守り続けた“ユートピア”

貧しくも明るい集団農場  大地の恵み分かち合い

 編みがさをかぶった男女が横一列にまっすぐ並び、ポンポンポンとリズミカルに苗を田んぼに投げ入れる。海からの心地よい風が吹き抜ける3月中旬の中国広東省の崖口村(がいこうそん)。皆が共同で生産し、取り分を平等に分ける“社会主義ユートピア”を目指して1950年代に始まりながら、制度としては既になくなった「人民公社」式の集団農業を続ける珍しい村だ。
 田植えをするのは「生産隊」というチームに属する「社員」たち。「あんたも見ていないでやってみな」。13ある生産隊のひとつ第九隊で社員約20人を率いる隊長の楊発順(よう・はつじゅん)(59)に誘われ、わたしも体験入隊した。
 根にコルク栓のような土の塊がついた苗をダーツの矢のように投げる。はだしで感じる泥田はひんやりとして気持ちいい。ただ、後ずさりしながらの慣れない作業。時折、足を取られる。わたしがよろめくたびに一斉に笑い声が上がる。「この『投げ植え』は腰を曲げなくて済む。昔よりもだいぶ楽よ」。鼻歌交じりで苗を投げる小平(しょうへい)ばあさん(63)が言った。

みんなに仕事を

 皆の田植えに目をやりながら自転車に乗った陸漢満(りく・かんまん)(69)があぜ道を通り過ぎた。焦げ茶色にさびついた愛車のペダルをはだしで踏む。村のトップとして共産党支部書記を務めて35年。村人は「満おじさん」と呼ぶ。
 中国の農業は70年代末、改革開放政策により、人民公社のような集団経営から、耕地を農家に分配、生産する方式に変わり始めた。個々の農家のやる気を引き出すと考えられたからだった。
 だが陸は土地を分けなかった。「若者は村外に出て、村に残るのは老人と子どもばかり。協力しなければやっていけなかった」。貧しくても助け合い、誰もがそれなりの生活を送れる道を選び、30年余りが過ぎた。
 貧しい農家に生まれた陸は13歳で村の生産隊に入る。高等教育は受けていないが、中国の農業改革史を語り出したら止まらない。ただ村のことを聞くと「中央(政府)の方針と違う敏感な体制だから」と口を閉ざす。
 村の人口は約3300人。老人や子どもを除いて働ける人は約1700人で、そのうち社員は約500人。残りは出稼ぎに出たり村で商売をする。収穫したコメの半分は村で消費される。農業で利益は出ない。それでも続ける。「仕事のない人に働き口を提供する最後の手段。工業は環境を壊すからやらない」。村で生まれ育ち、村の顧問弁護士を務める譚順寧(たん・じゅんねい)(37)が陸の信念を代弁した。

土地収用に反発

 日々の農作業は点数に置き換え、ためた点数に応じ賃金が支払われる。田植えなら一日働いて40点。1点は約1・2元だ。社員になるのもやめるのも、休みたい日に休むのも自由。休まず働いても社員の年収は1万元(約14万円)程度だ。
 社員の賃金は収穫だけではまかなえないので土地の賃料で補う。80年代、陸が音頭を取り、村の海岸を干拓。90年代まで続けて約20平方キロの土地を生んだ。今、一部を村外の漁民にエビやカニの養殖場として貸し出し、村は年間数百万元の賃料を得る。譚は「書記は土地の価値に早くから気づいていた。才覚だ」と舌を巻く。
 2008年末、村の土地の一部が上級政府の中山市側に収用された。市主導でリゾート開発をする。土地が売られたのは初めてだ。その利益は14万2千元の分配金として村人一人一人に行き渡った。農作業で得る年収の10倍以上。村では今、あちこちで家の改築工事が進み、にわかに活気づいたように見えるが陸の心境は複雑だ。「土地は売ればなくなる。金が入るのは一回だけ」。大地の恵みを皆で分かち合ってきた村。土地を失ったことへの悔しさからか、村でただ一人、陸だけが分配金の受け取りを拒む。
 「仕事は終わり!」。午後五時、楊の声が響いた。「この不景気では外に出ても簡単に仕事は見つからない。3人の子どもの学費があるし、少しでも稼がなきゃ」。道具を片付けながら曽瑞英(そう・ずいえい)(45)がこぼした。仕事を必要とする村人がいる限り、今ある土地を守りながら「人民公社」を続けていきたい。陸はそう思っている。

編集後記

市場経済の荒波乗り越え 耕地減少、貧困、過疎化

 非効率で悪平等だとして歴史の中での役割を終えたはずの人民公社だが、皮肉にも中央政府の政策に逆行してきた崖口村の「人民公社」が市場経済の荒波から村人を守り、現代中国の農村が抱える耕地の減少、貧困、過疎化などさまざまな問題を乗り越えている。
 中国には経済発展に伴う開発で農地を収用された「失地農民」が約5千万人いる。農地を手放せば補償金が入るが、農民は仕事も失う。腐敗官僚と開発業者が組んだ悪質な強制収用も多く、農民の暴動も絶えない。
 しかし、崖口村では土地を村が一括管理してきたため、理不尽な形で収用されるのを免れた。1980年代からは村の資本を集中することで大規模な干拓を可能にし、逆に土地を増やした。集団農業の利点も生かした。
 かつての最高実力者、鄧小平(故人)は「一部の人が先に豊かになり、遅れた人を助ける」(先富論)と改革開放政策を推し進めた。農村の生産請負制では、上納分を超えた収穫は各戸の取り分となることから生産意欲を刺激し、農民の収入は1978年から2007年まで年平均7・1%のペースで増えた。
 だが、土地の条件や農村の経営能力の違いから、勝ち組と負け組が生まれ、都市との格差は拡大。人口約13億の半数以上を占める農村住民一人当たりの07年の平均年収は4140元(約6万円)と都市住民の3分の1弱にとどまった。(文 渡辺靖仁、写真 京極恒太、文中敬称略)=2009年4月29日 

 「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

secondpicture

「人民公社」式の集団農業を続けてきた書記の陸漢満。はだしで自転車にまたがり村内を走り回る=中国広東省の崖口村

つぶやく チャイナのことば