巨大な問いの「解」求めて

母国への思い、プロの誇り 出口戦略唱える異端者

 人類と原子力は共存可能なのか―。東京電力福島第1原発事故は世界にこの巨大な問いを投げ掛けた。米西海岸には、原発の「出口戦略」を模索する「原子力ムラ」の住人がいる。カリフォルニア大バークリー校原子力工学科教授の安俊弘(アン・ジュンホン) (53)は韓国人として日本に生まれて大学を卒業、日本で教壇に立ち、17年前にバークリーへ移った。二つの母国への愛情と敬慕の念、そしてプロの誇りを胸に異色の在日韓国人3世の学者はその「解」を求め続けている。

九十五パーセント日本人

 今年3月15日。東京・本郷の東大キャンパスで、原子力界の重鎮が集まるシンポジウムが開かれ、その壇上に安の姿があった。スクリーンには「原子力発電の『出口戦略』構築のすすめ」と記された安作成のパワーポイントが映し出された。
 「(原発は)拡大と増殖を続けてきた。アクセルだけでブレーキがない。脱原発を国民が考えるなら、どうして原子力工学者が本気で考えないのか」。聴衆を前に安が問い掛けた。「本当に脱原発をするなら、どういう道筋でやるかを真剣に考える。その真ん中に原子力工学者がいるのだからわれわれがこれをやる」
 ムラの有力者である東大教授陣からは早速、異論が出た。
 「出口という言葉は嫌いだ。ライフサイクル戦略がいい」。「日本が出口のことを発信しだすと、世界にも影響がある」
 安はきっぱりと反論した。「ライフサイクルではない。あえて『出口戦略』と言わせてもらう。(ムラが)生き残ろうとしていると世間に思われること自体が失敗だ」
 1週間後、バークリーで安に真意を聞いた。
 「『出口戦略』は論理的帰結。脱原発を求める声が日本の国民の8割近くに上る。それを具体化するのが専門家の役割だ。ムラも本気で向き合うなら、正直ベースでやらないと」。今は在米韓国人となったが「心は 九十五パーセント日本人」と安は言い切る。未曽有の国難に直面する母国、日本への思いが、ムラで“異端視”される「出口戦略」提唱につながった。

「ムラでは川の向こう側に行った人間と見られているかな」。若々しい風貌から大学院生と見間違えられることもある。安はサンドイッチ片手に笑いながら語った。

フェアネス

 ムラに入ったのは、もう一つの母国、韓国への熱い思いからだ。大阪で在日韓国人2世の実業家の家庭に生まれた安は、高3の夏までは法律家を志していた。しかし、日本国籍がないと司法修習生になれないことを知る。「いつかは制度が変わるだろう」とも考えたが、その後「そうした雰囲気は今の日本にない」と断念した。
 「国力であるエネルギーの専門家になれば、韓国に帰っても仕事ができる。原子力なら在日の自分でも…」。そんな思いで東大原子力工学科に進み、ノーベル賞学者を輩出したバークリー校に1983年に留学し、博士号を取得した。
 転機は92年、母校バークリーでの講演だった。講演後、大学当局から思ってもみなかった誘いを受けた。「ここで働いてもらえないか」。東海大への就職が決まっていた安は断ったが、「ここにこそあなたの仕事がある」とくどかれ、東海大で2年間教えた後、バークリーに移った。
 米有数の名門バークリー校原子力工学科が、日本出身の学者を終身雇用したのは初めてだった。
 安は日本国籍取得を考えたことがない。「韓国、朝鮮人を自国民にしておいて、敗戦後は勝手に第三国民にした。なのに『日本国籍を申請してください』と言うのはおかしい」からだ。より「フェアネス(公正)」があると信じる米国に永住することに決め、米国人には「日本で生まれた韓国人」と自己紹介する。
 人間は化けて生きていけない―。亡き父は、自分の本性や本音を隠さず、真っすぐ生き抜くことを教えたという。
 「だって生きていく上で、都合の悪いことは隠せませんから」。大阪に残る母の朴分南(パク・プンナム) (78)は、息子が「出口戦略」を公言したことを聞かれ、こうはっきり語った。

ノーベル賞学者を輩出

受賞者専用駐車場も

 安が教壇に立つ米カリフォルニア大バークリー校は、今から約70年前、原爆開発計画「マンハッタン計画」に参加した科学者、グレン・シーボーグらが世界で初めてプルトニウムを発見した実験室「ギルマンホール307号室」があることなどで知られる。
 シーボーグと同僚のエドウィン・マクミランは1951年、超ウラン元素の研究でノーベル化学賞を受賞した。バークリーは、この2人以外にもノーベル賞学者を輩出している。
 現在の米エネルギー長官でノーベル物理学賞を受賞したスティーブン・チューもバークリー出身だ。キャンパス内には「ノーベル賞学者専用」と書かれた駐車スペースが特別に設けられているのには驚いた。
 安がバークリー校原子力工学科に招聘(しょうへい)された1990年代は、米原子力界にとって「どん底の時代」だった。
 79年のスリーマイルアイランド原発事故、86年のチェルノブイリ原発事故、そして93年に大統領となったビル・クリントンは就任早々「原子力研究・開発のような不要となった計画は廃止する」とまで言明した。
 バークリーの原子力工学科もこの時「存続の危機に立たされた」(安)という。それでも安をはじめ、海外からも有望な学者を招くなどし、名門の座を守り続けてきた。(文 太田昌克、文中敬称略)=2012年05月02日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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シンポジウムで発言者の反論を聞く安俊弘(中央)=東京・本郷の東大キャンパス(撮影・有吉叔裕)