理想の食材求め東奔西走

各界の食通うならす和食  鮮魚の処置方法から指導

 ロンドン中心部メイフェア地区―。大使館や大富豪の邸宅が立ち並ぶロンドン随一の高級住宅街だ。その一角、石造りの建物が続く路地の奥に日本料理店「UMU(ウム)」がある。目立つ看板もない地味な店構えだが、一歩中に入ると、各界の著名人が舌鼓を打つきらびやかな世界が広がる。彼らをうならせるのは、料理長の石井義典(41)だ。
 元英首相ブレア、歌手のマドンナ、ミック・ジャガー、女優のユマ・サーマンにペネロペ・クルス…。ウエーターが最近、来店した有名人の名前を次々に挙げる。
 だが、石井は「へえ、そうなんだ。知らなかった」と素っ気ない。「お客さんはお客さん。有名かどうかは自分には関係がない」と言い切る。

こだわり

 石井は千葉県の高校を卒業し、大阪の調理師専門学校に入学した。京都の料亭やジュネーブ、ニューヨークでの大使公邸の料理人を経て、料理店格付け本「ミシュランガイド」ロンドン版が星を付けたUMUの2代目料理長に招かれた。
 店は伝統的な懐石料理で知られていた。しかし、石井は懐石を土台にしつつ「英国でしか作れないもの」を目指した。
 新鮮な食材にこだわり、日本から輸入していた食材も多くは現地調達に変えた。夏ならスコットランド産のテナガエビにトマトでだしをとったジュレ(ゼリー状のソース)を添え、黄身酢とわさびでアクセントをつけるといった具合だ。
 だが、刺し身にする魚が見つからない。調べてみると、漁法や流通の仕組みが問題だった。漁船は一度漁に出ると数日がかりで、その間に魚は船倉に保管するため鮮度が落ちる。網で捕った魚は暴れて傷つき、死ぬのに時間がかかるので味も落ちやすい。倉庫や市場での時間のロスも大きい。
 英国中を探し回り、ロンドンから西に約400キロ離れたコーンワル地方に、昔ながらの小さな漁船で、釣り糸を使って日帰りの漁をする漁師たちを見つけた。ここで釣った魚をその日のうちにトラックに載せれば、市場を経由して仕入れる魚よりもはるかに鮮度の良いものが手に入る。

 5月中旬、石井はコーンワルの漁師の小さな漁船に乗り込んだ。釣り上げた魚の締め方を漁師たちに教えるためだ。頭部に切り込みを入れ脊髄にワイヤを通す。脊髄を破壊することで死後硬直を遅らせるこの処理は、鮮度を保つ「神経締め」として日本では広く知られている手法だ。「こうすれば鮮度は飛躍的に上がる。うちとしても高く買える」と説得した。

自然を感じる料理

 田園地帯を歩いていて偶然見つけた牧場で羊の成育環境にほれ込み、直談判して羊肉を卸してもらったこともある。
 英BBC放送の料理番組などで活躍する料理研究家のバレンタイン・ワーナー(40)は「素材の本当の価値を知り尽くし、必要以上に料理を複雑にしない」と石井を評価する。「西洋では料理と自然の関係は忘れがちだが、彼の料理を食べると、素材を生み出した自然を感じられる」とも。
 客から、自分のヨットで料理を作ってくれないかと頼まれたこともあった。ギャラは1週間で数百万円。だが、「金のためにやっているわけじゃない。特定の人だけに料理を作ることには魅力を感じない」と一蹴した。
 そんな石井が珍しく店を離れて料理を振る舞ったことがある。今年1月、スイス東部ダボスで開かれた世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)の関連行事には、東日本大震災の被災地のシェフらとともに日本食を出す石井の姿があった。
 「大変な時だからこそ、日本料理の良さを世界の指導者たちにアピールしたかった」と話す石井は、食材集めから輸送費も交通費も一部自腹を切ってダボスに向かった。京都での修業時代、阪神大震災が起き、思わず1人で炊き出しに駆けつけた記憶がよみがえった。
 夢は自分の店を持つことだが、「スタート地点に立ったばかり。いずれは日本に帰りたいけど、先の話です」と石井。「自分の店」が海外になるのか、日本になるのか、まだ分からない。

世界に広がる日本食

ユネスコ文化遺産に申請

 健康意識の高まりなどを受け、世界で日本食の普及が進んでいる。農林水産省の2006年の推計によると、海外の日本食レストランは約2万4千店。その後も増加の一途で、現在は3万店を超えるとされる。
 同推計では、最も日本食店が多いのは米国の約9千店。そのうち、日本人や日系人がオーナーの店は10%以下とされ、中国や韓国などアジア系オーナーが経営していることが多い。
 英国には約300~400店があり、06年までの5年間で3倍に増えたが、懐石など伝統的な日本料理を提供する店は3%程度にとどまる。
 日本食が世界中に広がるにつれて、各地で現地風の味付けも増え、本来の日本食の特徴が失われるケースもある。このため、農水省は06年に「正しい日本食の認証制度」導入を図ったが、「『すしポリス』を派遣して政府の考えに合わない店を取り締まるのか」などと反発を受け、民間団体による推奨制度に後退した。推奨制度は07年に発足したが、これまで申請も認証もゼロという。
 日本政府は今年3月、「食事の中で自然の尊重という精神を表現している社会的慣習」として、日本食を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に申請、可否の決定は13年秋にも出る見通しだ。これまでにフランス料理やメキシコ料理が認定されている。(文 井手壮平、敬称略)=2012年07月25日 

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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英国西部コーンワルの洋上で、地元の漁師と一緒にサバを釣る石井(撮影・井手壮平)