“敵国”で関係改善訴え

大統領と衝突、逮捕監禁  信念貫く元イラン外交官

 “敵地”米国で、祖国との関係改善を訴える元イラン外交官がいる。核問題で強硬路線を取る大統領アハマディネジャドと衝突、スパイ容疑で逮捕・監禁されたフセイン・ムサビアン(55)だ。柔軟な発想で国益実現を図り外相候補にもなったムサビアンは外交官資格を剥奪された今も、持論と信念を貫きながら独自外交を展開する。
 ペルシャじゅうたんの産地として知られるイラン中部カシャーンで生まれ育った。父は長男のムサビアンにじゅうたんづくりを継がせたかったが、「そんな時代ではない」と猛反対する母の後押しでイラン革命前の1976年、 米カリフォルニア州の大学へ留学した。
 78年、イランの王制支配に反対する「イスラム学生連合」の支部長になり、転機が訪れた。「米国に残るべきか、イランに帰り革命に加わるべきか」―。迷うムサビアンに、後に最高指導者となったホメイニ師の部下は「革命に貢献できるなら帰国を。そうでなければ学業継続を」と返した。このひと言で帰国、革命運動に身を投じた。

華麗な業績

 79年の革命後、英字新聞の編集長を経て、国会事務局の幹部に就任。国会議長や大統領を歴任した穏健派の重鎮ラフサンジャニの片腕となる。
 イラン・イラク戦争中の80年代後半には、ジャーナリストの身分で訪日し日本外務省幹部と会談した。膝詰めの議論の末、「戦争を続けても勝者はない」との見解で一致。テヘランに戻り終戦工作の着手をラフサンジャニに訴えた。「当時はまだ和平プロセスを語ることはタブーだった。抗議の電話も多数受けた」。だが、間もなくして、実弟と3人のいとこの命を奪った戦争は終わった。
 86年に外交官になる。まさに天職だった。90年に駐ドイツ大使として赴任する際、ラフサンジャニから言われた言葉を今も鮮明に覚えている。「ドイツこそ欧米との関係改善に道を開く迂回(うかい)路だ。ドアを開けてこい」
 外交官時代の業績は事欠かない。聖地巡礼のシーア派教徒が大量殺害されてサウジアラビアとの関係が悪化した際は、同国の皇太子と直接交渉し関係改善の礎を築いた。

 88年に「悪魔の詩」を書いた英作家サルマン・ラシュディにホメイニ師が「死刑宣告」を出した際は、大統領のラフサンジャニに「殺害部隊を送らない」と公言させ、事態の幕引きに動いた。
 2001年の米中枢同時テロ直後、国内の強硬派を説得してアフガニスタン攻撃で対米協力を実現。翌年、核問題が表面化すると、交渉団メンバーとなって緊張激化の回避に全力を挙げた。

暗転

 しかし、順風満帆の外交官生活は05年に暗転する。新大統領となった強硬派のアハマディネジャドから外相就任を打診されたが、「合意できる外交課題は何一つない」と入閣を固辞した。
 07年、核問題の関連情報を外国人に漏えいした疑いで逮捕され、10日間を独房で過ごした。大統領から「スパイ」と非難され、経験したことのない屈辱と辛酸をなめた。「長男は中学生だった。家族が打ちのめされた」と当時を振り返る。
 裁判でスパイ容疑の無罪は確定したが、大統領の外交政策に反対したため「国家安全保障上の利益に背く」として、執行猶予つきの一部有罪判決を受けた。外交官資格も5年間停止となった。
 かつて「比類なき大使」と称されたムサビアンは現在、米東部の名門プリンストン大で多忙な日々を送る。回顧録の出版や欧米紙への寄稿、そして核問題解決を目指した独自の外交活動…。キャンパスでは、ポロシャツ姿で気軽に学生らと外交論議を交わす。
 6月4日、ムサビアンはワシントンの有名シンクタンク「軍備管理協会」の壇上から、新たな提案をした。濃縮率20%の濃縮ウランは医療用に限り、余剰分を国際市場に売却するなどして西側の疑念を払拭(ふっしょく)、イランに「核の平和利用の権利」を認めるという内容だ。
 「欧米諸国との関係回復こそがイランの枢要な国益実現につながる」。外交官としての持論と信念は揺らがない。

半世紀以上続く核問題

発端は米国の支援

 国際社会が懸念を募らせているイランの核問題は、半世紀以上前の1950年代に端を発する。しかも現在の天敵、米国の支援が出発点だった。
 米シンクタンク、外交問題評議会の報告書「イランの核計画」によると、イランの核エネルギー開発は57年にさかのぼる。当時の米大統領アイゼンハワーは53年末に国連で「平和のための原子力(アトムズ・フォー・ピース)」を提唱。日本や西欧諸国に研究炉や濃縮ウランの提供を順次進めた。当時は親米王制を敷いていたイランもその対象国だった。
 57年3月、米国とイランは「原子力平和利用の研究協力」を進めることで合意し、米国からイランへの原子力関連投資が可能になった。研究目的で低濃縮ウラン約6キロが米国から貸与されたほか、研究炉建設でも2国間協力が進んだ。
 その後、フランスなども支援に乗り出し、ロシアの支援で南部ブシェールに建設されたイラン初の原発は、もともと西ドイツ企業が手掛けていた。イランは74年に原子力専門機関を設立し、100万キロワット級の原発23基分の発電力構築を目指した。
 だが、パーレビ独裁王制を打倒しイスラム政体を樹立した78~79年のイラン革命で事態は一転。イランはパキスタンの核科学者カーンが率いた「核の闇市場」とも接触、独自の核能力獲得に歩を進めた。(文 太田昌克、写真 メグ丸山、文中一部敬称略)=2012年08月15日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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交政策における自身の信念を熱っぽく語るムサビアン。穏健派外交官として数多くの業績を誇る