一番多く霊長類を見た男

「仕事場は森の中」研究と保護で世界駆ける

 「あっちだ。さあ早く」—。遠くから響く動物の鳴き声に敏感に反応したラス(62)が、先頭に立って歩き出す。大きな2台のカメラと双眼鏡を肩から下げ、子供のようなまなざしと足取りで、森の中を進む。
 ブラジル・リオデジャネイロから東に約100キロ、リオデジャネイロ州のポソ・ダス・アンタス自然保護区近く。この日のお目当ては、オレンジ色の毛並みが美しい小型の霊長類ゴールデンライオンタマリン。ブラジル大西洋岸の森だけに生息する絶滅危惧種で、ラスは1970年代から仲間とともに生態研究と保護活動に取り組んできた。

生態系の一員

 本名はラッセル・ミッターマイヤー。著名な霊長類学者として国際自然保護連合(IUCN)の霊長類専門家グループの議長を務める。
 森の中で動物を探す目は特別だ。「あそこだ」とラスが指さす先に、10匹ほどのタマリンの群れが、互いに鳴き交わしながら、木の実を食べている。
 写真撮影をしながら、しわくちゃのジャケットのポケットからメモを取り出し、場所と日時などを記録する。希少な動植物の調査や保護のために世界中を飛び回るラスが、フィールド生物学者を志した20代のころから続けている習慣だ。
 「ゴールデンライオンタマリンが暮らすブラジル大西洋岸の森は、今では面積がもともとあった森の7%以下に減り、ペットとして捕獲されたこともあって一時は絶滅寸前だった。でも研究者らの努力の結果、今では数が増え、こうして森の中で再び、彼らの姿を見られるようになったのです」—。森の中で出合ったツアーのグループに即席のレクチャーを始める。
 「地球上に存在する多くの生物種は生態系の重要な構成要素です。これが次々といなくなったらやがて人間もこの星に暮らせなくなる」とラス。
 「彼は世界的な霊長類学者なんだ。ここで彼の話が聞けるなんて、ラッキーだぞ」とガイドが参加者にささやく。
 動物園で知られる米ニューヨークのブロンクス生まれ。南米のブラジルやスリナム、アフリカのマダガスカルなど20カ国以上で霊長類や爬虫(はちゅう)類を中心にフィールドワークに取り組んで約40年。

 マダガスカルのキツネザルなど6種類の動物にラスの名前が冠され、自ら新種として報告した種はほかに10種近くになる。これまでに目にした霊長類は亜種も含めて約400種。多くの同僚が「世界で一番多くの霊長類を見てきた人物だ」と認める。

首脳に直談判

 ラスには、世界的な環境保護団体、コンサベーション・インターナショナル(CI)代表というもう一つの顔がある。
 英語のほか、フランス、ドイツ、スペイン、ポルトガル、スリナムという6カ国語を思いのままに駆使して世界の政治家と語り合い、保護区の設定や開発計画の見直し、国際宣言の取りまとめなどの裏方を務める。ボツワナ、ルワンダ、スリナム、キリバス、タンザニアなど、いつでも携帯電話で話ができる首脳も少なくない。
 世界的な企業家や多くの著名人と親交を結び、多くの人を生物保護の世界に引きずり込んだ。英ヴァージン・グループ会長のリチャード・ブランソン、俳優のハリソン・フォード、半導体最大手インテルの共同創業者ゴードン・ムーアら交友範囲は広い。
 「彼らを連れてゴリラやキツネザルなど希少で美しい動物を見に行く。すると誰もが種の保全の大切さに気付くんだ」
 1年の大半を海外で過ごし、米・バージニア州のCI本部の席が温まることはほとんどない。フィンランド、エストニア、韓国、インド、アラブ首長国連邦と、海外での調査や国際会議で年末までの予定が既にびっしり埋まっている。「こんなにいい上司はいないだろう。代表の金遣いが荒くて困っている同僚もいるけどね」と笑う。
 「マウンテンゴリラやキツネザル、ジャイアントパンダがいなくなった地球が、いかに味気ないものであるかを想像してみてごらん。そんな地球を次世代に渡すわけにはいかないんだ」

半数が絶滅の危機

世界に630種の霊長類

 国際自然保護連合(IUCN)によると、ゴリラやチンパンジーなどの大型霊長類からネズミほどの大きさのネズミキツネザルまで、人間に最も近い霊長類は亜種を含めて世界で約630種が知られている。その半数近くに絶滅の危険があり、ゴールデンライオンタマリンもその一種だ。
 ラスを中心とした国際霊長類学会の研究グループがまとめた2009年の報告書によると、インドネシアのスマトラオランウータンやマダガスカルのオオタケキツネザル、アフリカ・カメルーンのクロスリバーゴリラなどが、特に絶滅の危険性が高い。中には個体数が100頭以下にまで減ってしまった種もある。
 生息地となる森林の破壊や狩猟などが大きな脅威となっており、タマリンやスローロリスの仲間など小型の霊長類はペットにするために多数が捕獲され、これが個体数の減少に拍車を掛けた。
 絶滅の危機にある霊長類のほとんどはワシントン条約の対象種とされ、国際取引が禁止されているが、小型霊長類の密輸は今でも続いている。
 日本にはニホンザルとヤクシマザルが生息。人間を除く多くの霊長類が熱帯域に生息しており、温帯に暮らす霊長類はアジアに限られる。中でも青森県下北半島のニホンザルの個体群は「北限のサル」として知られ、天然記念物に指定されている。(文・写真 井田徹治、文中敬称略)=2012年09月05日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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森の中とは見違えるようなスーツ姿で国際シンポジウムに出席したラス。野生チンパンジーの研究と保護で著名なジェーン・グドール博士(左)とは長い間の友人で、霊長類の保護にともに取り組むパートナーでもある=リオデジャネイロのホテル