無実の訴え、いまだ届かず

大麻所持で無期刑の邦人  生きるだけで「ぎりぎり」

 真っ昼間なのに房内は土蔵の中のように暗かった。10畳ほどの板の間に男たちがうつろな目で立っていた。「ここです。私の寝場所は」。鈴木英司(53)=愛知県出身=が指さしたのは、人間がやっと一人、横になれる暗がりだった。
 マニラ首都圏南郊にあるモンテンルパ刑務所。第2次大戦後、日本のBC級戦犯が収容されていたことでも知られる。ここに来て鈴木は14年、逮捕からは15年になる。
 1994年4月、鈴木はフィリピン中部ネグロス島のバコロド空港で大麻を隠し持っていたとして逮捕された。鈴木によると、その大麻は前夜に知り合った女性から空港前で「みやげに」と渡された菓子箱の中にあったもので「大麻が入っているなんて思いもしなかった」。だが、片言の英語しか話せなかった鈴木は「抗弁もできず、頭が真っ白になった」。
 バコロド訪問は、日本人の知人男性から立て替え金の返済を受け取るためだった。当時、鈴木はこの男性と日本への陶土や石材輸出のビジネスを手掛けていた。しかし、男性は返済を拒み、やむなく帰国しようとしたときに事件は起きた。
 逮捕後、鈴木の身柄は警察ではなく、なぜか金の返済を求めていた知人男性宅に置かれた。その間、知人男性からは「300万円で解決できる」とも持ち掛けられた。

地元ラジオが支援

 数日後、「サインすれば釈放される」と知人男性に言われるがまま、鈴木は内容も理解できなかった英語の書類にサインした。その書類が麻薬所持の罪を全面的に認める訴状だったことを知ったのはずっと後だ。
 事件をめぐっては、バコロドの地元のラジオ局が「でっち上げ」との見方で異例のキャンペーン報道を続けたが、94年12月のバコロド地裁の判決は死刑。フィリピンでは同年から「治安対策」として死刑が復活(2006年に再び廃止)、対象犯罪に殺人のほか麻薬関連、身代金目的誘拐、レイプなどの罪も加えていた。
 翌95年11月、事件は思わぬ展開を見せる。鈴木を逮捕、捜査を指揮したバコロド警察麻薬捜査局長のアルカンタラ自身が、麻薬所持容疑で逮捕されたのだ。その後、アルカンタラは地元紙の取材に「鈴木の事件は菓子箱を渡した女性らによるでっち上げだった」と証言。日本のテレビ局の取材でもそれを認めた。
 日本の国会議員も動き、超党派で議員128人が署名、公正な裁判を求める嘆願書をフィリピン側に渡したが、03年10月の最高裁判決は「無期刑」。減刑にはなったが、無実の訴えは認められず、鈴木が刑務所から出る道はもはや仮釈放か恩赦しかない。

頑固一徹の父の涙

 「思えば、いいかげんに生きてきた罰をここで受けている気もする。ただ大麻事件だけは無実。信じてほしい」。刑務所の庭で鈴木はそう話す。
 日本では仕事絡みで借金を重ね、親に迷惑をかけ続けてきた。「(旧日本軍の)予科練出身で頑固一徹」だった父・普は、病身をおして一度だけフィリピンに面会に来た。会うなり息子をしかり飛ばしたが「必ず出てこい」と最後は涙をぬぐった。その父は2年前に亡くなった。
 刑務所内には売店や飲食店、さらにはテニスコートまである。受刑者が房外に出るのも昼間は自由。週に4日は受刑者の家族も中に入れる。房内に宿泊できる日もある。
 金さえあれば、たばこから酒に至るまで「ここでは何でも手に入る」。3畳間ほどの個室を持ち、テレビやラジカセなどの電気製品も置いている受刑者もいる。日本の刑務所とはあまりに違う風景にとまどった。
 だが、金がない受刑者は鈴木のように大部屋で雑魚寝。鈴木は年金生活の母(73)からの月1万~2万円の送金で「ぎりぎり生きている」と言う。
 「3度の食事は出るが、昼飯で茶わん1杯の飯に具が少し入ったスープぐらい。これだけだと栄養失調になる」。病気になると、医師が診察するが、薬代などは自己負担。「金がない受刑者は次々と死んでいく」
 最近、鈴木には白髪がめっきり増えた。「だれかを恨む気持ちはもうない。ここを出られたら、地道に人生をやり直したい」。別れ際、歳月をかみしめるように、鈴木は言った。
鈴木はことし6月21日、恩赦により釈放されたが、罰金100万ペソ(約200万円)の支払い義務は残っており、フィリピンの入管施設にいまだ拘束され続けている。  カンパは「鈴木英司を支援する会」代表 山本伸二 電話090(8134)7591まで。

事件めぐり大使館の失態も

死刑判決まで接見せず

 鈴木英司は、2006年3月、携帯メールを通じて知り合ったフィリピン人女性マリッサ(28)と獄中結婚した。「今は彼女が心の支え」と言う。
 鈴木の事件をめぐって、逮捕当時の在フィリピン日本大使館は重大な失態を犯している。邦人が身柄を拘束された場合、大使館員はすぐ本人に接見することが邦人保護の基本。だが、鈴木のケースでは、死刑判決が出る可能性のある罪で起訴され、しかも無実を訴えていたことを知りながら、大使館は判決まで一度も接見せず、接見をしたのは判決の翌日だった。鈴木は「通訳や弁護士のあっせん、法手続きのチェックだけでもしてほしかった」と話す。
 在フィリピン大使館総領事の側島秀展によると、現在は「日本人の身柄拘束情報を得たら、ただちに接見を行い、必要な助言を行っている」。
 ただ、フィリピンでは鈴木を含めてモンテンルパ刑務所に7人、警察の留置場や入管収容所などに20人以上の日本人が拘束されており、邦人保護担当官は日々、対応に忙殺されている状況だ。この国に移住したものの所持金を使い果たして生活苦に陥り、帰国費用の支援などを求めてくる「困窮邦人」の数も非常に多いという。
 フィリピンは、海外での日本人殺害事件の発生も10年連続最多で、昨年は8件起きている。(文 石山永一郎、写真 村山幸親、文中敬称略)=2009年06月24日

 

 「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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マニラ郊外にあるモンテンルパ刑務所で、獄中生活のつらさを語る鈴木英司と、心配そうに見つめる妻のマリッサ。鈴木はこの日、体調を崩し寝込んだ。刑務所内に病院はあるが、薬代などは自己負担のため、満足な治療が受けられず死んでゆく囚人も多いという

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