一つの布団の中の東アジア

「その国の重荷背負って」  日中韓の文化つなぐ仕事を

 「お父さんは韓国人、お母さんは日本人、じゃあ、君は何人?」「僕はアジア人」―。
 韓国人写真家、柳銀珪(リュ・ウンギュ)(47)と日本人フリーライター、戸田郁子(50)の息子、明秀(16)が中国の南京で小学生当時にテレビ局のインタビューで答えた回答だ。
 戸田は短大在学中の1979年、ゼミ旅行で韓国を初めて訪問し、文学者の金素雲(キム・ソウン)と出会った。大学を出れば平凡に結婚すると思っていた戸田は「人間というものはどの国に生まれても、その国の重荷を背負って生きていくんです」と言われ、大きなショックを受けた。
 3年半OL生活をしながらお金をため、83年末に韓国語を学ぶために延世大韓国語学堂へ留学。留学生活が楽しくてしかたなく「ウッチャ通信」というミニコミをつくり約100部を日本の友人に送った。これが戸田がフリーライターになるきっかけになった。
 86年のアジア大会、88年五輪で、日本では韓国ブームが起こった。戸田にも原稿依頼が殺到し、収入も増大したが、ソウル五輪が終わると仕事はばったりと途絶えた。それで中国留学を思い立ち、89年3月にハルビンの黒竜江大学へ留学した。
 だが中国では89年6月に天安門事件が起こり、黒竜江大も閉鎖。今度は朝鮮族のことを学ぼうと延辺大の歴史学科へ飛び込んだ。

5カ月でゴールイン

 91年7月、日本の雑誌の依頼で韓国のシャーマンである「ムーダン」を取材した。そこでフリーカメラマンの柳銀珪と出会った。柳がなかなかシャッターを切らず、戸田はイライラし、ぶつかった。だが、作品は納得のいくものだった。柳は当時は日本人を嫌ったが「取材のために犬の肉まで食べる姿」を見て好感を抱いた。
 柳が「家族に会ってほしい」とプロポーズ。柳の母親は「なんで日本人と結婚するんだ」と布団をかぶってふて寝。「さっさと嫁に行け」と言っていた戸田の両親も「朝鮮人と結婚しろなんて言わなかった」と大反対。
 だが、柳は「最初から両方とも反対すると思っていたから、どうということなかった」という。会って約5カ月後の91年12月1日に挙式、韓国で新婚生活を始めた。
 93年4月に一人息子の明秀が生まれたが、同年10月、生後6カ月の息子を連れて一家3人で再び中国のハルビンへ約2年間、留学した。「当時、2人とも収入もよく、それを捨てて中国へ留学する私たちをみんなバカだと言った」。

担任がいない

 一度、韓国に戻ったが、その後、また訪中して延吉、大連、南京で約6年間を過ごした。延吉の小学校に明秀の入学手続きに行くと、校長は「(中国語のできない)この子のせいでクラスの平均点が下がる

ので引き受けてくれる担任がいない」と言った。だが、明秀は中国で小学校6年間を過ごし、すっかり中国人少年になり、クラスの平均点を上げるまでに。
 柳は「中国で暮らしてよかった。日本か韓国なら片方だけが寂しい思いをしたが、中国で暮らしたことで、2人とも寂しいが目標を達成しなくてはと自ら生きる力が生まれた」と語る。中国の大学で写真を教え、各地に弟子ができ、今は、どこに行っても弟子たちが歓待してくれる。
 戸田は「中国で暮らす前は韓国人と日本人の違いばっかりが目についてイライラしたが、中国の地方都市で暮らし、おおらかに余裕を持てるようになった」と語る。
 一家は韓国に戻り、2007年に出版社「土香(トヒャン)」をつくった。二人は「日中韓の文化をつなぐ仕事をしたかった」という。
 明秀は韓国では「ミョンス」、日本では「あきひで」、中国では「ミンシュ」と呼ばれている。明秀は得意の中国語を生かして有名校の京畿外国語高校に合格した。柳の実家では「うちの嫁は好き放題やってるが、子どもの教育だけはちゃんとやっていた」と、戸田の株が一挙に上がった。戸田は08年に韓国で永住権を取得した。
 戸田が韓国で出版した「一つの布団の中の二つの国」という題名の本がある。現実の柳、戸田、明秀の3人家族は日本、韓国、中国を舞台に「一つの布団の中の東アジア」をつくろうとしているのかもしれない。

「青鶴洞」を撮って27年 朝鮮族の「痕跡」も記録

 柳銀珪には自称「暗い過去」がある。浪人して大学の法学部に合格したが、両親には不合格とうそをつ

き写真専門学校へ入学したことだ。それだけ写真をやりたかった。
 1982年夏、柳が20歳の時、韓国の霊山、智異山の中腹にある青鶴洞(チョンハクトン)を初めて訪れた。伝統服を身に着け、儒教の儀礼を守りながら暮らしている人々の村だ。最初、シャッターが切れなかった。
 ソウルから鈍行列車を乗り継ぐ青鶴洞通いが始まった。村の若者たちと友人になることで撮影が受け入れられ始めた。その歩みは27年間に達し、今も続く。
 柳・戸田郁子一家は93年10月から延べ約8年間をハルビン、延吉、大連、南京で過ごした。柳は東北地方を中心に約200万人といわれる朝鮮族を撮り始めた。抗日独立運動の遺族や関係者を訪れ、撮影。98年に「忘れられた痕跡」という写真集にまとめた。
 また、朝鮮族の家庭の壁に掲げられた記念写真を集めて回り、5万枚になった。それを素材に「忘れられた痕跡Ⅱ―写真で見る朝鮮族百年史」を出した。個人の所属していた一枚、一枚が歴史の記録となった。
 2009年末には朝鮮族が体験した文化大革命の写真集を発刊する。文革当時、記録担当だった朝鮮族の写真家が「自分の死後、公開」を条件に、柳に6千枚の写真を委ねた。柳は「写真家だけができる仕事」と誇る。(文 平井久志、写真 金民熙、文中敬称略)=2009年11月04日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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2001年12月、結婚10周年を記念して中朝国境にある白頭山へ登り、天池を背に記念写真に納まる柳銀珪、戸田郁子、明秀の家族(柳一家提供)

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