丸木舟で祖先の旅再現

スラウェシから沖縄まで 関野吉晴の挑戦続く

 遠浅の青い海原に二隻の小舟がゆっくり漕ぎ出した。赤道に近いインドネシア・スラウェシ島カラマ村。2009年4月13日朝、探検家の関野吉晴(60)が新たな旅を始めた。
 「穴や傷が多く欠陥だらけで逆にいとおしい」という丸木舟「縄文号」(全長6・8メートル)と地元マンダル人の伝統木造船「パクール号」(全長11メートル)は涙ぐむ村人らに見送られ、約4千キロ離れた沖縄へと旅立った。
 目的は太古に日本人の先祖の一部が黒潮に乗り、「海のルート」で来たという仮説の実証。遠征隊10人はマレーシア、フィリピン、台湾と島伝いに北上し琉球列島に向かう。帆と櫂(かい)だけでエンジンは積んでいない。途中、海賊やイスラム原理主義過激派アブサヤフが活動する危険な海域も通るため、各国海軍などに協力を要請中だ。
 旅のコンセプトは「縄文時代のモノづくり。必要な素材をすべて自然の中から得て自分たちでつくる」。まず舟を造る道具を日本で作ることから始めた。千葉県の九十九里浜で砂鉄120キロを集め、岩手県久慈市でマツの木三トンを焼いて木炭300キロを作った。それらを使って古代の製鉄技術「たたら製鉄」で得たわずか5キロの粗鋼で鍛冶職人にオノやノミなどの道具を製作してもらった。  「鉄は古来、豊かさの象徴で、鉄を支配した者が世界を制してきた。しかし、その鉄器を作るため人類がどれだけ森を破壊してきたかよく分かった」と関野は語る。

偉大なる旅

 関野を一躍有名にしたのは1993年に始めた「グレートジャーニー」だった。アフリカで誕生した人類はアジア、北米へと広がり、南米最南端のナバリノ島まで到達。その人類移動の歴史を、自転車など自分の脚力と腕力だけで逆に南米からさかのぼる旅だった。
 関野は「旅には縦糸と横糸がある」と語る。出発地と目的地を線で結ぶ移動が縦糸、途中での寄り道が横糸だ。「自分の生き方に一番影響を与えるのは人との出会い。各地の人々と交流する寄り道こそ旅の中心。ただの移動に興味はない」
 2002年、タンザニアで足掛け10年の旅を終えたとき、妻と娘からは「海外渡航禁止令」が出たが、既に次のテーマが浮かんでいた。「日本人はどこから来たのか」。世界各地で異なる文化と接するうちにわいた疑問であり、「自分の足元を見てこなかった」という反省でもあった。
 2004年、日本列島にやってきた祖先の旅をたどる「新グレートジャーニー」を開始。最初がシベリアから北海道の北方ルート、次が南アジアから中国、韓国を通る南方ルート。そして最後が今回の海のルートだ。

舟造りで苦労

 2008年7月からスラウェシ島の民家に住み込み、

舟造りを始めたが、まず木の伐採方法でもめる。地元の大工はチェーンソーで切りたがった。「日本から持ってきたオノで切りたい」と話すと誰もがあきれて首を振った。
 持参した道具だけで、今は造られていない伝統木造船造りを指導してくれる船大工棟梁(とうりょう)を探したが「無理だ」と断られ続けた。やっと「父が棟梁だった」という人が引き受けてくれたが、船底部の板の継ぎ足しにノコギリとドリルを使わざるを得ないことが分かる。旅のコンセプトからの逸脱に悩んだ末、もう1隻、板を継がないで済む丸木舟を造ることにした。
 丸木舟造りに必要な直径1・5メートル以上の大木もなかなか見つからなかった。地元の人びとは「そんな大木は国立公園内にしか残っていない」と口をそろえた。森林の多くはプランテーション造成などで伐採されていた。探し回り、ようやく2008年12月、高さ54メートル、直径1・8メートルの巨木を森の中で発見した。
 だが木を切ると内部は腐っていて空洞。「頭が真っ白になった」が、舟の全長を予定より1・5メートルほど短くし、なんとか「不格好で国籍不明の、世界で一つしかない丸木舟」を造り上げた。
 関野は写真家、外科医、文化人類学者など多彩な肩書をもつが「冒険家」ではないと強調する。「冒険家は達成感を求める。到達したら終わり。探検家は途中で何を見るか、何をするかが大切なんだ」。

編集後記

壁を越えようと励ます 卒業生2人も旅に同行

 関野吉晴は2002年から東京都内の武蔵野美術大教授として若者に文化人類学とともに探検と旅について教えている。

 「探検家になるにはどうすればよいですか」「女性でも探検家になれますか」などと尋ねてくる学生らも多い。
 だが「忙しいから、女性だから、親が反対するからと自分で壁をつくり、結局何もしない人がほとんど」と漏らす関野は2007年、課外の「アウトロー講座」を始めた。各界から型にはまらない生き方をしてきた人々を招き、学生らを刺激し「壁を越えよう」と励ましている。
 それでも、教室で教えることには限界がある。関野は今回の「海のルート」の旅で初めて、大学の卒業生の前田次郎(26)と佐藤洋平(25)の二人を同行させることにした。
 前田は関野と一緒にスラウェシ島で暮らす中で「やりたいことを貫く姿勢を学んだ。自分の夢を将来実現させる上で何よりの糧になる」。佐藤も「人付き合いをすごく大切にすることを学んだ」と語る。
 関野は「旅の現場では多くの発見があり、これまでの旅でも自分一人ではもったいないと思っていた。これから社会を担っていく人間を連れて行こうと考えた」。
 60歳の探検家は、次の世代への期待も寄せている。
 悪天候などが重なり丸木舟は2010年11月現在、フィリピンで待機中。航海は来年、再会される予定だ。(文 淵野新一、写真 中野智明、文中敬称略)=2009年5月20日、一部をこのほど追加取材

 「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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出航の準備を終え、勢ぞろいした日本・インドネシアの混成クルー。関野吉晴(左から4人目)は、前田次郎(その左)、渡部純一郎(右から4人目)、佐藤洋平(右端)とともにはるか沖縄を目指す=インドネシアのスラウェシ島

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