「死の灰」の記憶語り継ぐ

ロンゲラップ元住民の今  失われた故郷へ帰島計画も

 東の空が白み始めたころだった。1954年3月1日の午前6時ごろ。マーシャル諸島のロンゲラップ環礁で、当時13歳だったレメヨ・アボンは、いとこで一つ年下のハルコと一緒に家の前でコメを炊いていた。レメヨの家が島の学校給食を用意する当番の日だった。
 釜の下で燃えるヤシ殻を少女2人が見つめていると、西の空がピカッと光り、突然、昼間のように明るくなった。
 「太陽よりも大きなオレンジ色の火の玉が海の上にあった。赤、緑、黄色の光も見え、すごくきれいだった。ハルコが私に聞いたよ。『ねえ、どうして西からこんな太陽が昇るの?』って」
 数分後、「グォーン」という雷のような音と突風が浜辺を襲った。風は肩まであったレメヨの髪を真後ろに舞い上げ、ヤシで造られた古い建物を何軒かなぎ倒した。
 「風は熱かった。ハルコと2人で『熱い、熱い!』と叫んだ。首筋がひりひりした。気が付くとやけどをしていた」
 駆け戻った家の前では「何が起きたんだ」と大人たちが声を張り上げていた。当時、レメヨは村長だったおじのジョン・アンジャイン一家、両親、妹の計9人と同じ家で暮らしていた。
 風がやみ、火の玉が雲に変わったころ、レメヨは炊いたコメをハルコと一緒に学校へ運んだ。
 その途中、白い粉が空から降ってきた。粉は髪から足まで全身にくっついた。海に落ちた粉は海水を黄色く染めた。地面には1センチ以上積もった。
 「これは薬なのかも」。レメヨはふとそう思い、粉をなめてみたが、味もにおいもしなかった。
 その夜、彼女を急性症状が襲う。「体中がかゆくて眠れなかった。頭痛と下痢にも苦しんだ」

水爆「ブラボー」

 今年、71歳になるレメヨはロンゲラップ環礁から約500キロ南のマーシャル諸島の首都マジュロに暮らす。彼女が見た火の玉の正体は米史上最大の水爆「ブラボー」。その「死の灰」を浴びたロンゲラップ環礁の住民86人(胎児4人を含む)のうち、今も生きている「被ばく1世」は彼女を含めて二十数人になった。
 同環礁の住民は実験の2日後、米駆逐艦で避難したが、3年後に米国が「安全宣言」を出したため環礁に戻った。レメヨは高校を卒業後、短大の集中講義を受けて島の教師になった。30歳で結婚、8人の子を産んだ。
 だが、54年当時、レメヨと同じ家にいたいとこのレコジが白血病となり、72年に19歳で死んだ。

 彼だけではなかった。ロンゲラップ住民の健康状態を調査した米原子力委員会の「コナード報告」によると、被ばく後15年間だけで86人中16人が死亡した。当時のマーシャル諸島全体の平均死亡率の約1・5倍の数字だ。うち3人の死因はがんだった。
 被ばく時に10歳以下だった19人は1人を除いて残り全員が甲状腺障害を発症。流産や死産を経験する妊婦も急増した。
 このため住民は85年、「子どもたちの未来のため」と決断し、全員がロンゲラップ環礁から去り、クエゼリン環礁やマジュロへ移住した。

魚を手づかみで

 レメヨは故郷の生活を懐かしむ。「マジュロではどのヤシの木にも持ち主がいる。でも、ロンゲラップではヤシもパンの実もみな自由に取れた。サンゴ礁では引き潮に乗り遅れた魚を手づかみで捕ることができた」
 その「失われた故郷」への帰島計画が再び持ち上がっている。
 「今行っている汚染土除去とインフラ整備が済み次第、希望者には帰島を呼び掛けたい」。ロンゲラップ環礁元住民らの自治体の首長ジェームズ・マタヨシはそう話す。 沖縄出身の祖父を持つ日系3世で「被ばく2世」のマタヨシによると、同環礁での外部被ばく放射線量は「8年前の米国の調査で毎時0・125~0・25マイクロシーベルト。その後の中立的な機関の調査でもさらに下がっている」。
 しかし、レメヨは首を振った。「これまで何度も米国にうそをつかれてきたから簡単には信じられない。帰島の日を思うだけで涙が出てくるけれど、私はもういい。若い世代に託したい」
 レメヨの言葉を伝えると、マタヨシはうなずきつつ、胸の内を明かした。「補償金頼みの生活から抜け出し、故郷で未来を探る時が訪れつつあるんだ」。第1陣が故郷に向かうのは、早ければ来年末になる。

「恩恵」と語られる犠牲

補償金依存が暮らし変える

 マーシャル諸島は1914年から日本の統治下に置かれたが、太平洋戦争中の45年に米軍が占領、47年からの米信託統治を経て86年に独立した。
 米国は同諸島北部の環礁で46年から58年まで核実験を計67回実施。54年3月のビキニ環礁での水爆「ブラボー」実験では、第五福竜丸など日本漁船の乗組員も被ばくした。
 米国は86年の協定に基づき、1億5千万ドルを核補償基金として拠出。基金は住民の健康管理事業、がん発症時の補償金などに当てられたが、既に底を付き、マーシャル諸島は米国に追加の補償を求めている。
 同諸島内務省のアバッカ・アンジャインは「若年者のがん発症が多いなど健康被害は今も続いている」と指摘する。
 一方、アバッカによると、核汚染地から移住し、補償金を頼りにせざるを得ない生活は「自給自足的な暮らしから人々を切り離し、国全体に拝金主義をもたらした」。
 現在もビキニ、ロンゲラップなど北部4環礁の元住民と配偶者、その直系子孫には3カ月に一度、一人75ドルが支払われているが「これをうらやむ他地域の住民も多く、犠牲が恩恵のように語られる」(アバッカ)。(文 石山永一郎、写真 村山幸親、文中敬称略)=2011年06月29日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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マーシャル諸島の首都マジュロの海岸でバスケットボールに興じる子どもたち。核実験は美しい島々の土地に「死の灰」を降らせた

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