情熱で醸す「裸島」

「新しい文化創りたい」  日本酒に魅せられて…

 太い指が黙々と、リズムを刻むように、まだ湯気が立ち上る蒸し米をほぐしていく。まなざしは真剣そのものだ。張り詰めた空気の中で仕込みが一段落すると、シェティル・ジキウン(48)は満足そうにうなずき、顔にようやくいつもの柔和な表情が戻った。
 首都オスロから南に車で約3時間、南部グリムスタの田園地帯にジキウン率いるノルウェー有数の地ビール醸造所、ヌウグネ・エウ社がある。ここは欧州初の日本酒の蔵元でもある。
 豊かな緑に囲まれ、すぐ脇には澄み切った小川が静かに流れる。以前は発電所だったという建物は天井が高く、実用性を重視したシンプルな内装はいかにも“北欧”だ。

一口の出会い

 「決して妥協しない」—。ジキウンの名刺に印刷されたこの哲学が隅々まで染みわたる。
 醸造する日本酒「 裸島 (はだかじま) 」は計6種類。うち5種類は加熱処理を行わない生酒だ。手間が掛かるため日本でも少数派となった「山廃仕込み」の酒造りにこだわる。
 「山廃の酸味とコクが西欧料理に合うんだ」。グラスに注ぐと 芳醇 (ほうじゅん) な香りが広がった。親がわが子を見るように、ジキウンは優しく見詰める。
 社名を直訳した「裸島」は、劇作家イプセンの詩からとった言葉だ。厳しい環境で緑が少ない島を意味し「“裸”でも存在し続ける島のイメージと、逆境でも挑戦を続けようという会社の理念が重なった」とジキウン。
 酒米は品質の良い北海道産 「吟風」 (ぎんぷう) 。水資源の豊かなノルウェーでは、日本酒造りに不可欠な軟水もふんだんにある。
 設備にも工夫を重ね、酒米を蒸す容器はくず鉄から作ったビール醸造用のろ過槽を酒用に改良した。今年は6千リットルを仕込み、販売は国内が大半だがスウェーデンやドイツなどにも輸出、日本への輸出実績もある。
 日本酒との出会いは今から十数年前。当時、ジキウンはパイロットとして世界中を飛び回っていた。当初は「なじめず疎外感を感じていた」日本だが、米国人の友達に連れられて訪れた東京都渋谷区の居酒屋でそんな印象が一変する。
 勧められるままに飲んだ日本酒の一口目で衝撃が走った。

「まったく新しい感覚。まさに“味覚の革命”だった」

こだわり

 日本酒に魅せられたジキウンは、仕事や休暇で日本を訪れるたびに、各地の酒蔵を訪ね歩いて技術を学んだ。気が付けば、訪日回数は約120回に達していた。
 親交の深い長野県の蔵元「玉村本店」専務の 佐藤栄吾 (47)はジキウンを「好奇心の塊」「助けずにいられないような愛すべき人柄」と評する。
 2003年から始めた地ビール醸造は、他の追随を許さないこだわりで急成長した。しかし、胸にはいつも「欧州でも日本酒への理解を深めたい」との思いがあった。
 そして10年、「世界で最も複雑な飲み物」にほれ込んだ男は、イタリアやミャンマー出身者など約20人の仲間と日本酒造りに乗り出す。「国籍なんて関係ないし、事業計画もなかった。情熱に動かされているだけさ」
 だが「欧州初の 杜氏 (とじ) 」の困難は予想以上だった。ノルウェーには生酒の保存に適した冷蔵施設を備えた卸業者がなく、販売先は極めて限られる。「こだわり」の生酒を主力にする代償だ。
 「こんなの酒じゃない」と突き返されたことも一度や二度ではない。売り上げは伸びず、日本酒事業の損失は計50万〜100万クローネ(約680万〜1360万円)。好調な地ビール事業の利益で埋め合わせる日々だ。
 「酒造りをやめようと思った」こともあるが、日本酒人気の高まりは確かに感じる。「始めるのが少し早すぎただけ」と自らを鼓舞し続ける。
 欧州での酒造りは「新しい文化の創造。きっと理解してもらえる日が来る」。昨年まで続けていたパイロットをやめ、今後は日本酒とビール造りに専念する。
 道は遠い。しかし、ジキウンは常に遠くを見続ける。「深い海の中にいるとする。あきらめて沈む? それとも泳ぐ?」「僕たちは泳ぐ」

境界線

海外で高まる日本酒人気 「おしゃれで健康的」 

 消費減に悩む日本市場を尻目に、和食ブームに沸く海外では年々、日本酒人気が高まっている。昨年の日本酒輸出は過去最高を記録、日本政府も海外での認知度向上に向けてPR活動に本腰を入れ始めた。
 景気低迷や若者らのアルコール離れで、日本酒の国内需要は低迷。国税庁によると、1990年代は100万キロリットル以上で推移していた販売量は、2010年度には58・9万キロリットルまで落ち込んだ。
 一方、海外への輸出量は昨年、過去最高となる約1万4千キロリットルを記録。今年も7月までの速報値では、昨年を上回る過去最高ペースで推移する。
 背景にあるのは海外での和食ブーム。欧州で日本酒の普及活動を行う「酒サムライ」英国代表、 吉武理恵 は「健康に良いとの評判に、最近では『おしゃれ』というイメージも加わった」と話す。
 政府も「日本文化の象徴」として、海外での日本酒のPR活動を強化。外務省は新任大使らへの日本酒講習を行っているほか、国家戦略室も今春、官民が協力して日本酒の海外展開を図るプロジェクトを立ち上げた。
 過去3年間の日本酒輸出先は米国、韓国、台湾が上位を占める。ワイン消費が圧倒的な欧州ではこれまで苦戦してきたが「日本酒は西洋料理とも合わせやすいという認識が欧州でも次第に広まってきている」(吉武)。(文 黒崎正也、写真 鐙麻樹、文中敬称略)

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

secondpicture

酒の仕込み作業で蒸し米をほぐすシェティル・ジキウン。「触ってごらん」と一握り渡された蒸し米は適度な弾力があった=ノルウェー南部の醸造所