妃殿下は人生の道しるべ 

ろうあ者の長男育てながら  障害者タウンの夢果たせず

 ソウルの郊外、京畿道南楊州市金谷洞に李王朝最後の皇太子、李垠(イ・ウン)殿下と、日本の皇族から李殿下に嫁いだ李方子妃の眠る陵墓「英園」がある。
 韓国の人々も訪れることの少ない陵墓に、毎月陰暦の1日と15日に必ず参拝する韓国人女性がいる。方子妃と約35年間、ともに福祉活動に献身してきた金寿姙(キム・スイム)(88)だ。
 金寿姙は方子妃が李殿下と結婚した翌年の1921年、開城に生まれた。裕福な家でわがままいっぱいに育ち、開城のキリスト教系の名門、好寿敦高等女学校で学んだ。
 19歳の時に結婚した。日韓合弁の金融機関に勤めていた夫の仕事の関係で中国東北部の撫順へ行った。社宅で日本人と付き合い日本語も完全にマスターした。このころまでは何の苦労もない順風の人生だった。
 42年に長男が生まれたが、1歳前に髄膜炎で高熱を出し、聴覚に障害を負い、ろうあ者として歩まねばならなくなった。45年に朝鮮半島は解放されたが、ソ連軍の進攻や、途中の北朝鮮で夫が「反動罪」で逮捕されるなど、親族の住むソウルへの引き揚げは苦難の連続だった。引き揚げ途中の新義州で生まれた次女は出生直後に亡くなった。ソウル到着は46年秋だった。
 1男4女を育てたが、ろうあ者の長男の教育に情熱を傾けた。しゅうとめまでが障害者に教育をして何になるのかと言った。「一生忘れません。今、目の前にいても殴ります」

運命的出会い

 息子を水原ろうあ学校に入れた。成績も優秀で絵画にも才能を示し、長官賞などたくさんの賞をもらった。国立ろうあ師範学校を卒業し、教師になろうとしたら、法律改正で障害者が障害者を教えることはできないとされ、教員免許が出なくなった。だが、国と闘い、息子を水原ろうあ学校の教壇に立たせた。
 65年に日韓条約が締結され、その年の秋、運命的な出会いがあった。李方子妃が息子が勤めるろうあ学校に見学に来た。校長が日本語の堪能な金に来てくれと頼んだ。
 福祉の仕事をしたいというのは病床の李垠殿下の願いだった。方子妃はその思いを受け、福祉施設を訪問していた。
 方子妃は金に「いっしょに福祉の仕事をしましょう」と訴えた。「方子妃は私をとても高く評価してくださった。息子に教育を受けさせ、闘ってまで教壇に立たせた私となら、何でもできると思ってくださった」
 方子妃にとって、金が日本語が堪能であったことも心強かった。66年に方子妃は福祉の社団法人「慈行会」を立ち上げ、自分が会長に、金は理事に就任した。

 長男は66年4月に特殊学校教師の免許を取得した。しかし、教員になって3年ほどの時、道端で大けがをして倒れていた。息子はその理由を何も語らず、出勤しなくなった。「学校でいじめられたのだと思います。障害者は差別に敏感です。運命です」

奉仕は手先で

 そうしたことがあっても、方子妃が陶磁器をつくり絵画を描き、金も洋裁をし、小物をつくりバザーを催したりした。方子妃の口ぐせは「奉仕は手先でするものですよ」だった。
 李垠殿下は70年に亡くなったが、方子妃は韓国に残り、福祉事業を続けた。72年には水原に障害者のための「慈恵学校」を開いた。その後、金の夫も亡くなったが、父、金東鎮(キム・ドンジン)が支えてくれた。「父は何でも私の言うことを聞いてくれた。本当に私を愛してくれた」
 方子妃と金の夢は障害者が幼稚園から老人ホームまで暮らすことのできる障害者タウンをつくることだった。京畿道に土地を購入する契約までしたが、途中でこの計画は挫折した。
 方子妃が89年に亡くなり20年。金は今、京畿道汶山市のアパートに60代後半になったろうあ者の長男と2人で暮らす。「いろいろやったが、残ったものは何もない。被扶養者の息子だけ」と嘆く。
 だが、金は「私もろうあ者の息子のために苦労した。でも、皇族に生まれながら、日韓の歴史の中でご苦労された妃殿下のことを思えばどれほどのことでもない。妃殿下は私の人生の道しるべだった」と振り返った。

顕彰事業や皇族の参拝を

李王朝と新羅王朝の出会い

 李方子妃と金寿姙の出会いは、日本の皇室から李王朝に嫁いだ両国王室の「懸け橋」と「新羅王朝の子孫」との出会いでもあった。
 1910年に日本が朝鮮半島を植民地化した。「日韓融和」の象徴として、李王朝最後の皇太子、李垠殿下と昭和天皇の香淳皇后のいとこである梨本宮家の長女、李方子妃との婚約が16年に発表され、二人は20年に結婚した。政略結婚で、方子妃の生涯は日韓の歴史に翻弄(ほんろう)された。
 金寿姙は新羅の最後の王、敬順(キョンスン)王(在位927~35年)の35代目の子孫に当たる。
 良家の子女として生まれながら、ともにいばらの道を歩んだ二人は障害者福祉の道で出会った。
 金寿姙は方子妃に「私も新羅王朝の皇孫ですよ」と言うと、方子妃はおしゃべりで積極的な金に「そう、威厳を払わなくっちゃね。皇孫なんだから」と冗談を言い返して来た。皇孫のためか、金のしゃべる日本語はとても丁寧だ。
 李方子妃が亡くなって20年。金は「日韓の激動の歴史の中で苦労した方子妃のことが次第に日本で忘れられつつあるのでは」と愁える。「方子妃殿下を何らかの形で顕彰してほしい。そして、日本の皇族の方たち、天皇陛下が方子妃の陵墓を参拝してくだされば良いのですが」。来年は日韓併合100年、区切りの年である。(文 平井久志、文中敬称略)=2009年06月17日

 

 「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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ソウル近郊の京畿道南楊州市の故李方子妃の眠る陵墓に向かい礼をする金寿姙(撮影・金民熙)

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