最初で最後の慰霊祭

冷戦下、沈黙の半生  遅すぎた出会いと戦い

 その名を「韓国シベリア朔風(さくふう)会」と言う。日本軍兵士として満州の前線に送られ、戦後はソ連に抑留された朝鮮半島出身者たちが1990年に組織した。「朔風」とはシベリアに吹いていた北風のことだ。
 過酷な強制労働に耐えて生還した男たちは、韓国に戻っても、ひっそりと戦後を過ごしてきた。冷戦下の分断国家では、共産圏にいた過去が露呈すれば、職を得ることさえ難しかった。
 2009年2月28日。京畿道にある「38度線記念塔」に、つえをつき家族に体を支えられた10人ほどの会員や、支援者ら約五十人が集まってきた。
 異国に倒れ、帰国しても既に他界した戦友の慰霊祭を催すためだ。「初めての慰霊祭だが、きっと最後になるだろうよ」。仁川市に暮らす五代目会長の李炳柱(イ・ビョンス)(84)は、北朝鮮から旧満州、シベリアへつながる空を眺めた。
 60年前の2月、約500人の韓国出身抑留者が、ソ連から北朝鮮を経て祖国へ越境したのは、このあたりだった。韓国側の警備兵は敵と勘違いして発砲した。
 「シベリアを生き抜いたのに、祖国の国境で命を落とした者も多かった」と李は語る。
 満州からソ連へ、ソ連から北朝鮮、さらに韓国へ。国境を越えることが男たちの人生だった。
 当時は地形に全く関係なく地図上に機械的に引いた38度線が南北を隔てていた。翌年に起きた朝鮮戦争の結果、実際の軍事境界線は現在、さらに北にある。満州国崩壊、祖国独立、朝鮮戦争…。男たちの前で国境はできたり消えたりした。
 供物をのせた祭壇のろうそくを、早春の風が吹き消してしまう。「魂がさまよっているんだ」。李はマイクを握り呼び掛けた。「恨みと歴史が息づくこの地に、私たちはやってきた。友の魂よ、今日は空から降りて来いよ。もうすぐおれたちがそちらへ行くからな」
 李は死んだ会員30人の名を、一人一人読み上げた。連絡できる会員はもう20人に満たない。
 朔風会ができるまでには帰国後41年の歳月を要した。しばらくは徹底した監視下に置かれた。ソ連抑留中に共産主義思想に染まった恐れがあると疑われたからだ。
 戦友と過去を語ることなど、とんでもなかったし、みな家族を養うだけで精いっぱいだった。李も朝鮮戦争に従軍したり、事業に打ち込んだりした。

仲間

 やがて時代が動く。89年、東西を隔てたベルリンの壁が崩壊。90年6月には、韓国の盧泰愚大統領とソ連のゴルバチョフ大統領が、米国で初の首脳会談。9月、韓国は東側の盟主、ソ連と国交を結んだ。
 そんなある日、李の目はテレビにくぎ付けとなった。韓国のロシア語の大家として知られた薫浣(トン・ウァン)が、ロシア語を学んだ理由として、

初めてソ連抑留の過去を打ち明けていた。
 李の中でも壁が崩れた。テレビ局に電話して薫の連絡先を聞き出した。薫は、既に数人の仲間と親睦(しんぼく)会があると教えてくれた。
 指定の喫茶店に行くと、同じ体験をもつ男たちに温かく迎えられた。「朔風会」は韓ソ国交樹立の3カ月後に正式に発足した。もう過去を隠す必要はなくなった。それが何よりうれしかった。
 ソウル在住の黄熙城(ファン・ヒソン)(83)も、同じテレビを見て入会した。戦後はリヤカーに練炭を載せ売り歩いて生計を立てた。長年の無理で足を痛め、歩行が困難だ。
 普段は家にいるが、朔風会の例会が唯一の楽しみだ。「抑留生活がどのようなものかは、体験した人間にしか分からない。通じ合える仲間と話すと安心します」
 思い出話に花を咲かせていた李たちを、日本の元抑留者との交流が変えた。日本の全国抑留者補償協議会は、強制労働への未払い賃金を払うよう日本政府に求めていた。
 李たちも、日本政府に補償と謝罪を求め東京地裁に提訴したが、06年5月に一審敗訴、東京高裁で係争中だ。
 「裁判の見通しは厳しい。戦いを始めるのが遅く、残された時間は少ないが、余生を仲間にささげたい」と李は語った。

編集後記

「韓国の戦友にすまない」 政局混迷、進まぬ救済

 民主党の小沢一郎代表の進退問題に政界が揺れていた2009年3月24日。

シベリア抑留者への政府補償を求め立法化運動をしてきた元抑留者たちが、参議院議員会館の地下食堂で、ささやかな祝杯を挙げていた。
 民主党など野党五党が、元抑留者に25万円から150万円の特別給付金を支給する法案を参院に出したからだ。
 法案に反対する自民・公明政権が倒れなければ、悲願は成らない。平均年齢87歳の元抑留者には、一日一日に重い意味がある。小沢問題による民主党の迷走が歯がゆいが、法案提出は大きな前進だった。
 ただ大きな気掛かりは、日本兵として一緒に抑留された韓国や中国の戦友の救済を、法案が規定していないことだ。
 李炳柱の親友、池田幸一(88)が語る。「法案をつくる時、日本人に限定するか、外国人も救済するかもめた。結局、まず日本人からとなった」
 訪日した李たちに、池田が結論を告げると、彼らの表情がこわばった。李も考え込んでいたが、ようやく口を開いた。「日本の戦友の考えを尊重しようじゃないか。現実的な方法かもしれない」
 「それ以来、李さんに頭が上がらんのです。韓国の戦友には本当にすまない」と池田。韓国の慰霊祭にも駆けつけた。ただ、健康を害した李と一緒に酒が飲めないのがさびしかった。(文 松島芳彦、写真 牧野俊樹、文中敬称略)=2009年4月8日

 「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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慰霊祭に集まった元シベリア抑留者たち。左から3番目が李炳柱会長=2009年2月27日

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