いとしい孫を捜し続け30年

執念実り105人を奪還 今も鮮明、軍政の傷痕

 南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの「5月広場」には毎週木曜日、白いスカーフ姿の女性が集まる。軍事政権に拉致され、今も行方が知れない子どもや孫の消息を求める母親たちだ。
 凄惨(せいさん)な弾圧だった。軍政に反対する国民は、拷問の末に裸で軍用機に乗せられ、海や川の上空で突き落とされた。妊娠中の女性は収容所に拘束され、生まれた子どもは「親のような左翼思想に染めないため」に軍人の養子にされたり、売られたりした。そんな子どもが500人以上、女性は出産後に殺された。

「死の飛行」

 アレハンドロ・ペドロ・サンドバル(34)もそんな子どもの一人だ。厳格な軍情報機関員の「父」と料理上手で優しい「母」。「誰もが思い描く普通の家庭」で育ち、コンピューターの専門学校を卒業した。14歳年上の「兄」と同じ誕生日も疑問には思わなかった。
 しかし26歳のとき、「両親」と信じていたのが実の親を殺した側の人間で、両親は軍政に処刑されていたことを知った。
 2003年に発足したキルチネル政権は軍政の犯罪追及に乗り出し、「父」は逮捕された。闇に葬られてきた真実が次々と明るみに出てきた。
 民主活動家だった両親が当局に拉致されたのは1977年7月。父は当時32歳、母は20歳で妊娠2カ月半だった。父は2カ月後に飛行機から突き落とされ行方不明、母は同年12月にペドロを出産した後、78年4月に飛行機に乗せられ、消息を絶った。「死の飛行」と呼ばれた処刑だった。
 軍人だった「父」が乳児を引き取り、アレハンドロと命名。「兄」と同じ誕生日で出生届を出し、何食わぬ顔で育てた。
 「あの男の法廷での証言で、全ての絆が一瞬にして壊れた。もう思い出したくもない」
 「父」は禁錮16年の刑で服役中だ。判決が出た1週間後の2009年5月、拘置所に面会に行ったが、謝罪の言葉どころか、「おまえのせいだ」とののしられた。以来、「母」や軍人になった「兄」とも連絡を絶った。
 戸籍も変え本当の誕生日に戻した。再会した祖母から「母が付けたがっていた名前だ」と聞き、祖父の名前「ペドロ」を加えた。システムエンジニアとして働く日々、恋人と幸せな暮らしを続けるのがささやかな夢だ。

無言の行進

 1976年のクーデターで成立した軍政は83年の民主化まで、活動家や反対派の市民を徹底的に弾圧した。行方不明者は3万人以上といわれる。母親や祖母は、行方不明となっている子どもたちの生還や情報を求めて大統領宮殿前の「5月広場」に集まった。だが、大っぴらに抗議をすれば即座に逮捕される。平和の象徴として白いスカーフを巻き、黙々と回るだけの無言の行進に徹した。
 子どもや孫を捜し求める女性たちの団体の一つに「5月広場の祖母たち」がある。病院や軍の関係者などからの情報を基に、DNA鑑定で105人の身元を突き止めた。
 「毎日バスで1時間通って遠くから見つめていたわ」。78年に両親と一緒に2歳で拉致されて5年、団体への匿名電話で孫娘を捜し出したエルサ・パボン(75)は当時を振り返り涙する。軍政終結を待って裁判を起こし、取り戻したときには孫娘は8歳になっていた。
 祖母に育てられた孫のパウラ・ロガレス(35)も母になった。両親と公園に行く途中に拉致されたパウラは「子どもとは極力離れないようにしているの」。今でも娘を公園には連れて行かない。
 軍事独裁政権を樹立したビデラ元大統領は終身刑の判決を受け、軍政幹部の裁判は続いている。90歳を超えた祖母や母も多く、真相解明は次世代に引き継がれつつある。
 妊娠中の娘を77年に拉致された同団体代表のエステラ・カルロット(81)は軍関係者から娘の出産と死亡を聞いた。今も捜し続けるが、孫の手掛かりはない。
 同団体は昨年ユネスコ平和賞を受賞、ノーベル賞への期待も高まる。だがカルロットの夢は一つだ。「表彰はもういらない。孫をこの目で見ることが唯一で最高の賞なの」

日系人も弾圧の犠牲

方針めぐり団体は分裂

 アルゼンチンには沖縄や愛媛、高知などから移住した人々の子孫ら約2万3千人の日系人がいる。軍政下の弾圧では日系人も犠牲になり、4人が殺害され、日本国籍の3人を含む13人が行方不明となった。民主化運動に加わり、子どもが行方不明になっていることを隠している人もおり、実数はさらに多いとされる。
 拷問に加担し服役中の日系人もいるという。  1976年に自宅から連れ去られた日系3世ホルヘ・オオシロ=当時18歳=の姉エルサ(57)は「収容所での目撃情報が最後。どこで亡くなったかだけでも知りたい」と訴える。
 「5月広場」の名称は、1810年5月に近くの庁舎でアルゼンチン独立を宣言したことに由来する。1977年4月、女性たちは子どもや孫を取り戻すため、この広場にちなんだ人権団体「5月広場の母たち」をつくった。軍政終結後、活動方針をめぐって団体は分裂。「5月広場の祖母たち」は2003年に中道左派のキルチネル政権が誕生したのを機に、広場での集会参加をやめた。
 一方、「5月広場の母たち」の一部は集会を継続、大学設立や住宅建設を通じて貧困層への支援もしている。息子2人が行方不明になった同団体会長エベ・ボナフィニ(83)は「真相究明はこれからだ」と弾圧に関わった裁判官らの追及を求めている。(文・写真 遠藤幹宜、文中敬称略)=2012年01月18日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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行方不明者の母たちが白いスカーフ姿で無言の行進を続け抗議した、ブエノスアイレスにある大統領宮殿前の5月広場。軍政終結後、母たちの功績をたたえ地面には白いスカーフが描かれた