資産100億円、奨学金に

地域の貧困層を大学へ  花栽培、子育て大成功

 「おまえたちに遺産は残さない」。アンディ松井(74)は分厚い遺書を持ちながら回想した。成人した4人の子供たちに英文のファクスを送って宣言したのは、15年近く前、還暦を迎えたころのことだ。
 晴天に太平洋からのさわやかな風が吹き抜ける米カリフォルニア州中部サリーナス。その郊外でランの栽培農場を経営する松井の資産は1億ドル(約100億円)を超す。
 農場の温室面積は東京ドームの約6倍。200人近い従業員が州の50%、全米の20%のランを生産している。他人に貸している別の広大な土地からも高い収入がある。
 遺書には、妻に残す分を除き、地域の貧しい子供たちの大学教育に遺産を使うと記した。既に5年前に財団をつくって奨学金制度を始めた。一人4万ドル、これまでに計240万ドルを出し、60人を大学に入れた。大半がサリーナスに多いメキシコ移民の家庭で育った若者たちだ。
 松井の奨学金を受けたあるメキシコ移民の少女は、母と妹の3人暮らし。スクールバスの運転手の母の年収は1万6千ドル程度だ。高校での成績はトップクラスだったが、とても大学に行く経済的余裕はなかった。「自分の子供に金をあげないなら、こういう人たちを助けるべきなんだ」

1万円持ち渡米

 松井は現在の奈良県五条市で農家の長男として生まれた。1961年に農業実習生として初めてカリフォルニアの地を踏み、翌年には妻と幼い長女を残して再渡米。手持ちの現金は1万円だった。菊の栽培農家に時給85セントで雇われた。「1ドル=360円の時代。1週間働くと日本にいるサラリーマンの平均給与の1カ月分以上になった」
 その後、家族を呼び寄せ、永住を決意。奈良の実家は弟が継いだ。土地を借りて夫婦で菊を栽培、少しずつ貯金を増やして70年にサリーナスに畑を買った。
 「日本から来たわれわれに、地元の人たちが本当によくしてくれた。感謝の気持ちは今も忘れていない」。子供たちが学校に入るまで、保育園は無償で面倒を見てくれた。子供が新たに生まれると聞きつけた教会からは、幼児用の衣類がたくさん届いた。
 松井は菊の栽培で成功し、小型飛行機を買えるまでになった。だが、70年代の石油危機と同時に、より将来性の見込めるバラに転作。大きな利益を上げたそのバラも、90年代初めには価格の安い南米産との競争にさらされた。
 バラの切り花栽培に限界を感じた松井が、次に目を付けたのがランだった。約4年間、世界中のランの栽培農家を見て回り、98年にランの鉢植え栽培を始めた。63歳からの挑戦だった。家庭の主婦が買える価格で量販店を中心に出荷する狙いが大当たりした。

100歳まで生きる

 「次の世代に自分の子供と同じようにチャンスを与えるという父の考え方は正しい」。松井の次女キャシーは、ゴールドマン・サックス証券のマネージング・ディレクターとして日本で暮らす。2009年1月には書物を出版、誇りにする父の生き方を紹介した。
 松井は子供たちが農場で手伝いをしなければ小遣いを与えなかった。「ただで金をもらうことを覚えたら仕事はしない。子供が金の値打ちを知らずに成長したとしたら、それは親の責任だ」
 キャシーを含め、4人の子供はいずれも米東部の名門ハーバード大を卒業した。松井は「『ハーバードに行かないなら、花をつくれ』と言ったら皆入った」と目を細める。現在はそれぞれ仕事を持って自立している。奨学金の使途を大学教育に限定したのは、大学での教育の重要性を認識したからだ。
 「100歳までがんばって、農場のもうけを1億ドルにする。それでやっと一人前の百姓だ」。松井は語る。そうすればあと3千人を大学に入れられる。「銅像も名声もいらない。こういう変わり者のじいさんがいたというだけでいい。遺産の代わりに心を残すんだ」

編集後記

「エデンの東」で町おこし イメージ転換に情熱込め

 サリーナスは小説「怒りの葡萄」などを残した米国の文豪ジョン・スタインベック(1902―68)の生地。アンディ松井は今、奨学金と同様に、スタインベック

の代表作「エデンの東」を使った町おこしに力を入れている。「エデンの東」はサリーナスが舞台だ。
 人口約1万4千人のサリーナスがある地域は現在、失業率が15%を超す。特に不況のあおりを受けているのは、メキシコ移民の家庭で育った若者たち。貧しい若者たちが犯罪に走り、昨年はギャングの抗争でメキシコ系の若者20人以上が死亡した。
 治安の悪さは今に始まったことではなく、「暗い町のイメージを良くしたい」と思案するサリーナスの市長に約2年前、松井がアイデアを出した。野菜農家出身の市長とは旧知の仲。ジェームス・ディーン主演の映画「エデンの東」のテーマ曲に歌詞をつけてサリーナスの歌にしたら―。
 故レナード・ローゼンマン氏が作曲した「エデンの東」の有名なテーマ曲には歌詞がない。松井は知人に頼んでサンプルをつくり、サリーナスにあるスタインベックの記念館などに話を持ち掛けた。曲使用の許可を得るため、記念館と、曲の権利を持つ大手映画会社の交渉が進んでいる。
 松井はサリーナスがあるモントレー郡の居住者を対象に歌詞を公募し、賞金を競うコンテストをして決めたいと考えている。賞金は全額、松井が出すつもりだ。(文 砂田浩孝、写真 林幸一郎、文中敬称略)=2009年5月6日

 「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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松井の農場でランの苗を鉢に植え替える女性従業員たち=米カリフォルニア州サリーナス

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