一つの布団の中の東アジア

「その国の重荷背負って」  日中韓の文化つなぐ仕事を

 もう何度、同じ質問を繰り返しただろう。故人の生年月日、出身地、家族構成、そして、殺害時の状況を。
 1万3千人が命を落としたコソボ紛争から10年。ベキム・ブラカイ(38)は今も遺族や目撃者を村々に訪ね、死者の情報を集めている。紛争被害を記録し、傷ついた人々を支える地元の非政府組織(NGO)「人道・法センター」のスタッフだ。
 なだらかな丘と草地が連なる南欧のこの国で、多くの人々が殺されたのは1998年から翌年にかけて。幼児は母親の腕の中で撃たれ、父親は勤務先から連れ去られた。
 ほとんどは犯人すら分からない。コソボに治安部隊を送り、多数派のアルバニア系住民を殺害したセルビアも、部隊撤退後にセルビア系住民に報復したアルバニア側も、死者の名前はおろか数さえつかんでいない。
 「『それから兄は兵士に撃たれ…』と遺族は声を振り絞る。書き留めながら、やり切れない気持ちにもなるよ」。それでもベキムは死者を知る人々を見つけ出し、問いを重ねる。コソボ政府とともに国土を治める国連の情報とも突き合わせながら、出生から死因まで犠牲者の人生をコンピューターに登録していく。
 「彼らは単なる数字じゃない。名前があり、家族がいた。その生きた証を残したい。過ちを繰り返さないためにも、死者を記憶するんだ」
 アルバニア系のベキム自身、セルビアの大学在学中に紛争となり、刑務所に送られた。「人道・法センター」のセルビア人スタッフの助けで出所したのは1年半後。すぐ活動に加わった。
 コソボ西部の故郷の村で、セルビア警察はアルバニア系の家を焼き、彼らの撤退後はセルビア系の隣家が炎に包まれた。近くの村では、覆面をしたセルビア系がアルバニア系の隣人を追い立てた。「何世代も一緒に暮らしてきたのに、隣人同士が殺し合った。民族を問わず、死者の情報を明らかにしたい」

新たな痛み

 アルバニア系農民で7人の子の父、ハラディン・ハサニ=当時(60)=の遺体は99年6月、地元の村近くで見つかった。セルビア治安部隊が村を攻撃した3カ月後。全身に鉄線が巻き付けられていた。
 「遺体を確認してからショックで頭痛が止まらなくなった。父は家畜の世話をすると家に残ったんだ」。義理の息子イルミ(54)が深く息をつく。義父の身に何が起きたのか。10年間、手掛かりを求めてきた。知人からセンターの存在を聞いたのはこの夏のことだ。「兵士に腕を撃たれ、車で連れ去られた」。2人の目撃者が届け出ていた。
 証言は10年を経てようやくイルミに届いた。「長年の答えが見つかり、救われた気がした」

 イルミは遺体であふれた病院で当時対面した義父の変わり果てた様子を妻のズルシィエ(49)に今年初めて打ち明けた。「今まで誰にも言えなかった。でも今度は妻が新たな苦しみを抱えることになった」。イルミの脇でズルシィエがおえつを漏らした。

独立の陰で

 コソボは2008年2月、セルビアから独立を宣言した。今、国内各地で道路建設の砂ぼこりが舞い、首都プリシュティナのカフェではアルバニア系の若者が笑顔で語らう。だが、その陰で「敗者」に転落したセルビア系遺族の感情は険しさを増す。
 「誰もわれわれのことを語ろうとしない」。ユーゴスラブ・ポポビッチ(51)が言葉をかみしめる。1999年8月、兄は運転するトラックごと姿を消した。骨の1本でもいい。見つかれば安らぎを得られるのに。「セルビア系も思いは一緒だ」
 これまでに調査を終えた犠牲者は6割。「人道・法センター」のベキムはこの10年、死者の記録に寄り添ってきた。「顔写真を見て想像するんだ。趣味は何で、家族とどんな話をし、最後の瞬間に何を考えたのかと」。一度も会ったことのない相手だが、時には旧知のような錯覚さえ覚える。
 怒りが心に宿ることもある。「人々を殺した犯人は今も自由に町を歩いている。この瞬間もセルビアの、コソボのどこかを」。ベキムはきょうも死者の写真を見つめている。

紛争で引き裂かれた国土 未発見の集団埋葬地も

 オレンジ色の瓦を乗せた欧州風の家々の背後で、

イスラム教寺院のミナレット(尖塔)が日の光に輝く。2008年、独立を宣言した世界で最も新しい国コソボ。約210万人の人口、面積とも岐阜県とほぼ同じで、国民の9割以上をアルバニア系住民が占める。多くがイスラム教徒だ。
 コソボはセルビアの一自治州として支配を受け続けた。1980年代末、旧ユーゴスラビア・セルビア共和国のミロシェビッチ政権がアルバニア系への弾圧を強化。アルバニア系は武装組織を結成し、1998年以降はセルビア治安部隊との本格戦闘に発展した。
 99年3月に北大西洋条約機構(NATO)のユーゴ空爆が始まると、報復として治安部隊によるアルバニア系市民の虐殺が急増した。住民は「あらゆる地域に突然、セルビア兵が現れた」と話す。
 ユーゴは同年6月、和平案を受諾してコソボから撤退。その後、それぞれの民族の遺体を埋めた集団埋葬地がコソボ各地で見つかり、悲劇の詳細が明らかになっていった。セルビア側は撤退直前にアルバニア系の遺体を掘り起こし、セルビアに運んで再び埋めるなど隠ぺい工作もしていた。
 コソボ・プリシュティナ歴史研究所教授のハキ・カスミ(59)は「犠牲者は死後も冒とくされた。セルビア国内には見つかっていない集団埋葬地がまだあるはず」と話す。(文 森岡隆、写真 稲熊成之、文中敬称略)=2009年11月11日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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プリシュティナ中心部の街頭に掲げられたアルバニア系住民行方不明者の写真。風雨にさらされ色あせた写真が、いつ終わるとも知れない消息調査の難しさを物語る

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