、仲間が投降する中、最後まで踏ん張った父の勇姿を村の長老たちから聞かされた。「わたしがGAMに入ったのは息子としての定めだった」
 19世紀から20世紀初頭にかけ、オランダの侵略に頑強に抵抗したアチェ王国。王国の滅亡後も独立の炎は受け継がれ、第二次大戦後は、新たに成立したインドネシアに反旗を翻した。
 家計を支えるため10代から魚市場で働いていたソフィアンは20歳のころ、地下に潜った。「その3年後、兄と弟が1週間のうちに相次いで国軍に殺された」。GAMの兵士、家族、協力者と疑われた者が1人また1人と国軍・警察の銃撃や拷問で死んだ。ソフィアンも、警察に腹と太ももを撃たれる重傷を負った。
 「殺し、殺されるのは戦いの常だが、女性や子供が死ななければならない理由はない」。ソフィアンの故郷は「GAMの村」と目を付けられ、国軍に母子が殺されるなどの惨劇が繰り返された。
 しかし、2004年12月26日のスマトラ沖地震と大津波がすべてを変えた。「地鳴りを聞き、揺れを感じた。山中にいたので単なる地震だと思ったが、各地区のGAM司令官から『海水が陸に押し上がった』との連絡が続々と入った」。アチェだけで死者・行方不明者16万人以上。1万5千人以上と推定される30年間の紛争の犠牲者をはるかに上回る人命が一瞬で失われた。

独立の旗降ろす

「GAMにもインドネシア政府にも被災者を十分に助ける力はなく、国際社会の支援がなければ、二次的な犠牲がさらに増えることは明らかだった。しかし、紛争が続いていては支援は来ない」
 国際社会の圧力が強まる中、GAMの亡命指導部とインドネシア政府は05年8月に和平合意、アチェ自治政府の樹立と引き換えに、GAMは独立要求を取り下げた。
 独立のために戦う理由を問うと「日本人も日本という国を望むだろう。同じことだ」と言い切っていたソフィアン。
 「武器を手放すときは悲しかった。親しい仲間千人以上が独立を夢見て死んでいった。しかし、指導者が決めたことには従う」
 「インドネシアはアチェを世界から隔離していたが、神が扉を打ち破った。津波が和平をもたらしたんだ」
 そう自分に言い聞かせるように語る。
 ソフィアンはアチェの経済的自立を目指し、コーヒー豆や魚をインドや中国に直接輸出する会社をつくった。「これまで輸出はメダン(北スマトラ州の大都市)の商人に支配されてきた。アチェ人の所得を増やしたい。腹が減っていては平和は長続きしない」。かつての敵地ジャカルタに赴き、政治家や企業人と商談を重ねる。「ブローカー」と評されることも。
 バンダアチェは建設ラッシュが続き、車が急増、屋台は深夜までにぎわう。内戦も津波も、遠い過去であるかのように。
 「なぜ、わたしは生き残ったんだろう」。ソフィアンは自問する。「人間の生死は神の意思。まだアチェの人々に必要とされているのかもしれない」。

編集後記

国際社会の「気まぐれ」 

 「独立か否かを問う住民投票を行うべきだ。結果が

何であれ、われわれは受け入れる」。インドネシア・アチェ州の独立紛争中、独立派武装組織「自由アチェ運動」(GAM)のパセ地区「知事」サイド・アドナンはそう打ち明けたことがある。GAMは武装闘争一本やりでなく、「住民投票実施を求める武装組織」だった。
 1999年に東ティモールが住民投票の結果、インドネシアからの独立を決めたことがアチェの人々の心を動かした。しかし、国際社会は「アチェは不可分の領土」とするインドネシアの立場を一貫して支持、住民投票を認めなかった。ポルトガル植民地を経てインドネシアに占領された東ティモールとは国際法上の地位が異なるとして。
 ならばコソボはどうか。ユーゴスラビア・セルビア共和国の一自治州で、地位はアチェと同様だったが、欧米諸国はユーゴ政府による住民虐殺を防ぐ「人道的介入」としてユーゴを空爆、独立を承認した。インドネシア政府が虐殺したアチェ人の数はもっと多かったが、おとがめなしだった。
 「民族自決」と「主権国家の領土保全」。本当は相矛盾する原則を国際社会は「気まぐれ」に使い分ける。和平で自治権が拡大され、GAM元幹部が州知事に就任した。和平の日を見ずに国軍に処刑されたサイド・アドナンは故郷の村の片隅に眠っている。
(文・写真 米元文秋共同通信記者、文中敬称略)=2009年2月4日

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復興した漁港にたたずむ元ゲリラ幹部のソフィアン・ダウド。民家の屋根より高い波に襲われ、住民の大半が死亡した地域だ=インドネシア・バンダアチェ

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