偉大な世界に魅せられる

弾圧の歴史くぐり抜けて イコン修復の第一人者

 黄金色の円屋根を頂く正教会が天上の神への近さを競うように点在する。そのモスクワ中心でひときわ輝きを放つクレムリンの教会群を望む2階建ての小さな一室に、イコン修復師ウラジーミル・サラビヤノフ(53)の工房がある。
 キリストや聖母、聖人の姿を木版や教会の壁などに描いたイコンは10世紀末にキリスト教とともにロシアに伝わり、12~17世紀に盛んに制作され人々の信仰の対象となった。だが宗教を否定したソ連時代に破壊、放置されたものが少なくない。
 溶剤のにおいが染み付いた工房で、白衣の職員4人が作業机に向かっていた。氷点下の外気が床をはうように忍び込む。

目と手

 付着したろうそくのすすやほこりなどの汚れを筆や脱脂綿に含ませた溶剤で浮き上がらせ、大小さまざまの手術用メスで慎重にこそぎ落としていく。作品を制作当時の姿によみがえらせる作業には経験と技術、そして根気が要る。「修復は科学ではない、実践だ。いい目と手がないと」。技術が発達した現代でも基本は昔と変わらない。
 ソ連時代の1978年からクレムリンの教会や北西部ノブゴロドのソフィア大聖堂など重要な修復作業を軒並み手掛けてきた。この道の第一人者だ。正式な肩書は「ロシア文化省地域間科学修復美術局高度技能修復師兼主任研究員」といかめしいが、自分を「作業班の班長」と呼ぶ。地位や肩書へのこだわりはない。
 工房のあちこちに修復を待つイコンが並ぶ。持ち込んだ教会や博物館が費用を払えず、何年も置いたままの作品も多い。
 30年代の「スターリンの大粛清」時代は多くの教会が破壊された。修復師も投獄や処刑の憂き目に遭ったが、ソ連政府はイコンを「国家的文化財」として修復には熱心で、要求を超えた予算が付くこともあった。
「今は逆だ。政府は予算要求の何分の1しか認めてくれない。資金不足は年々深刻になる」とサラビヤノフ。ソ連崩壊から20年、ロシアは原油などの資源輸出で高成長を遂げ、巨万の富を抱える新興財閥が幅を利かす。イコン収集に私財を投じる人もいるが「大抵は結果を早く見たがる」。何年もかかる修復にカネを出す人はまれだ。

 ソ連時代のほうが良かった?「とんでもない。みんなソーセージを買いに何時間もかけてモスクワまで来た。あんな時代に戻るのはまっぴらだ」
 父は著名な現代美術研究者、祖父は17年のロシア革命に加わった活動家だった。革命を主導したレーニンらボリシェビキと対立したメンシェビキ(少数派)に属したため晩年は不遇で、美術大学でマルクス主義理論を教えた。祖父の死後に生まれたサラビヤノフが、革命後に弾圧されたロシア正教の精神世界を表すイコンを復活させる仕事に就いたのは運命の皮肉かもしれない。

神の助け

 幼いころから細かい手作業が得意で、自宅にあった本に載っているイコンを書き写すのが好きだった。「中世の芸術の偉大な世界にひかれ」、モスクワ大学では美術史を専攻。職業の選択にも迷いはなかった。
 無神論の共産党政権下、多くの教会はうち捨てられ、倉庫として使われたりした。政府は修復事業の支援はしたものの、検閲のため聖書が手に入らない。「あらゆるイコンには神学的意味がある。聖書の内容を知らずにイコンを理解するのは困難だった」。検閲が廃止され聖書が大っぴらに読めるようになったのは80年代半ば、当時の書記長ゴルバチョフがペレストロイカ(改革)を始めた後だった。
 白いものがまじるひげに頬まで覆われた風貌は、神の教えに従う修道士を思わせる。「信仰には人それぞれの在り方があっていい」と言いながら「思い過ごしかもしれないが、作業中に『神の助け』を感じることがしばしばある」と語る。
 「イコンなしの生活は考えられない。人生のすべてだ。私だけでなく、ここで働くみんなにとっても」。工房の職員が笑顔でうなずくと、ひげ面にかけた眼鏡の奥の優しい目が細くなった。

ロシア人の世界観表す

ルブリョフが作風革新

 ロシアのイコンは戦乱や革命という激動の歴史を生き抜いてきた。
 988年ごろキエフ大公ウラジーミルがビザンチン帝国からギリシャ正教を受け入れて国教とし、ギリシャ人の指導でイコン制作が始まった。当初はビザンチン風の冷厳で哲学的なイコンだったが、タルコフスキー監督の映画で知られるイコン画家アンドレイ・ルブリョフ(1370年ごろ~1430年ごろ)が斬新な作風と瞑想(めいそう)的タッチでイコン制作に革新をもたらした。
 最高傑作「聖三位一体」(モスクワのトレチャコフ美術館所蔵)は澄んだもの悲しげな表情の3人の天使が描かれ、柔和な人間味を表現した。ロシアは15世紀に滅びたビザンチン帝国に代わり最高のイコン制作技術を継承、モスクワは「第3のローマ」とも呼ばれる。
 ルブリョフが生涯を終えたモスクワの修道院跡に建つアンドレイ・ルブリョフ古代美術中央博物館の研究員ナタリヤ・コマシコは「イコンはロシア文化の遺伝子みたいなもの。ロシア各地で作られたイコンは、後に国民国家への統合を果たしたロシア人の世界観を形成した」と解説する。
 しかし、ロシア革命後に宗教は弾圧された。イコン制作が再び公認されたのは、対ドイツ戦で国民を総動員するためスターリンが正教会幹部に協力を求めた1943年だった。(文 佐藤親賢、写真 ニコライ・サロフ、文中敬称略)=2012年02月08日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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修復師になったのは「宿命」と話すサラビヤノフは大学で教え、イコンに関する著書も多い。修復するイコンは自らの研究対象でもある