自由往来、果たせる日まで 

「中立統一」の理想胸に  密航、服役、再審無罪に涙

 青森の海岸で、東京から案内してくれた男と別れゴムボートに乗りこんだ。2人の工作員と乗り移った沖合の工作船が深夜の海を走る。1970年7月末、在日韓国人2世の 具末謨 (ク・マルモ) (76)はこうして北朝鮮へ密航した。帰国事業で北へ行った姉に会い、南北統一を提唱する論文執筆の資料を求めようと「北が自分を取り込もうとするのを逆利用した」のだと言う。
 「不安などなかった。姉さんに会いに行くことの何が悪いのか」
 しかし、北朝鮮での17日間は失望の連続だった。憲法研究者の具は北朝鮮の憲法構造を解いた資料を求めたが「存在もしないようだった」。北朝鮮主導の統一への協力を求めた指導員に、周辺国から支持を受けるため統一コリアは完全な中立化を宣言すべきだとの持論で応じた。偶然目にした指導員のメモは、具を「共産主義的教養が足りない」と酷評していた。
 10年近く音信不通だった姉と会えたことだけは幸いだった。紡績工場で重責を担っていた姉は「日本にいれば差別に耐えられなかっただろう」と話したという。

志士

 植民地支配下の朝鮮半島から滋賀県に渡り土建業に成功した父の下で生まれた。早大を出たが韓国籍では就職はかなわない時代。「姉は私を見て息子の将来に希望を持てず北へ行った」と話す。
 具自身は60年4月に 李承晩 (イ・スンマン) 政権の不正選挙に怒った学生が李大統領を退陣させた民主化運動を見て、その戦列に加わろうと決意した。明治維新を成し遂げた志士にあこがれていた具には韓国の学生は志士に見えた。
 在日本大韓民国民団(民団)傘下の青年組織の幹部として、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系組織と統一運動の一環として共同行事を開催。翌年韓国で陸軍少将、 朴正熙 (パク・チョンヒ) (後の大統領)がクーデターを起こすと「軍事政権打倒」を叫んだ。民団主流派から「アカ」と憎まれ、反主流派内でも運営を批判し組織とたもとを分かった。
 具は次に「尊敬される地位」に挑戦する。「在日が差別される理由の一つは祖国の分断。もう一つは社会的地位を持つ人間がいないことだ」。博士号を

取ろうと母国の延世大に留学。統一論を書くためには北の社会を見なければ、との思いが北朝鮮行きにつながった。
 その1年3カ月後。具は韓国軍に連行される。軍が訪朝の情報をつかんでいたかどうかは不明だが、具は拷問器具が並ぶ地下室での尋問ですぐに訪朝経験を供述した。それだけではない。北でスパイ指令を受け、訪朝は2度した、とのストーリーまで「自白」した。「なぜそんなことを」との問いに答えは揺れる。

光

 「一日も早く出してもらおうと捜査に迎合した。恐怖で哀願もした。屈強な男が黒い手袋をはめて、その後は覚えていない…。志士のように戦うべきだったのに、思い出したくもない卑屈な人間になってしまった」
 具は裁判で否認したが、裁判所は自白どおりの犯罪事実を認め、懲役15年の刑が確定。特赦で81年に保釈されるまで10年間を獄中で失った。
 出所後の31年間も具は「中立統一論」を唱えてきた。民団と総連が和解し、在日が南北どちらへも自由に往来できる環境をつくることがその一歩だと訴える。事業を転々と変えながら、民団関係者を北に暮らす家族に会わせ、総連側の人々の韓国訪問にも力を尽くしてきた。だが、中立統一論には「誰も耳を貸さない」。持論を一切妥協しない具と長く関係を続けた勢力はない。
 ことし7月、自由往来実現にわずかな光が差した。具のスパイ事件での再審裁判でソウル中央地裁は、訪朝は姉との 再会 と研究が目的だったと認め無罪を言い渡した。韓国国民が政府の許可なく訪朝しても、スパイ目的でなければ罰しないとの画期的な判断。北への密航を今でも「統一を語るために必要だった」と言い切る小柄で強気な男が、法廷でむせび泣いた。
 南北の緊張が再び高まる中で検察は控訴した。具も「法廷ではまだ言うことがある」と、一歩も引く気はない。

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南北双方が利用 
 終戦時には200万人 

 朝鮮半島の植民地支配が終わった1945年8月、日本には約200万人の朝鮮半島出身者がいたが、うち約60万人が残り、民族団体「在日本朝鮮人連盟」(朝連)が結成された。連合国軍総司令部(GHQ)は49年に朝連を強制解散。在日朝鮮人社会は南北に支持を分かち、在日本大韓民国民団(民団)と在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の対立の時代に入る。
 59年には在日朝鮮人を送り返したい日本と、労働力を必要とする北朝鮮の思惑が一致。北朝鮮を「地上の楽園」と宣伝した帰国事業が始まり、84年までに日本人妻を含む約9万3千人が北朝鮮へ渡った。反発する民団による妨害工作も起きた。
 60年代末には北朝鮮が武装ゲリラの韓国潜入作戦を試みたが全て失敗した。当時の首相、 金日成 (キム・イルソン) が69年11月、日本経由の工作強化を指示したと伝えられ、直後から「日本 迂回 (うかい) 」のスパイ事件摘発が韓国で急増。情報機関の集計では50〜69年に90人だった在日や渡日経験者の摘発者は70〜89年に321人に上った。
 だが韓国の軍事政権もこうした状況を民主化運動弾圧に利用した。在日韓国人の留学生らを標的に、拷問による虚偽自白でスパイ事件を 捏造 (ねつぞう) し国内を締めつけていた実態が最近次々と明らかになり、これまでに少なくとも7人の在日韓国人が再審で無罪が確定している。(文 粟倉義勝、写真 宋慶碩、敬称略)

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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父の故郷、韓国南部麗水でこの夏開かれた国際博覧会の会場で、日本食レストランの運営に関わった具末謨(右)