核のない世界を目指して

非暴力、投獄恐れぬ闘士 被爆国・日本と深い縁

 「 市民外交官 (シチズンズ・ディプロマット) 」。母国の国益を最優先する職業外交官とは異なり、レベッカ・ジョンソン(58)のように「世界市民」の利益を探求する活動家を評した言葉だ。
 核軍縮に携わる人なら、レベッカを知らない人はまずいないだろう。ロンドンに拠点を置き、国連などの場で情報収集とロビー活動を展開。度重なる投獄も経験した筋金入りの反核の闘士は被爆国とも浅からぬ縁を持ち、徹底した非暴力の精神で「核なき世界」を目指し奔走し続けている。

覚醒の日

 1週間しか滞在しないつもりだったが、いつの間にか5年ものキャンプ生活に及んでいた。学者への道を閉ざす覚悟をした上での選択だった。
 長崎が原爆の日を迎えた1982年8月9日。レベッカは、ソ連に対抗して西側が巡航ミサイルの配備を進める英南部グリーンハムコモン空軍基地に向かった。反核運動のピケに加わるためだ。
 「覚醒の日だった。行って初めて重要な問題だと気付き、自分の時間をこの問題に費やさなくてはならないと実感した」と当時を思い起こす。
 基地前で核兵器撤去を叫ぶ寝袋生活が始まった。日本への留学準備も進めていたが、仲間たちと反戦と非核を訴える抗議行動に身を投じることに決めた。この時は「日本留学も、学者への道もあきらめた」と言う。
 79年、日本に住んでいた姉を訪ねて初来日、英語教師として生計を立てながら2年間を過ごした。東京・神楽坂に一人住まい、毎日通った銭湯で芸者さんらと世間話に興じた日々。英国へ戻った後も、日本やアジアに関する学業を極めたいという思いがあった。
 そんな直後に訪れた「覚醒の日」。基地内に侵入して逮捕・収監されても、基地前で抗議行動を繰り返す。英国の冬は厳しい。夜は、外して容器に入れたコンタクトレンズが凍結しないように寝袋の中で温め続けた。
 87年12月、米ソ両国は中距離核戦力(INF)廃棄条約に調印、欧州からの中距離核ミサイル撤去が決まった。「私たちが勝った。だから基地の前を離れることにした」

フェミニズム

 これを機に就職した国際環境保護団体グリーンピースでは、核実験の全面禁止を目指し世界中の非政府組織(NGO)との調整役を任された。米国やソ連、太平洋の核実験被害者を訪ね歩き、禁止条約成立へ向けた国際世論形成を進める。
 92年、旧ユーゴスラビアでボスニア人、セルビア人、クロアチア人の三つどもえの民族紛争が発生、レベッカにまた新たな転機が訪れた。「国粋主義的な兵隊が多くの女性をレイプした。戦争に反対し女性を支援する活動に加わりたかった」と当時の思いを語る。
 グリーンピースを辞め、ボランティア活動に加わった。難民キャンプの女性や子どもの支援、犠牲者の心をケアするカウンセラーの現地派遣…。それは、自身の原点でもあるフェミニズムに根差すものだった。
 レベッカはこの後、再び軍縮活動に戻る。ジュネーブ軍縮会議で包括的核実験禁止条約(CTBT)交渉が本格化したことに伴い、水面下の交渉を現地で粘り強く追い掛けた。検証手段などの技術情報も盛り込み、交渉の推移や問題点を伝えるリポートを外交官やNGO関係者に配布。交渉担当者からは「市民外交官」と呼ばれるようになった。
 「(条約名などを表す)アクロニム(頭字語)や専門用語が障壁となり、普通の人は安全保障や防衛問題が理解できないと思い込んでいる。政府や軍部は意図的にそう仕向ける。人々に理解してほしくないし、『間違っている』と言われたくないからよ」
 裏も表も知り尽くした専門家はできるだけ分かりやすく、明快に世界中の市民に核や軍備、防衛の問題を発信し続けている。95年にレベッカが設立した研究所の名前は「アクロニム研究所」だ。
 いったんあきらめた博士号は2004年に取得した。安定した給与と年金が保証された大学教授職は魅力的、でも「活動家」を貫きたい—。今はそう実感している。

ライン

原点はフェミニズム運動 「能動的な非暴力」を追求

 日本の非核系非政府組織(NGO)の中心的存在である 川崎哲(44)は、十数年の親交があるレベッカを「風格と威厳があり、強くて真っすぐな人物」と評する。
 川崎の脳裏に鮮明に焼きついているのは、2000年春の核拡散防止条約(NPT)再検討会議での光景だ。
 ニューヨークの国連本部の一室に、各国の外交官やNGO関係者ら数十人が参集。自国の立場を説明する外交官と、鋭い批判を浴びせるNGO側が延々と議論を交わして収拾がつきそうにない中、巧みにまとめたのが司会役のレベッカだった。
 一介の活動家にすぎない彼女が国連に現れると、次々に外交官があいさつに来る。各国の立場を熟知しており、情報の“交差点”にいるからだ。
 独特の存在感を示すレベッカだが「自分が間違っているかもしれないと絶えず意識している」と語り、自戒と謙虚さを忘れることがない。
 また自身を「パシフィスト(平和主義者)」と呼ぶことを嫌う。「より能動的な非暴力哲学とその実践」を目指してきたからだと言う。
 原点は1970年代に傾斜したフェミニズム運動だ。日本滞在中は、女性史研究家の 井手文子 (いで・ふみこ) も在籍したグループに参加。「力の本質」をフェミニストの視点から見詰め、「非暴力が内在する力」について考え、追い求めてきた。(文 太田昌克、写真 岩竹美奈子、敬称略)=2012年12月12日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

自身の活動家人生について語るレベッカ・ジョンソン。日本の文化への造詣も深く、講演などで日本を訪れる機会が多い。自戒の念を忘れぬ非暴力の精神は、尊敬する両親に負うところが多いという=ロンドン市内

自身の活動家人生について語るレベッカ・ジョンソン。日本の文化への造詣も深く、講演などで日本を訪れる機会が多い。自戒の念を忘れぬ非暴力の精神は、尊敬する両親に負うところが多いという=ロンドン市内