サーミとして死ぬなら… 

故郷は「汚染地帯」に  原発事故から四半世紀

 早春の雨が幼いマルグレット・フィエルストロームに降り注いだのは1986年4月29日、ソ連のチェルノブイリ原発が爆発して3日後の朝だった。トナカイを飼育する両親と暮らしていたスウェーデン北部の山あいで浴びた重く冷たい雨粒を、先住民族サーミのマルグレットは31歳になった今も覚えている。
 「トナカイと遊んでいたら大きな雨音がして…。土砂降りになったの」
 深い緑色の毛布を広げたような丘陵に湖沼が点在する美しい故郷は、その日を境に放射能の「汚染地帯」となった。
 事故のニュースが届いたのは数日後。それから約1年間は理由も分からぬまま、被ばく検査を繰り返し受けた。「体や生活がどうなっていくのか分からず、怖かった」。あれから四半世紀、マルグレットは北部ビョーナで、民族の誇りであるトナカイ飼育を引き継ぎ、安全な暮らしを取り戻す日を待ち続ける。

迫られた選択

 チェルノブイリが吐き出した放射性物質は千キロ以上離れた北欧上空にも達し、雨で地上に落下した。トナカイが冬季に好んで食べるハナゴケは「放射能のスポンジ」と呼ばれるほど放射性物質を吸収しやすい。
 深刻な影響を受けたのがサーミだ。事故間もない調査では、食用トナカイ肉の約8割がスウェーデン政府の定めたセシウム137の残留基準を超え、約3年間、販売が禁止された。
 地元の大学病院の放射線医療医師、レナート・ヨハンソン(60)は「成長の遅いハナゴケは動物に食べられない限り、約30年は生きる」と話す。自然と共存するサーミには欠かせない食料のキノコやコケモモなどのベリー類も残留量が多い。
 民族の権利向上を目指すサーミ議会の議員でもあるマルグレットは「サーミは選択を迫られた」と言う。トナカイと生きる自然との暮らしを捨てるか、放射能の影響を受け入れて生きるか。彼女は後者を選んだ。
 トナカイの皮靴をはき、肉を食べ、骨で狩猟道具をつくってきたサーミの伝統、「それを捨てたら、サーミではなくなる」。

自宅にある皮加工用の作業場で話をしていたマルグレットの目が一瞬、鋭くなった。
 「放射能のためにがんで死ぬかもしれない。でもサーミとして生きて、サーミとして死ぬなら仕方ない」。約10年前にスウェーデン人の夫ダニエル(30)と結婚し、少数民族の生活に飛び込もうとする夫の決意を知り、覚悟ができた。
 ダニエルはトナカイ飼育の合間に、ヘラジカを撃ちに山に入る。「一昨年、ヘラジカを売ろうとしたら、セシウム値が大きくて業者に拒否された」。ヘラジカはキノコを食べるためだ。
 その獲物はどうしたの?と聞くと、ダニエルは「もちろん食っちまったよ。俺の肉も規制値超えで売れないさ」と、野太い声で冗談を飛ばす。温かい笑顔の裏に、放射能と共存せざるを得ない冷たい現実が見えた。

現実と向き合う

 甲状腺に異常があり数年来治療を続けるマルグレット。事故に対する人々の関心が年々低くなっていることに、時々叫び出したくなる。「私たちはまだここにいる。放射能被害におびえて生きている」
 2人が飼っているトナカイは今でも、セシウムがキロ当たり4千〜5千ベクレルと高く、政府基準の1500ベクレルを大きく上回る。食肉用には柵の中で40〜50日間、人工飼料だけを与えて数値を下げてから出荷する。
 9歳と6歳の娘2人にはチェルノブイリ事故のことを話していない。出産前に「手が3本ある赤ちゃんが生まれたら」と心配したことを思い「汚染の事実が風化するなら、いっそ知らない方が良いのではないか」と沈黙を選んだ。
 だが、昨年春、次女リリーが、福島の原発事故のことを聞いてきた。「放射能って、目に見えないの?」「どんな悪いことがあるの?」
 同じことが私たちの故郷でも起きたのよ—。マルグレットはそう娘に伝え、一緒に現実と向き合う時が来たと感じ始めている。

ライン

数千年の歴史 失われる伝統の生活

 数千年前からスカンディナビア地方に住んでいたとされる先住民族サーミの人口は現在、推計で約7万人。うちノルウェーに約4万人、スウェーデン約2万人、フィンランド約7500人で、ロシアにも約2千人が暮らす。かつては移動式テントでトナカイを遊牧し、狩猟生活をしてきたサーミだが、次第に伝統の生活を失いつつある。
 サーミの遊牧生活に大きな影響を与えたのは、20世紀初頭に顕著になった工業化だった。スウェーデンやノルウェー北部で森林や鉱物資源を目当てにした開発が進み、数千年もの間、自然の恵みを 謳歌 (おうか) してきたサーミの伝統と利害が衝突した。
 スウェーデンのサーミは、トナカイの食性に合わせ夏の間は西部の山間部に滞在、冬は東部の平野部に移動するが、その距離は約800キロに及ぶ。放牧に必要な広大な土地は徐々に私有地化され、所有者とのあつれきも生じた。道路や建物の建設で移動がしにくくなり、トナカイ飼育を捨てて都市生活を始めるサーミも現れた。1986年のチェルノブイリ原発事故の影響もあり、スウェーデン政府によると、トナカイだけで生計を立てるサーミは10%程度まで減っていると推定される。
 80年代以降は各国でサーミ議会が創設され、民族の権利を主張し、学校でのサーミ語教育を促進するなど民族文化復興の動きも活発化している。(文・写真 半沢隆実、文中敬称略) 

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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自宅近くのハナゴケの状態を調べるマルグレット(左)とダニエル。放射性物質に汚染されている恐れがあり、出荷前のトナカイに食べさせないようにしている=スウェーデン北部ビョーナ