激動の韓国現代史を疾走

盧政権へ希望と絶望  内在的アプローチで成果

 2009年6月4日、ソウル郊外の国立がんセンターで激動の韓国現代史を疾走した一人の北朝鮮研究者が死去した。徐東晩(ソ・ドンマン)尚志大教授、享年53歳だった。
 ソウルの裕福な家庭に生まれた。名門、京畿高からソウル大へ進んだエリート学生だった。
 寡黙で内省的な性格だが、激しい情熱、精密な論理的思考の持ち主だった。朴正熙(パク・チョンヒ)政権の維新体制下で「自分も役割を果たさなければ」という責任感から1978年5月、ソウル大で民主化を求める学生デモを主導し逮捕、投獄された。父は息子の逮捕で社長を辞めざるを得なくなった。
 79年3月、懲役1年の刑の満期2カ月前に刑執行停止で釈放された。同年10月朴大統領が 暗殺され、維新体制は崩壊。
 だが、光州事件などを経て、再び軍事独裁政権が権力を掌握。81年に大学院合格の内示を受けたが、正式の合格者名簿に名前はなかった。当局が学生運動経験者を不合格にした。

日本留学

 両親に日本留学の経験もあり、 86年に東京へ留学。韓国民主化運動の支援をしていた「危険人物」の和田春樹(わだ・はるき)東大教授のもとで、それも北朝鮮を研究するという二重に危険な選択だった。祖国が民主化されないと帰国もできず、経済的にも苦しかった。その中でイタリア政治史を専攻していた姜玉楚(カン・オクチョ)と結婚、娘をもうけた。
 95年に念願の博士論文を完成させ、帰国。金泳三(キム・ヨンサム)政権下の97年に外務省外郭機関の外交安保研究院の助教授に採用された。「奇跡だと思った。民主化を実感した」。同研究院で最優秀論文賞を2度も受賞した。
 金大中(キム・デジュン)政権になり2000年の南北首脳会談が実現すると、メディアへの登場が急増、韓国を代表する北朝鮮研究者の地位を獲得した。そのころ、ほとんど大統領になる可能性がないと思われていた盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の中心的なブレーンとなり、盧は02年末に当選。
 徐は韓国の民主化のためには、自分が半生を 懸けて闘い続けた情報機関や軍の改革が必要と判断。国家情報院の人事や予算を握る企画調整室長に就任した。奇縁というか、改革のコンビを組む国情院長は 学生時代の自分に有罪判決を言い渡した高泳グ(コ・ヨング)だった。
 だが、徐は、高の人事に「情実人事」と反対し対立。高は「君が辞めるか私が辞めるかだ」と迫った。結局、盧大統領も高の立場を黙認し、徐は就任わずか10カ月で同室長を辞任。政権基盤が弱い盧政権を考えて批判を控え、沈黙した。

妻の死

 失意の徐に追い打ちを掛けたのが04年11月の妻、姜玉楚のうつ病による自殺だった。姜は病気を徐に隠し続けていた。

 「酒は量で飲むんじゃない。時間で飲むんだ」と言っていた徐が未明まで酒に浸ることも増えた。国情院での確執、盧武鉉政権への希望と絶望、そして妻の死と、逃げ場のない葛藤(かっとう)が毎日、徐を襲った。
 それでも、徐は日本語の博士論文の韓国語版の大著「北朝鮮社会主義体制成立史1945〜61」を完成させ、北朝鮮の論理を追う内在的なアプローチによる研究の成果を示した。一方、自分の思いと違う方向へ向かう盧武鉉政権の外交安保政策を厳しく批判した。
 盧政権末期の国情院長の任命人事では「民主化運動の尊厳と価値への冒とく」とまで批判した。
 徐は07年末、新しい伴侶を見つけた。延世大教授でロシア文学を教えている金珍英(キム・ジンヨン)だった。新居も構え、心機一転、再スタートに向かった。
 しかし、そのわずか2カ月後の08年初め、突然、肺がん末期の宣告。徐は強い意志で闘病を始め、一時は病状も好転、周囲の人々も「奇跡」を期待した。だが、金珍英の献身的な看護にもかかわらず、09年になると病状が急激に悪化した。
 09年5月に入ると意識混濁や鎮痛剤などのために眠る時間が増えた。5月23日、盧前大統領が自殺した。日本留学の先輩で徐の長年の友人である趙誠宇(チョ・ソンウ)はあえて盧前大統領の自殺を徐が意識を回復している時を見て伝えた。徐は「エエッ」と驚き、しかし、そのまま再び意識混濁に陥った。徐が盧前大統領の自殺をどのように受けとめたかは分からない。

根拠なくレッテル張る風土 政府の仕事が命奪った

 「徐東晩(ソ・ドンマン)は本当に親北左派なのか。私は彼の博士論文を含め各種寄稿文や発言録を点検してみた。結論は『親北左派ではない』だった」「一人の進歩的な傾向の学者を根拠もなく、アカ攻撃し、何の責任も取らないわが社会の誤った風土が問題だ」
 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が発足し徐東晩が 国家情報院の企画調整室長に任命されると、徐は野党や保守マスコミから「親北左派」のレッテルを張られ、集中攻撃を受けた。
 しかし、その中で保守マスコミの一翼を担う中央日報の権寧彬(クォン・ヨンビン)副社長兼編集人(当時)は2003年5月8日付の「徐東晩を知っているのか」と題したコラムで、論文すら読まずレッテルを張る韓国社会の無分別さを痛烈に批判した。
 徐は「コラムを読んでびっくりした。ありがたかった。会ってみると私の論文をかなり読んでくれていた」と感謝した。
 金榕ヒョン(キム・ヨンヒョン)東国大教授は京郷新聞に寄稿した徐への追悼文で「盧武鉉政権の対北政策と対外政策の下絵を描いた重要な人だった。南北間の平和共存と共同繁栄の道に熱情をささげた。学者として国情院企画調整室長を引き受け、改革に没頭した。この時、健康が悪くなり始めたようだ。政府の仕事をしていなければと本当に残念でならない」と徐を惜しんだ。(文・写真 平井久志、文中敬称略)=2009年08月26日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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ソウル近郊の国立がんセンターの病床で、妻の金珍英の看護を受けながら文書を読む徐東晩

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