恐れていてはできない

女性支援で毛糸紡ぐ  WHO元事務局長の妻

 岩だらけで乾燥した灰色の急斜面にみすぼらしい小屋がへばりつくように並んでいる。リマ首都圏カラバイヨ市ロスアンヘレス地区は、寒村から都会に押し寄せた人々が住み着いたスラム街だ。よそ者にはドラッグや安酒で濁った男たちの突き刺すような視線が飛ぶ。
 リマの非政府組織(NGO)施設で暮らす 鏑木玲子(67)は、2002年から週4日、車で1時間半かけてこの街に通い、女性たちに編み物を教えている。南米原産のアルパカの毛糸を紡いでマフラーやセーターを編み、日本や欧州のバザーで売る。編み賃を支払って彼女たちの生活を支えてきた。「夫の遺志を継ぎたい」、その思いだけが心のよりどころだ。

日韓の溝

 夫の 李鍾郁 (イ・ジョンウク) は世界保健機関(WHO)事務局長だった06年5月、本部のあるジュネーブで脳出血のため倒れた。61歳、早すぎる死。韓国人で初めて国際機関トップになり、国葬だった。鏑木は夫の元に滞在中で「死に立ち会えたのは不幸中の幸い」と重い口調で語る。
 2人は1976年2月、ソウル郊外のカトリック系ハンセン病施設で出会った。大学を出て修道女を目指した鏑木は患者の世話をしており、そこにボランティア医師として訪れたのが李だった。
 献身的な鏑木に魅せられ、恋に落ちたのは李が先だ。「ただのボランティア仲間。男性として意識したことはなかった」と語る鏑木だが、異国暮らしで落ち込んでいたところを元気づけてくれた李の優しさに引かれた。
 「なぜ日本人なんかと」「外国人はダメだ」。戦後30年余、日韓の間には今より深い溝があり、双方の親族の反対を押し切って同年末に結婚。韓国の男尊女卑は激しく「女は台所で食事する時代。つらい思いもした」が、李が優しく支えた。
 78年に李の研究のため、米ハワイに転居。李は米領サモアの病院を経て83年にフィジーでWHOに。フィリピン駐在後、95年から本部勤務となり、2003年7月に事務局長に就任し貧困地域の感染症対策に尽力した。
 「誰とでも友達になれる人。芯が強く折れない」。知識欲も旺盛だった。ジュネーブに移ってから

日本語を独学で勉強、事務局長時代には邦人記者と日本語でやりとりするほどに上達していた。
 懸命に夫を支え、子どもを育ててきた鏑木だったが、一人息子の大学入学後、恵まれた生活に疑問を感じる。「夫は出張が多く気詰まりだった。昔のようにボランティアがしたくなった」

夫のために…

 李に打ち明けると「リマのスラムは貧しいが、アフリカほど危なくない」と、ペルーのNGOを紹介された。だが、その期待は見事に裏切られる。スラムの行き帰りに何度も車ごと強盗に襲われ、バス停でカバンをひったくられた。銃声を聞くのは日常茶飯事だ。仕事場のミシンも盗まれた。
 「怖くないと言えばうそ」。だが、運転資金を援助してくれた夫は生前「もし売れなくても俺が全部買い取る。頑張って成功させてほしい」と励ましてくれた。「恐れていては何もできない。夫のために長く続けたい」
 今の生徒は14人、皆スラムに住む母親だ。夫は日収20ソル(約600円)程度の日雇い仕事。編み物の手当は週4日、午後の4時間で月平均80ドル(約6400円)になり、貧しい生活の大きな支えになっている。
 16歳で電気も水道もない村から出てきたロサ・パフエロ(32)は3人の子育て中。「午後の短い時間だけの仕事は少ないから助かる」。妻の稼ぎでバイクを買った夫はバイクタクシーの運転手になった。住民同士の強盗もある地区で板張りの家に住むが、「次の夢はれんが造りの安全な家を買うこと」とほほ笑む。
 女性らを優しく見守る鏑木だが、夫の写真を見ると表情に影が差す。「一緒に暮らしていれば、死なせずに済んだかもしれない」と自分を責める日々。だが「夫はスラムでの活動を応援してくれた。夫が残してくれた遺産の仕事」なのだ。20代で日本を出て帰る場所はない。体力が続く限り、スラムに通い続けるつもりだ。

止まらない人口流入

フジモリ政権下で環境改善 

 人口約900万人のペルー・リマ首都圏では半数近くが「プエブロ・ホベン(若い町)」と呼ばれるスラム街に住んでいる。アマゾン密林地帯とアンデス山脈の先住民が多く、貧富差が激しいペルーでは1940年代以降、リマに流入した人々が土地を不法占拠した。
 リマ首都圏のスラム街は約5千カ所、人口100万人を超える地域もあるが、ロスアンヘレス地区は比較的新しく人口は数千人規模だ。95年から人が住み着き始め、電気が使えるようになったのは10年前。2年前に水道が通るまでは急斜面を家族総出でバケツを抱え、上り下りしていた。
 貧困対策を進めたフジモリ政権下(1990〜2000年)で生活環境は大幅に改善。政府が米や油を支援する食堂が作られ、燃料や他の食材などの実費、1食1・5ソル(45円)で基本的な昼食を取ることができる。
 リマ周辺のスラム街は政治家にとって大票田で、人権侵害事件で服役中のフジモリ元大統領支持派も多い。選挙運動では陣営によるバラマキ合戦が展開される。集会では有名ミュージシャンの前座で人を集め、食料や衣服など生活必需品が配られる光景が一般的だ。
 以降の政権もスラム街や貧困層の生活支援は継続。上下水道整備や学校、公園建設が進んでいるが、貧しい農村部からの人口流入は止まらず、治安は悪いままだ。(文・写真 遠藤幹宜、文中敬称略)

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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鏑木玲子が編み物を教えるスラム街、ロスアンヘレス地区。不法占拠だが、政府は電気や水道を引き住民の生活支援を行っている=ペルーのリマ首都圏カラバイヨ市