息子の名を戦争に使うな

遺志継ぎ、父が平和運動  広島で祈りの灯籠流す

 イラク戦争開戦直前の2003年3月18日、元高校教師ロバート・マクルバイン(64)はワシントンの連邦議会議事堂前にいた。01年9月11日の米中枢同時テロで死んだ息子ボビー=当時(26)=が卒業したプリンストン大のロゴが入った帽子をかぶり、「(戦争に)私たちの息子の名を使うな」と大書きしたボードを持って。
 「デモは違法だ。線を越えたら逮捕する」。警察の警告にもかかわらず、マクルバインは他の仲間とともにゆっくりと前に進んだ。警官は彼に手錠をかけて拘束、留置場に送った。
 「息子の死を戦争の理由にすることがどうしても許せなかった」とマクルバインは振り返る。デモへの参加は妻ヘレン(46)とも相談の上だった。逮捕の様子は米テレビCNNなど主要メディアが全米に放映した。
 息子ボビーは世界貿易センター内にオフィスを置く米金融大手メリルリンチで働いていた。
 「賢く親思いの息子だった」。米東部ペンシルベニア州フィラデルフィア郊外の自宅の居間でマクルバインはそう話す。死の1週間前、ボビーは両親に婚約者を紹介した。息子と彼女、妻ヘレンと自宅近くのレストランで過ごした夜が、最後の別れとなった。
 息子の死に打ちのめされたまま過ごす日々が続いた。今もボビーについて語り出すと、マクルバインの言葉におえつが交じり、涙がほおを伝う。
 息子の死をどう受け止めるべきか。行動すべきことはあるのか。マクルバインは考え続けた。息子を殺した者たちへの憎しみにとらわれたときもあった。だが、彼がたどり着いたのは、テロの犠牲者遺族らによる反戦平和団体「ピースフル・トゥモローズ(平和な明日)」への参加だった。
 息子の遺志を考えた行動でもあった。「息子は大学で黒人文学を研究し、人種差別や戦争に反対していた。彼が生きていたら、私と同じことをしていたと思う」

テロ再調査を

 同時テロをきっかけにアフガニスタン、イラクと二つの戦争に踏み切ったブッシュ前政権へのマクルバインの不信感は今も強い。そもそもテロはなぜ防げなかったのか。責任はだれにあるのか。米政府が設置したテロ調査委員会の報告書の内容は正しいのか。時とともにマクルバインの疑問は膨らみ、今は怒りに変わりつつある。
 マクルバインは調査委報告書が置かれた机をバンとたたいて言った。
 「報告書は遺族の疑問に答えていない。政府はテロリストとみなした者を拘束し、拷問を加えた。それで得た自白で作った報告書の内容など、死んだ息子に事実として説明できるはずがない」
 04年に発表された567ページに及ぶ調査委報告は、03年に逮捕されたアルカイダ幹部ハリド・シェイク・モハメドの供述などに基づき、テロに至るまでの犯人たちの行動の詳細が描かれている。

しかし、米中央情報局(CIA)はモハメドに対し、183回もの水責めによる拷問をしていたと米紙ニューヨーク・タイムズが報じ、米司法省は8月、刑事事件として拷問問題を捜査することを明らかにした。
 「米政府は不都合なことを今も隠している」。そう疑い続けるマクルバインは「同時テロについて真に独立した調査委員会による再調査がなされるべきだ」と訴える。

悲惨さ学ぶ旅

 ピースフル・トゥモローズは、米国内での反戦運動のほか、アフガニスタンの戦争犠牲者との交流など海外への訪問団も送ってきた。マクルバインは05年、同団体のツアーで妻ヘレンとともに日本を訪れ、広島、長崎で原爆投下の日の式典に出席した。
 「ボビーの死は広島、長崎の悲劇とも無縁でないと思ったから。私たちにとっては戦争の悲惨さを学ぶ旅だった」。当時のアルバムを手に、広島と長崎では「被爆者の人々の平和への熱意に圧倒された」と話す。
 広島では8月6日の夜、平和を祈る灯籠(とうろう)流しにも加わった。「戦争とは平和な明日を削り取るノミ。戦争への怒りを抱かないことは不正義の側に立つことだ」。原爆ドーム近くを流れる元安川に、そう書いた灯籠を浮かべた。息子ボビーの名を添えて。(共同通信編集委員 石山永一郎、文中敬称略)

「悲しみを平和運動に」 アフガン支援続ける邦人も

 米中枢同時テロの犠牲者遺族の中からも多くの人が反戦平和運動に加わっている。

米国の「ピースフル・トゥモローズ(平和な明日)」は「私たちの悲しみを平和運動に変えよう」というスローガンとともに、テロ犠牲者遺族約200人が集まり、2001年11月ごろから「戦争に代わる対話の促進」などを目標とした活動を開始、アフガニスタン、イラクと続いた戦争に反対してきた。
 「今こそ説明責任を求めるニューヨーク市連合」(NYCCAN)も100人以上の遺族が参加している団体で、反戦運動とともに同時テロをめぐって今も残るさまざまな疑問を解明するため、真に独立した調査委員会による事件の再調査を求める署名を集めている。
 日本では、世界貿易センタービルで働いていた息子の敦(あつし)=当時(36)=を失った白鳥晴弘(しらとり・はるひろ)(69)が、アフガンの子どもたちへの支援活動を個人で続けている。
 白鳥は03年、初めて訪れたアフガンで肉親を戦争で失った子どもが「必ず敵討ちする」と口にするのを聞いた。自らも戦争孤児として育った白鳥は「アフガンの子どもには憎しみの中で生きてほしくはない」と思い、教育や給水事業の支援を始めた。白鳥の活動はカナダの映画監督フィリップ・バイロクの目に留まり、昨年、白鳥を主人公としたドキュメンタリー映画「火と水 カブールの手品師」が製作された。(文 石山永一郎、写真 アンソニー・ヒューガン、文中敬称略)=2009年09月23日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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息子ボビーを米中枢同時テロで失ったロバート・マクルバイン。テロ後、息子の遺志を考え、反戦平和運動に参加した=ペンシルベニア州フィラデルフィア郊外の自宅

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