民主化へ情報公開迫る

メラミン事件に強い憤り  東京の法律事務所で研修

 北京五輪の興奮冷めやらぬ昨年9月。中国はお祭りムードから一転、パニックに陥った。有害物質メラミンによる粉ミルク汚染が各地で発覚。乳幼児約30万人が腎臓結石などにかかり、少なくとも6人が死亡、子どもを抱えた親が青ざめた顔で病院に殺到した。
 腹黒い業者が水で薄めた牛乳のタンパク質を多く見せかけるためメラミンを混ぜた。監督当局も粉ミルクが疑わしいとの情報を得ながら手を打たなかった。
 「拝金主義が引き起こした殺人事件だ」。上海市の弁護士、厳義明(45)は強い憤りを覚えた。急速な市場経済化の中で、利益のためなら消費者の命を犠牲にしても構わないと考える不心得者も現れ、モラルが失われた。
 「食の安全」管理の甘さも問題と考えた厳は、再発防止のため監督当局の責任追及を決意。5月に施行された情報公開条例を盾に9月下旬、製品検査の実態を明らかにするよう迫った。
 だが、返ってきたのは「原因は調査中」など責任をあいまいにしようという官僚的答えだった。
 「時間をかけて粘り強くやるしかない」。共産党一党独裁下にある巨大な官僚組織相手の孤独な戦い。負けん気が強く、中学、高校時代、ボクシングで自分を鍛えた熱血漢は“第2ラウンド”に備えることにした。

職人かたぎ

 多数の死者を出した大規模な政治運動、文化大革命を子どものころに体験。「人間の権利や自由を尊重しない社会は危ない」と感じ、権利が守られる公正な社会づくりに尽くそうと大学で憲法や民法を勉強した。
 卒業翌年の1989年4月、経済大国、日本がどうやって発展したのか理解しようと留学し、東京暮らしを始めた。「ルールを守る秩序ある国」。そう感じた。
 約2カ月後、祖国で起きた天安門事件。武力による民主化運動弾圧という悲劇的結末をテレビで知った厳は「中国社会を良くするにはどうすればいいのか」と苦悩した。
 運送会社で徹夜のアルバイトをしながら日本語学校に通う日々。頑張りすぎて十二指腸潰瘍(かいよう)や腎臓結石になり、治療費が払えず、借金を抱えた。
 返済のため、マイナス60度の冷凍倉庫でも働いた。さまざまな労働現場で目にしたのは「職人かたぎ」ともいえる日本人のきまじめな仕事ぶりだった。厳は「美徳」として心に刻んだ。
 約4年間の日本生活を終えて中国に戻った後、弁護士に。海外研修制度の試験にも合格、98年2月から半年間、東京の法律事務所で研さんを積んだ。  

庶民の目線で

 帰国した厳を待っていたのは、粉飾決算や資金流用など市場経済のルールを無視し、ずさんな経営をしていた悪徳企業との戦いだった。
 不正発覚による株価下落で損をした力の弱い個人株主を救うため、企業側に損害賠償を求める訴えを提起。賠償金を勝ち取ったが「弱い株主の権利を守る訴訟を定着させるのが目的だから」と報酬は受け取らなかった。
 その後も、訴訟から手を引くよう圧力を受けたり、名誉棄損で訴えられたりもしたが、庶民の目線に立ち、不正を追及し続けた。
 「2年前までは春節(旧正月)も返上して働きづめ、家では寝るだけ。妻と幼い息子からはブーブー言われた」
 仕事にのめり込んできた厳が新たな目標にしたのが「民主化の基礎」である情報公開だった。メラミン事件での挫折にめげず、今年1月、再び“リング”に立った。
 今度の標的はまん延する「官僚腐敗」。金融危機を受けた景気刺激策に使う税金が官僚に着服される恐れがあると危機感を抱き、使い道など詳細を公にするよう担当当局に求めた。
 厳に触発され、同様の公開請求をした北京市の弁護士、楊慧文(36)は「社会の進歩のため、後押しすることにした」。インターネット上にも厳を支持する意見が多く書き込まれ、温家宝首相は「(景気刺激策の中身は)すべて公開する」と異例の約束をせざるを得なくなった。「職人かたぎ」の一弁護士の地道な取り組みが影響力を広げ、ゆっくりとだが、国を民主化へ動かしつつある。

編集後記

正面衝突避けこつこつと 強まる市民の権利意識

「口で民主化を唱えるだけでは社会に変化は起きない。

法律を使ってできる仕事をこつこつやることが大事」。情報公開条例を積極活用し「政治の透明化」を促す厳義明は、民主化には地に足の着いた実務的な行動が不可欠と力説する。
 昨年12月、著名な作家や弁護士らが、共産党一党独裁体制廃止や三権分立など政治体制の民主化を求める「〇八憲章」をインターネット上で発表した。しかし、規制に阻まれ、間もなく閲覧不能になり、影響力は限定的なものにとどまった。
 天安門事件から20年の今年、民主化要求の動きが一層厳しく取り締まられるのは確実。当局との「正面衝突」を避け、今ある制度の中で、社会を進歩させる方法を慎重に探るというのが厳のアプローチだ。
 変化の兆しもある。温家宝首相はこのほどネットを通じた市民との対話で「政務の公開と政策決定面での民主化を推進する必要がある」と表明、市民の「知る権利」を尊重する意向を示した。
 背景には、経済発展やネットの普及に伴う情報量の増加で市民の権利意識が強まっている現実がある。市民がネット上で当局の不正を告発するケースも目立っている。
 温首相の言葉が不満のガス抜きの「ポーズ」ではなく、実行に移されれば、市民の意識を一層向上させ、さらなる改革を求めるうねりが生まれる可能性もある。(文 渡辺和昭、写真 京極恒太、文中敬称略)=2009年3月25日配信

 「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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2008年9月、メラミンによる粉ミルク汚染が発覚。腎臓結石が見つかった子どもの治療のため、病院で手続きを待つ親たち=中国・重慶市

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