大震災体験、「愛」再び

日本人の勇気に打たれ新作 日中テーマに小説5冊

 東日本一帯を襲った3月11日の大地震。その時、中国人作家、于強(う・きょう)(65)は千葉県習志野市にいた。1987年に発表した中国残留孤児の苦難の半生をつづった小説「風媒花(ふうばいか)」が話題作となり、その後も日中の人間ドラマをテーマに小説3冊を出版した。
 東日本大震災で、中国人研修生20人を避難させ自らは津波で命を落とした宮城県女川町の会社役員の勇気に心を打たれ、「両国をつなぐ愛をもう一度描く」と5冊目の小説を書く決心をした。

予期せぬ出会い

 「この土地がわたしと日本を結び付け、小説を書くきっかけをくれた」
 江蘇省南京の南西約50キロの安徽省馬鞍山。深緑の木々に覆われた山々の間を薄茶色の水が悠々と流れる長江(揚子江)を臨む公園で于強は語った。「詩仙」とたたえられる唐代の詩人李白(り・はく)が没した地として知られ、この公園の一角にも李白の詩作を記録した展示館、太白楼が建つ。
 于強は、社会主義の理想を求め中国共産党主席の毛沢東(もう・たくとう)が66年に発動した文化大革命のさなかに馬鞍山の地元政府に配属され、日本人残留孤児の古蓮雲(こ・れんうん)と出会った。ここから小説家の道を歩み始めることになる。
 45年、農家の5番目の子として江蘇省南通で生まれた。家庭は貧しかったが教育熱心で、65年9月に名門の北京大に入学。文学好きで作家も夢見たが、文革で「作家が糾弾の標的になっているのを見て、夢はついえた」
 70年3月に卒業し、学生らを農村に移住させる文革時代の「下放」政策で安徽省阜陽の農場に。約1年後、馬鞍山に転出を指示された。古蓮雲が初めて訪ねてきたのは、于強が対外関係を扱う外事弁公室主任に就任した84年のことだった。
 「ぼろぼろの服を着ていた。何を話してもすぐ泣き崩れてしまった」
 古蓮雲は第2次大戦終結翌年の46年、東北部の遼寧省大連で実の両親により中国人家庭に預けられた。当時3歳。ソ連軍南下と戦後の大混乱の中、体力が尽き病気も患い、引き揚げ船に一緒に乗せても生きて祖国に戻れないと考えた両親は断腸の思いだった。

 古蓮雲は養母に大切に育てられ、中国人として人民解放軍の技術者と結婚した。文革で元地主や外国と関係がある住民らが「反革命分子」として激しく迫害される中、夫に自分が日本人であることを告白。危険が及ぶと判断した夫は一家で黒竜江省牡丹江への逃避を決行し、ほそぼそと農業を営みながら嵐が過ぎ去るのを待った。
 「妻が日本人であることを知った夫は怒りに震えたが、その後、妻を許し、守った。大きな愛があった」と于強。一度は封印した于強の作家への願望は、この時の感動で呼び覚まされた。
 76年に文革は終結。改革・開放政策への転換後、古蓮雲夫妻は名誉回復され馬鞍山の元の職場に復帰。84年、古蓮雲は訪日調査を経て実の親とめぐり会えた。日本名は西山幸子(68)。夫と6人の子供を連れ帰国した幸子は今、大阪府に住む。

国境を超えて

 それから四半世紀余り。上海に住む于強は、東京の企業で働く一人息子の一軒家の自宅に滞在中、東日本大震災に遭遇した。避難所にも身を寄せたが「平静を保つ被災者の姿に感動した」。何よりも心に突き刺さったのは中国人20人を救い自らは命を落とした女川町の「佐藤水産」専務の話だ。「大震災で教えられたことを小説にしたい」
 タイトルは、「津波そして生死を超えて絆」を意味する「海嘯生死情」。佐藤水産の出来事をヒントに物語を展開し、日本人と中国人の深い愛情を描いた。「風媒花」と共通しているのは国境を超えた「大きな愛」だ。
 「風媒花」は87年に日本語の訳本も出版したが、当時は対外開放が未成熟な時代。出版が処分対象になる恐れがあるとの警告もあった。その後、日中の交流は広がり「今は問題視されることはない」。日中国交正常化から来年9月で40周年。大震災から1年の来年3月に「海嘯生死情」の日本語版と中国語版を日中それぞれの国で出版する計画が進んでいる。

心に刻まれた「佐藤さん」

一人の勇気に国家が感動

 日中関係は一つの出来事で急激に悪化するもろさがある。しかし、一人の良心、勇気が時に国民や国家の感動を呼ぶ力になることもある。3月11日の東日本大震災当日、中国人研修生20人を高台に避難させ、自らは高台を下りた後に津波にのまれて死亡した宮城県女川町の水産加工会社「佐藤水産」専務佐藤充(さとう・みつる)さん=当時(55)=は、多くの中国人の心に刻まれた。
 中国メディアが伝えた「佐藤さんが助けてくれなかったら、私たちは死んでいた」と涙ながらに語る研修生の言葉は、中国で瞬く間に広がり、インターネット上には「言葉で言い表せないほど感動した」などとの書き込みが相次いだ。
 5月に来日した温家宝(おん・かほう)首相は被災地で佐藤さんに触れ「国籍にかかわらずに救助した。高く評価している。災難の中で得た友情はとても大切で貴重だ」と最大限にたたえ、感謝の意を示した。
 3年前の中国・四川大地震でも、多くの中国人に感銘を与える場面があった。日本の国際緊急援助隊が献身的に救援活動に当たり、黙とうしながら犠牲者の遺体を見送る様子などが報じられ、中国人の感動を呼んだ。
 昨年9月の尖閣諸島付近での漁船衝突事件では、中国で反日デモが相次いだ。日中の国民感情は「最悪」とも指摘されたが、大震災以降は中国で義援金などの支援活動が一気に広がった。(文 辰巳知二、文中敬称略)=2011年11月09日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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小説「風媒花」を発表した翌年の1988年末、大阪府にある西山幸子(右、以前の中国名は古蓮雲)の自宅を訪ね、夫妻と一緒に写真に納まる于強(中央)。彼女との出会いが于強の人生を変えた(于強氏提供)

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