3分の舞台に10年の稽古

広州最後の民間粤劇団 飲茶を楽しみながら観劇

 開演を知らせる銅鑼(どら)の音が鳴り響いても、観客のおしゃべりは止まらない。中国茶と点心の香りが充満する中、広東語が飛び交う。湯飲み茶わんの触れ合う音が絶えず、眠りこける老人の姿も。
 中国広東省広州の「栄華楼」は清代から続く茶楼だ。店内に設けられた20平方メートルほどの舞台では毎日午後2時から、広東の伝統的な古典演劇で歌劇の一種「粤劇(えつげき)」の公演が行われる。粤劇が見られる茶楼は広州ではここだけになってしまった。
 広州最後の民間粤劇団「雲峰粤劇団」の団長、嘉華(46)が開演を告げ、なじみの客に会釈しながら客席を見渡す。
 嘉華は生粋の広州人で、代々、粤劇役者という梨園(りえん)に生まれた。粤劇は「3分間の舞台に立つのに10年間の稽古が必要」と言われる。嘉華は13歳でこの世界に入り、厳しい練習と舞台を重ねて芸を覚えてきた。

序幕

 17歳のある夜、重要な役を演じる父親が舞台で転んで骨折。翌日、劇団員から「オヤジの代役を演じられるか」と聞かれた。戦争で行方不明になった兄の婚約者と結婚する弟の役だった。難しい役どころだったが、演じている父を傍らで何度も見ていたから演出やせりふは頭に入っていた。
 2時間あまりの芝居を演じきり、周囲の反応は上々。「この道で食べていけるかもしれない」とこのとき初めて思った。
 だが、経済発展につれて庶民の娯楽は多様化、若者を中心に粤劇の客離れが進んだ。採算が合わず、劇団は次々と解散に追い込まれていった。
 「この仕事で生きていくのは難しいのか」。粤劇界の将来に不安を覚えた嘉華は役者を続けながら地元の大学に進学、経済管理学を専攻した。
 22歳で粤劇を離れることを決意し、運転手やバーの経営など粤劇とは無縁の日々を送った。2005年、先輩に誘われて劇団の旗揚げに参加、見切りを付けたはずの粤劇の世界に舞い戻る。

第二幕

 開演から約1時間半、緞帳(どんちょう)がいったん下ろされた。舞台の上手では6人の音楽隊が打ち鳴らす銅鑼や太鼓、木魚の音とともに緞帳が上がる。きらびやかな衣装をまとった嘉華が登場、腹に響く声で朗々と歌い、軽快に舞台を動き回る。
 客席のざわめきはいつのまにか消え、視線が舞台に注がれる。芝居は最高潮に達し、嘉華が「見え」を切ると栄華楼は大きな拍手に包まれた。
 17年間も離れていた粤劇の世界に戻ったのはどうして? 「ほかの仕事でも食べていけた。でも、やっぱり粤劇が好きだったからさ」。ひょうひょうと語るが、役者としての生きがいなど真面目な質問をするとむずがゆそうな顔ではぐらかす。
 雲峰粤劇団は1998年、粤劇役者の白雲峰が立ち上げた。「お茶代だけで粤劇を見ることができれば喜ばれる」と考え、茶楼で粤劇を上演することを思い付く。こうして、数百円のお茶や点心代のみで粤劇を堪能するこれまでになかった粤劇のスタイルが誕生した。
 お茶や点心を楽しんで、しかも国営の粤劇では考えられないほど安く質の高い粤劇が見られる―。雲峰粤劇団は好評を博した。もうけは少なかったが、白雲峰は「芸を磨けば収入は後からついてくる」と考えていた。
 2009年1月、白雲峰は肝臓がんで62年の人生に幕を閉じた。遺言には「劇団をもっと多くの人に広めてほしい」と記されていた。嘉華は今、その遺志を継ぐ。
 粤劇は新中国成立直後の1950年代に最盛期を迎え、広東省には官民合わせて70以上の劇団があったが、現在では半数以下に減った。広州でも、国営が5劇団、民間は雲峰粤劇団だけになってしまったという。嘉華は若者を引きつけるため、流行曲を取り入れるなど新しい粤劇を模索する。
 「後継者の育成? それは国が考えることさ」と笑う。だが、中国の標準語「普通話」の普及で、広州でも広東語が通じない住民が増えていることに話が及ぶと顔つきが変わった。「私たちの母語は広東語だ。地方の言葉にはその土地の感情が詰まっている」。母語への熱い思いがのぞく。

時代に翻弄された民衆劇

起源は明代にさかのぼる

 粤劇は京劇に似ているが、広東語で演じられるのが最大の特徴だ。起源は明代(14~17世紀)にさかのぼり、広東省や広西チワン族自治区で発展、当初は各地方の言葉で演じられていた。
 演目は三国志などの伝統劇から現代の人情劇まで多岐にわたるが、民主革命の機運が拡大した清朝末期には革命思想の普及にも利用された。辛亥革命と孫文を支持する知識層がせりふを広東語に変えて革命を鼓舞する演目を上演、広州や香港、マカオで人気を博した。
 日中戦争が本格化すると、民族の英雄をたたえる芝居が増えた。新中国成立後は、共産党政権下で粤劇の「商業化」が問題視され、政府の指導で伝統的な演目への回帰が進んだ。国営の劇団も組織され、1950年代には最盛期を迎えた。
 しかし、1960~70年代の文化大革命前後には伝統文化を否定するキャンペーンが展開され、粤劇も打撃を受けた。多くの劇団が解散させられ、役者は農村で労働に従事させられた。
 文化大革命終結後は伝統劇が解禁されたが、80年代以降は娯楽の多様化により客離れが進んだ。現在は政府が文化振興政策の一環でさまざまな支援策を打ち出しているが、役者の高齢化や担い手不足が深刻化している。
 粤劇は民衆の感情を伝えるものではあったが、同時に、時代の波に翻弄(ほんろう)された演劇でもあった。(文 大熊雄一郎、写真 岩崎稔、文中敬称略)=2012年03月21日

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清代から続く茶楼「栄華楼」で、きらびやかな衣装をまとい公演する嘉華(右)。観客は点心をつまみ、お茶を飲みながら広東の伝統的な古典演劇を楽しむ=中国広東省広州市