すべては来世のために

貧者の「最後の受け皿」 イスラム神学校の日々

 「現世の生活を好む者は業火がその住まいとなる。だが、主の御前に立つのを恐れ、魂の欲望を抑えた者は楽園が住まいとなるのだ」
 午前6時、夜明け直後の薄明かりの中、シャルワル・カミーズと呼ばれる南アジアの民族衣装を着込み、丸刈り頭に帽子をすっぽりとかぶった少年たちがじゅうたんに座り、イスラム教の聖典コーランの一節を一心に朗読していた。
 マドラサ(イスラム教神学校)「ウスマニア」は首都イスラマバードの住宅街の一角にあった。ここでは7〜15歳の少年約150人が寄宿し、イスラム教を学ぶため共同生活を送っている。

まず覚えなさい

 ナウマン・モハンマド(10)はここに入学してまだ8カ月だ。読み上げていた一節の意味を尋ねると「よく分からない。先生からまず覚えなさいと言われたから」と恥ずかしそうに答えた。それもそのはずだ。手に持つコーランはアラビア語で、母語のウルドゥー語ではない。最初にアラビア語の音を覚え、その後はひたすら暗記する。
 豊かなひげをたくわえた講師のジャラルディン(25)は「意味よりもまず原文を忠実に覚えることがイスラム教の基本教育だ」と説明する。数年間を費やして完全に暗唱できた生徒だけが、内容や意義を学ぶ別のマドラサに移ることができる。
 ほとんどの生徒が片膝を立てて座り、体を前後に揺らしながら朗読していた。「こうすると覚えやすいって聞いたんだ」とナウマンは笑う。
 パキスタン各地に点在するマドラサに入学するのは、貧しくて公立学校にも通えない子どもが大半だ。ナウマンの家は校舎から車で30分程のイスラマバード近郊ラワルピンディにあるが、父親のアシフ(35)は「職もなく食べさせることも、育てることもできない」とマドラサに入学させた。
 寄宿生活の朝は早い。夜明け前に起床して最初の祈りをささげ、途中の昼寝を挟んで夜までひたすらコーランを暗唱する。そして、消灯後はみんなで雑魚寝。テレビやラジオは「勉強に良い影響を与えない」ため置いてないが、3食付きで教材や衣類は全て無料だ。

 運営費用は全て周辺住民の寄付で賄われている。寄付を続けている近所の主婦アワン(56)は「マドラサは行く当てのない貧しい子の最後の受け皿。支えるのはイスラム教の教えよ」と語る。

先生になりたい

 パキスタンでは「救済施設」として認知されているマドラサだが、2001年の米中枢同時テロをきっかけに、欧米メディアからは「テロリストの養成所」と激しい批判を浴びた。パキスタンのマドラサ卒業生が中心となった隣国アフガニスタンの旧タリバン政権が、同テロを主導したとされる国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者をかくまったからだ。
 だが、もともと冷戦を背景にマドラサを支援したのは米国だった。旧ソ連が隣国アフガンに侵攻した後の1980年代半ばに、多くのマドラサは米国やサウジアラビア、パキスタンの援助を得てソ連軍と戦うムジャヒディン(イスラム戦士)の「前線基地」になった。
 ソ連軍撤退後は軍事訓練を施すマドラサは激減。マドラサに詳しい地元シンクタンク理事のイムティアズ・グルは「多くのマドラサは宗教教育を続けているだけで、公教育が未発達なパキスタンには不可欠だ」と言う。
 校長のリアカット・アリ(52)は「どこにも武器なんてない。われわれは欧米のプロパガンダの犠牲者だ」と嘆く。
 早朝からコーランと苦闘し続けていたナウマンに離れて暮らしている家族の話を聞くと、少し寂しそうな表情を見せた。だが、休憩時間には、他の生徒たちと大好きな国民的スポーツのクリケットに興じ、「クリケットをしている時がいちばん好き」と、すっかり明るい顔になった。
 将来は何になりたいの? 「早くコーランを覚えてマドラサの先生になりたい。そしたらきっと素晴らしい来世に行けるかな」。ナウマンはしばらく考えてから答えた。

ライン

公教育の不足が背景に 急進的思想の土壌にも

 公立教育施設が質、量ともに不足しているパキスタンでは、経済的な事情で公立学校に通えない生徒はマドラサ(イスラム教神学校)に通う。マドラサは貧困層に無料で教育を施す施設となっている一方で、聖典コーランの暗唱主体の教育が「急進的な思想を助長する」との指摘もある。
 パキスタンは1947年の独立以降、インドとの対立を背景に、基礎教育の整備より安全保障上の政策を重視した。98年に核実験を実施した後には国際社会から経済制裁を受けたことも響き、教育関連予算の割合は低く抑えられ続けてきた。
 マドラサは公的教育制度の穴を埋める形で増加、特に80年代にはアフガニスタンから流入した難民を受け入れて急増した。パキスタンの地元シンクタンク理事イムティアズ・グルによると、同国内には約1万9千校あり、うち約7割が北インドから広がったデオバンド学派という。
 同学派は、隣国アフガニスタンの旧タリバン政権に影響を与えたとされ、原理主義的な側面ばかりを強調されがちだが、大半のマドラサで実際に教えているのはコーランの暗唱と初歩的な国語や算数だけだ。
 グルは「マドラサが『テロの温床』というのは誤解だが、偏狭な教育をしているのは事実だ。急進的な発想の土壌にもなりかねない」とも指摘している。(文・写真 高木良平、敬称略)=2012年12月05日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

昼食時にナンをほおばるマドラサの生徒たち。コーランを読む時の真剣な表情とは打って変わり、和やかな表情を見せていた=イスラマバード

昼食時にナンをほおばるマドラサの生徒たち。コーランを読む時の真剣な表情とは打って変わり、和やかな表情を見せていた=イスラマバード