映画を通じて現実参加を

ベトナム戦終結で俳優へ 生活は平凡に映画は特別に

 1980年代からの韓国映画になくてはならない俳優が安聖基(アン・ソンギ)(59)だ。出演作品を見ただけで、それは韓国映画史だ。それで、韓国の人々はいつしか安を「国民俳優」と呼ぶようになった。
 52年1月1日、朝鮮戦争(50〜53年)中に避難した大邱(テグ)で生まれた。5歳の時に偶然に監督の目にとまり「黄昏列車」(57年)に出演。
 演技が評判になり58年には6本、59年には8本の映画に出演するなど一躍、有名子役に。「授業中に撮影に連れ出しに来ると先生が行きなさいと言った。私は『そろそろ来るかな』と気持ちが落ち着きませんでした」と当時を振り返る。中学までに約50本の映画に出演したが、高校になると勉強に没頭した。
 大学はフランス語学科へ行きたかったが「自分の実力で入れて一番躍動的なところ」と考え、70年に韓国外国語大ベトナム語学科に入学した。
 当時、韓国はベトナムに派兵中だった。「まず行こう、そこに何かがあるかも知れないと思った。進出企業へ就職できないかとも考えた。ジャングルの中に入って戦闘する考えはなかったけれど。戦争が続いていれば行っていたと思います」

有益だった軍生活

 74年に大学を卒業し、予備役将校訓練課程(ROTC)第12期生として砲兵部隊の観測将校として軍に服務。「普通は軍隊へ行くとそれは捨てる時間だと考えるが、私は肯定的でした。中部戦線の鉄原(チョロン)の北方に6カ月勤務したが、文庫本を大量に持っていって世界の名作とかを読みまくりました。ギターを持ち込み練習し、作曲もしました」
 76年に中尉で除隊となったが、ベトナム戦争は終わっていた。「前方戦線勤務をしている間に戦争が終わってしまった。それが映画俳優に戻るきっかけになりました」
 約10年の空白を経て映画に復帰した。「空白が私には助けになりました。子役が成人になると昔のイメージを超えるのが大変です。世の中が私を忘れる時間があったので、私を新人として迎えてくれた」「俳優だけをやっていれば、多様な考えを持つことができなかった。平凡なところからすべてが始まると思いますが、その平凡さを探し出したということが、私が再び俳優をやる上で大きな助けになりました」
 79年10月に朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が暗殺された。80年に入り「ソウルの春」と呼ばれた民主化、同年5月の光州事件を経た後の11月に李長鎬(イ・チャンホ)監督の「風吹く良き日」が公開され、安は俳優としての評価を得た。

 「この作品は私個人だけではなく韓国の映画史において意味がある作品です。文学に比べ映画は製作に直接的な制約を受けます。映画がすべてを見せれば、その社会がそこまで来たということです。『風吹く良き日』は貧富の格差や社会問題を扱い『そこまで可能なんだ』という希望を与えた作品です」

尊敬受ける映画を

 この作品で助監督を務めた/ハイ/昶浩(ペ・チャンホ)監督と84年に「鯨とり」を撮り、これも大ヒットし、安の地位を確固としたものに。「本当に楽しくつくりました。80年代は/ハイ/監督とずっと寝起きをともにするような生活をして息も合ってました。雑然としたソウルを脱出して田舎へ行くロードムービーで撮影も旅行に出る気分でやりました」
 安はその後も、韓国内のパルチザンを描いた「南部軍」やベトナム戦争を描いた「ホワイト・バッジ」など社会性の強い作品に出演した。「映画を通じて現実参加をしていかなければならないと考えています。映画を始めた70年代末は映画に対する人々の認識はあまりよいものではありませんでした。私が一生を掛ける映画を、少なくとも人々の尊敬を受けるようなものに変えなくてはと思いました」
 ベッドシーンやキスシーンは苦手。「恥ずかしがり屋なんです。私のキャラクターはエロチシズムとは不釣り合いだと人々も感じるようになりました」
 国民俳優と呼ばれることに対して「今となっては『そうかなあ』という感じです。国民俳優にふさわしくやれということだと思い、それを受け入れようと思っています」。スキャンダルはまったくなく、人柄は謙虚だ。「生活は平凡でなければならないし、映画は特別でなければならないと思っています」

苦痛を分かち合いたい

被災地へビデオレター

 安聖基(アン・ソンギ)は東日本大震災が起きると被災地を励ますビデオレターを送った。被災地の劇場に届けられ、映画ファンを励ました。「今回のことは国や言葉とかすべてを超越し、想像を超える被害でした。真っ黒な水が街をのみ込む姿はすさまじいものでした。すぐ横にいる隣人に起きた大惨事は、本当に他人ごとではなく、われわれの心に突き刺さる苦痛でした」
 ビデオレターを送った理由を「苦痛というものはお互いが分かち合うことで、少しは軽減されるものではないでしょうか。せめて、言葉であっても、苦痛を分かち合うことができればありがたいと思いました」と語った。
 韓国人の多くは「良い暮らしをしている日本人」と思っていたが、大惨事を見て心の底から支援の声が上がったという。
 「それは間違いありません。物質的に日本人は恵まれているかも知れませんが、今回は、多くの韓国人が心をともにして苦痛を分かち合わねばと思いました」
 安は「韓国人は感情表現が豊かです。日本人の自分を節制し、すべてを甘受し、落ち着きながら乗り越えて行こうという姿は学ぶべき点が本当に多く、また別の感銘を与えました」と被災者の姿勢をたたえた。
 安は1996年に公開された小栗康平監督の「眠る男」に主演した。「小栗監督ともう一回やりたい。でも、監督は完璧主義者だから、私が日本語が下手な役じゃないとだめですね」と笑った。(文 平井久志、写真 金民熙、文中敬称略)=2011年06月15日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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1984年に公開された映画「鯨とり」でインテリのこじきミヌ役を演じる安聖基。左は大学生役を演じた金秀哲(「太秦」提供)

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