手こぎカヤックで漁民調査

ルソン島―高知3千キロ 5年がかり、還暦の夢

 「手こぎの舟で黒潮の流れをたどり、そこに住む人々が黒潮からどんな恵みやリスクを受けているのか、を調べたい」。南国の太陽の光がキラキラと海に降り注ぐフィリピン・ルソン島南東部の街インファンタ。高知大教授、山岡耕作(やまおか・こうさく)(62)は真っ黒に日焼けした顔で熱く語る。
 山岡とシーカヤック冒険家八幡暁(やはた・さとる)(36)ら4人は今年5月、2人乗りの手こぎシーカヤック2隻に分乗し、13日間をかけて約250キロをこぎ、島々の漁村を訪ねた。
 5年がかりで、フィリピンの黒潮の源流から台湾、沖縄を経て高知県足摺岬まで約3千キロを手こぎで航海し、漁民の意識調査を行う研究プロジェクトの2年目。昨年5~6月はスタート地点タバコから21日をかけて約300キロをこいだ。

高い幸福度

 「昨年は精神的、肉体的にへとへとだったが、今年は大丈夫。天候もよく、カヤックにもだいぶ慣れた」。山岡は高知まで全航程の6分の1を2年間でこぎきった喜びを静かにかみしめていた。
 この壮大なプロジェクトを思いついたのは、八幡が4年前にフィリピン―台湾約700キロの単独航海に成功した、との新聞記事を読んだのがきっかけ。「そんなことができるのかと驚いた」
 すぐにメールを打ち、沖縄・石垣島でエコツアー店を経営する八幡を訪ね、協力を求めた。八幡は最初、玄関口に立った白髪の山岡が年老いて見えてびっくりしたが、研究の趣旨に共感し、協力を決め、シーカヤックの指導を始めた。
 「地元の漁民と同じ手こぎの舟で訪ねれば、みんな心を開いて話してくれるだろう。ガソリンは必要なく、環境にもやさしい」。漁民への聞き取り調査により、黒潮流域の海と漁民の関係を調べたい。研究は黒潮の恩恵を受ける日本での「持続型社会の構築」にも役立つはずだと、山岡は考えた。
 この2年間の調査は驚きと感動の連続だった。期待した通り、漁民たちはモーターボートではなく、手こぎ舟でやってきた日本人研究者たちを温かく迎えてくれた。「飯を食え、ヤシ酒を飲め、泊まっていけ、とほんとうに親切だった」

 美しいサンゴ礁に囲まれ、ヤシが茂る自然豊かな島々。漁村には電気はなく、薪や炭の火で料理する。昔と変わらない自給自足の生活。毎月の現金収入は500ペソ(1000円)~1000ペソと極めて貧しい。
 アンケートで漁法や収入、幸福度などを聞いた。89%の漁民が「幸せ」と答えた。日本には「幸せな人」がこんなにいるだろうか。貧しいが自然と一体になった暮らしの「幸福」と、豊かだがストレスの大きい先進社会の「不幸」のコントラストに思い至った。

ルネサンス

 学生のころ、ダイビング部に所属。初めて潜った沖縄・座間味の海の美しさに魅せられ「一生こんな海に潜れたら」と魚類生態学の道に進んだ。その後40年間、魚の捕食や縄張りの研究に没頭したが、研究の対象に「人」は入っていなかった。
 「還暦を迎え、このまま同じ研究を続けるのもおもしろくない。魚と人のかかわりを調べたい」と思った。7年前、高知大大学院に文理融合型の黒潮圏海洋科学研究科が新設され、配属された。プロジェクトで新しい学問分野の存在をアピールできるとも考えた。
 「日本は黒潮の恵みの国。黒潮のおかげで魚が豊富だし、雨もよく降りお米が育つ。ところが日本人はそのありがたさを分かっていない。黒潮の恵みを再認識できれば、東日本大震災後の日本再生にも役立つと思う」
 来年の第3区間はルソン島北部で、黒潮が本格的に動き始める難所。その先は八幡も苦戦したフィリピン―台湾間のバシー海峡。山岡は伴走船を付けてでも、自分の両腕でパドルを動かし、足摺岬を目指す考えだ。
 「60歳からの私のルネサンス。残り少ない体力で、うまく花を咲かせられたら…。さらにカヤックの練習を積んで技術力を高め、持久力も付けたい」。最初は心配して猛反対だった妻さつき(63)も今年は「行ってらっしゃい」と笑顔で見送ってくれた。

海の男同士が意気投合

現代の効率主義に反発

 黒潮源流域の調査は、発案した山岡耕作とシーカヤックの名手八幡暁の出会いがあったからこそ実現した。親子ほど年の離れた2人だが、「海好き」と現代社会の「効率至上主義への反発」で意気投合した。山岡は八幡の「人間力」を絶賛、八幡は山岡を「すばらしい教育者」と尊敬する。
 八幡はこれまでフィリピンやインドネシアで、シーカヤックの単独航海を何度も経験している。「自分一人で未知の世界へ入っていく。すごい人間力だ。彼のような人は、私の周りにはいなかった」と山岡。
 昨年、山岡はこれまでの調査と同様に、フィリピンの大学の紹介状を村長に見せて漁民調査をしようとした。「せっかく手こぎで行っているのに、お上の威光をちらつかせては台無し」と八幡はずばりと意見した。山岡は「もっともだ」とやり方を改めた。
 山岡は手こぎカヤックによる調査を「効率至上主義へのアンチテーゼだ」という。「経済力で中国に抜かれたと騒いでいるが、たいしたことではない。日本は自らの独自性を見直すべきだ」
 一緒にカヤックをこぐ教え子の大学院生へのまなざしもおおらか。「遊びやゆとり」を大切にして育てる。八幡は「そんな先生だから協力しようと思った」と語った。
 ただ、山岡のカヤック技術については「来年は難所なので、猛練習が必要だ。命にかかわりますから」と手厳しい。(文 森保裕、写真 村山幸親、文中敬称略)=2011年07月13日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

secondpicture

フィリピン・ルソン島南東部インファンタの海岸で、約250キロにわたる沿岸漁村の調査を終えて苦労をねぎらい合う山岡(右)と八幡。将来の計画に向け2人の話は尽きない

つぶやく フィリピンについて