ハープを奏で最期をみとる

患者、家族に心の安らぎ  起業家経て「天職」得る

 神々しいハープの音色が静まり返った空間を満たした。米オレゴン州ポートランドの住宅街にある民家の居間。車いすに身を任せたロイス・ブラウンシュウィーガー(87)の 周りで家族が聞き入る。ハープを奏でるシャリリン・コーン(55)が歌声を添えるとロイスは垂れた頭を起こし、歌と掛け合うように「お母さん…」「祈り…」などの言葉を発した。
 ロイスは重度のアルツハイマー病だ。いつ死を迎えてもおかしくない。「母は別の世界に行く準備をしている。今日の音楽を心から楽しんだと思う。家族も一体になることができた」。娘のデビー(54)は涙声で話した。
 シャリリンは公認の音楽サナトロジストだ。サナトロジーとは死の在り方を探る「死生学」。それを音楽で実践するのが音楽サナトロジストだ。音楽、特にハープや歌声を通じ末期患者や回復の見込みのない人々、そして近親者に心の安らぎを与えるのが使命である。
 この日の朝、シャリリンは“巡回”で同市近郊にあるカイザー・パーマネンテ病院を訪れた。ナースセンターで患者の名簿を調べ病室へ。患者に意識がなければ家族の了承を取り付ける。
 「お会いできて光栄です。美しい音楽を聴いてください」。人工呼吸器を着けた末期患者に優しく語り掛け、脈拍や呼吸の変化に合わせてハープを弾く。苦しそうな呼吸が次第に落ち着きを取り戻した。患者は8日後に息を引き取った。
 シャリリンが奏でる曲の大半は無名か自作。「有名な曲は患者の連想を引き起こし、安らぎをもたらさない」と言う。

チェロ

 南部ジョージア州アトランタで起業家として成功し、財産を築きつつあった1996年のクリスマスの日。天啓とも言える瞬間に出合った。何げなくつけたテレビは、北西部モンタナ州での音楽サナトロジストの養成風景を映していた。
 「これこそ自分の天職だ」。どこからともなく声が響いてきた。こっそりハープを買い、熟考の末98年9月、事業も地位も捨てモンタナ州に移り、養成コースに入った。
 テネシー州の大学で音楽を専攻したシャリリンは、在学中から地元オーケストラでチェロ奏者を務め、アトランタに移ってからもオーケストラで演奏する傍ら、公立の小中高校で弦楽合奏の指導をした。しかし教員の契約を打ち切られて挫折。音楽の世界を離れ、ホテルウーマンから起業家へと転身した。
 「オケでチェロを弾いている時は『ハープなんか』と思っていた。でもハープは旋律から和音まで自在で、今の仕事に適している」と話す。同時にチェロへの愛着も断ち難く、今でもポートランドの楽団でエキストラとして弾くことがある。

 「(元チェロ奏者の納棺師を描いた映画)『おくりびと』を是非見なさいと同僚に勧められたけどつい忙しくて…。でもこれから見るのがとっても楽しみ」と、シャリリンは興奮気味に語った。

夢

 2年半の養成コースを終えたらアトランタに戻るつもりだったが、同期3人と音楽サナトロジーの実践を目的とする民間非営利団体(NPO)「聖なる飛翔(ひしょう)」をポートランドに立ち上げ、専務理事に就任した。愛用のハープを車に載せ、病院や施設を巡回する日々が始まった。
 後輩の指導にも余念がない。夢はこの分野を大学院修士課程の正式科目に認めてもらうことだ。
 「シャリリンは妥協を許さない厳しい指導者」。シャリリンが講師を務める地元短大の音楽サナトロジスト養成コースを修了した女性は言う。
 声が掛かればどこにでも出張する。患者や家族から代金は取らない。病院やホスピス、老人ホームなどとの契約に加え、寄付金などを活動資金としている。実業家としての経験が役立つという。
 シャリリンには忘れられない経験がある。60年余り連れ添った夫婦。妻が重い病で入院し死期を迎えると、夫は「先に逝かないでくれ」と激しく取り乱した。シャリリンが病室でハープを奏でると、夫は次第に落ち着きを取り戻し、妻に「愛しているからね、もう行っても構わないよ」とささやいた。妻は間もなく亡くなったという。(共同通信ニューヨーク支局長、宮脇英朗、文中敬称略)

古代ギリシャや中世に起源 20世紀後半、米で再現確立

 音楽を通じ末期患者の精神的、肉体的苦痛を緩和する試みは中世の修道院で、さらに古くは古代ギリシャの神殿でも実践されていたという。
 1970年代前半、これを再現し「音楽サナトロジー(死生学)」として確立したのが、米コロラド州の施設で老人介護に当たっていたテレース・シュローダーシーカーだった。
 彼女がコロラド州で発足させた音楽サナトロジストの育成プロジェクトは拠点をモンタナ州、オレゴン州と移しながら発展。“教え子”たちは全米各地や海外でも活動するようになった。
 音楽サナトロジーには「音楽、医学、精神性の調和」が必須とされ、医療の立場からは、末期患者に対する緩和ケアの一環でもある。
 オレゴン健康科学大学の医師ロバート・リチャードソンは、ポートランド近郊の病院で緩和ケアの研究と実践に取り組んでいる間に音楽サナトロジーに巡り合った。
 「ハープの音が患者に安らぎを与えるのは、脳波を観察していれば分かる。家族の苦悩を和らげる効果もある」。末期がん患者の医者仲間も自宅療養に音楽サナトロジーを取り入れ、妻とともに安らぎを得たという。
 訪日経験もあるリチャードソンは「文化的な違いに考慮する必要はあるが、日本でも音楽サナトロジーは受け入れられると思う」と語った。(文 宮脇英朗、写真 鍋島明子 、文中敬称略)=2009年10月28日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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演奏を終えたシャリリンは、ロイスの震えがちな手に自分の手を優しく差し伸べた=米オレゴン州ポートランド

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