伝統の力で民衆の痛み舞う

根源を探り、現代を表現 たどり着いた「詠歌舞蹈」

 韓国で民主化運動が大きな高揚を示していた1987年6月26日、学生たちが集まったソウル大学のアクロポリス広場に、民俗服を着た小柄な女性舞踏家が登場し、踊りを始めた。その踊りは、やがて、水のように広がり、火のように燃え、学生たちをくぎ付けにした。
 「パラムマジ」(風迎え)と題された踊りは、生命を抑圧するものへ抵抗を訴え、そして、死者を呼び起こし復活させる風となり、観客に大きな衝撃を与えた。踊りが終わると、学生たちは「国民平和大行進」のために大学を出て「独裁打倒」を叫び、激しいデモを繰り広げた。舞踊家はソウル大体育学科教授の李愛珠(イ・エジュ)。現職教授が舞踊で学生たちのデモを激励したと一気に話題になった。
 その後、延世大生、李韓烈(イ・ハンヨル)君が機動隊の催涙弾を受け死亡。7月9日に行われた葬儀でも李愛珠は李君の鎮魂のために舞い、延世大からソウル市庁前まではデモ隊で埋め尽くされ、韓国史上最大規模のデモとなった。後に、李愛珠は「まるで竜巻の真ん中にいたようだった」と回顧した。80年代半ばの民主化運動の現場には、李の姿があり、その舞踊は「時局舞い」といわれ、李は「民主化運動の火花」「民衆舞踊家」とされた。

高句麗壁画

 47年10月、ソウルに生まれた。5歳の時から踊りを始め、伝統舞踊の大家、金宝男(キム・ボナム)(12~64年)の元で舞踊を学んだ。65年にソウル大体育科に入学し、朝鮮の舞踊を整理、体系化した韓成俊(ハン・ソンジュン)(1874~1941年)の孫娘、韓英淑(ハン・ヨンスク)(20~89年)から本格的な伝統舞踊を学んだ。
 体育科を卒業した李は舞踊をさらに学術的に研究しようと再びソウル大文理学部に入学。70年代初めの文理学部では詩人、金芝河(キム・ジハ)、歌手やミュージカルの演出家として著名な金敏基(キム・ミンギ)などが活動していた。「金芝河先輩や多くの友人たちとの交流の中で次第に社会的に目覚めていった」
 74年に「李愛珠チュムパン(踊りの場)」という自らの踊りを集約した公演を行った。韓成俊の伝統と、民衆の痛みを表現しようとする意思を結合したものだった。

 一方で、李愛珠の心をとらえたのが高句麗壁画だった。壁画に描かれている踊りの姿を分析、整理した。「壁画の中に自分の踊りと同質なものを発見して驚き、感動した。踊りの原形がみんなあった」。「高句麗壁画に現れた踊りの復元」などの論文も発表した。
 82年にソウル大体育科の専任講師に。また、李は従軍慰安婦の苦しみを描いた「トラジコッ」(桔梗(ききょう)の花)や社会的公平を訴えた「ナヌムクッ」(分かち合いの舞い)など社会的な問題をテーマにした踊りを相次いで発表した。
 そして、李は87年6月に「パラムマジ」を発表。「その年の1月にはソウル大生の朴鍾哲(パク・ジョンチョル)君が水拷問で亡くなった。友人たちも相次いで連行され、死ぬような気持ちだった。1人でも何かやらなくてはならないとパラムマジを発表した」
 李は88年8月には広島で開かれた原水爆禁止世界大会でも踊り「反核」を訴えた。

プリを探して

 しかし、李はその後、社会的なデモや集会などに姿を見せなくなった。「民主化運動勢力と縁を切ったということではなく、民衆文化運動をやっていくためには、私も根源に向かわなくてはならないと考えた。他人を模倣するのではなく自分自身のプリ(根)を探さなくてはならないと」
 李は踊りの原形を探す中で「詠歌舞蹈」に行き着いた。「長く息を吸い、精神を集中すると五臓からソリ(声)が出る。ウム、ア、オ、イ、ウという音の基本になるソリだ。それを詠じ、これを繰り返すと歌が生まれ、そこから立ち上がり舞いが出る。身体全体が自発的に動き、五臓の機運を受けながら倒れるまで動き、そして自分に戻る。それが『詠歌舞蹈』だ」
 李は自分の踊りを「歴史の魂を受けてそれを広げていくことだ。私は伝統的な踊りを踊りながら、時代の激動期に、最高の時代精神で立ち向かった。だが、再び根源を探らねばと思った。根源的なものを知った時に、もっと現代を表現できる。本当にすばらしい伝統は時代を超越する」と語った。

僧舞を継承した人間文化財

「生」を踊りで表現

 李愛珠は韓国を代表する民俗舞踊「僧舞(スンム)」の継承者として認められた人間文化財だ。
 僧舞は長い袖の白い僧衣に、白い頭巾を着て踊る。素材は仏教的だが、民衆の間で踊られ、人々の哀歓や煩悩を表現した舞踊だ。
 地域によって形式や構成が異なり、いくつかの系譜がある。20世紀の初めに、即興的な形式で踊られてきた僧舞の動作を集大成し、体系化したのが韓成俊だ。孫娘の韓英淑がこれを継承した。
 僧舞は国が指定する重要無形文化財第27号で、李愛珠は1996年12月に僧舞芸能保有者として認定を受け、韓成俊―韓英淑の継承者として正式に認められた。
 李愛珠は「何十年も踊っていると、僧舞は民族の生を表す踊りであり、その動作自体が生命の哲学であることが分かってきた。動作だけを学ぶのではなく、その中に含まれた根源的なものに入っていかねばならない。踊りの中に宇宙や生命の哲学などすべてのものが含まれている」と語る。
 李は「踊りを研究する中で過去の文化や精神にさかのぼり勉強する必要性を感じた」と語る。東洋哲学の「周易」を学び始め、2007年から09年まで韓国精神科学学会の会長まで務めた。
 李は「私は公演をするために踊る人間ではない。舞台で踊るのは一部にすぎず、生を踊りで表現する人間だ」と自らの思いを語った。(文 平井久志、文中敬称略)=2011年09月28日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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機動隊の催涙弾を受け死亡した延世大生、李韓烈君の葬儀が行われたソウルの延世大で、鎮魂のために舞う李愛珠=1987年7月9日(李愛珠氏提供)

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