ともに「悟り」目指す

宣教師の長男、仏の道に 縁が日米を結び付ける

 パイプ椅子を丸く並べた静かな講堂に、落ち着いた声が響く。「仏教ではだれもがブッダと同じように悟りを開けると考える。それがキリスト教との違いの一つなんだ」。195センチ、70キロのひょろりとした体に青みを帯びた瞳。特注の僧衣がよく似合う。
 米ロサンゼルス・リトルトーキョーの禅宗寺で木曜日の夜に開かれる「スタディーグループ(勉強会)」。米国人が大半の参加者は、次々と率直な疑問をぶつける。
 「禅では『始まりも終わりもない』と言うけれど、最初は何かあったでしょう」「悟ったと思うのが錯覚なの?」。教える立場のルメー大岳(だいがく)(60)は時折、「うーん、そうだな…」とうなって考え込む。「私も全部の答えを知っているわけじゃないんだ。オーケー、今日は話はここまでにして、ザゼンをしようか」
 大岳は米国人の禅僧だ。日本での修行を経て昨年4月、曹洞宗を広める北米国際布教総監部の総監に就任した。55人の禅僧を束ねる北米の総監も、1938年建立の禅宗寺の責任者も、日本人以外の僧が務めるのは初めて。禅に興味を持つ人々を指導する日々だ。

葛藤の末に

 アイオワ州のキリスト教宣教師の長男として生まれ、両親の布教のため11歳で日本に渡った。
 東京都内のインターナショナルスクールに通ううち、日本文化への興味が芽生えた。初詣で訪れた、森に包まれた明治神宮。京都への修学旅行では、神秘が漂う石庭や修行に打ち込む僧侶たちに目を奪われた。
 やがて思春期に、両親の考え方への疑問が膨らむ。「洗練された文化と調和がある日本に、異なる宗教は必要なのか」。さらに、どうしても大義が見いだせないベトナム戦争、黒人差別と闘ったキング牧師の暗殺—。祖国への疑問も大きくなる一方だった。
 帰国して大学で歴史を学んだが、卒業後も葛藤が続く。打ち込めそうな仕事が見つからない。それなら、争いや差別のない理想郷を自分でつくろう。アルバイトでためた千ドル程度の現金を手にカリブ海の島を目指した。

 この旅で偶然バッグに詰め込んだ本が人生を変える。「禅へのいざない」。禅の海外指導の草分け的存在の日本人僧侶が出版したばかりだった。
 求めるべきは理想郷ではなく、おそらくここに書かれた「悟り」だ。修学旅行で見た美しい寺のたたずまいや修行僧のひた向きな姿勢は、ここから来たのか。「これも縁だと思う」。23歳で再び日本の土を踏んだ。
 76年、外国人の修行を受け入れていた福井県小浜市の発心寺の門をたたいた。座禅、読経、掃除やまき割り、また座禅という修行の毎日。冬にはあかぎれで手に血がにじんだ。つらかったが、次第に「悟り」に近づくには合理的な生活だと感じ始めた。78年に得度。「大岳」の名を授かった。
 2003年、サンフランシスコで禅を指導することになり、初めて発心寺を離れた。この寺で27年の修行期間は外国人僧侶としては最長で、より長く修行したのは日本人でも1人しかいない。

未熟さ認め

 「只管打坐(しかんたざ)」。ひたすら座禅に徹することで悟りに近づくという曹洞宗の教えは、仏教の中でも特に厳しい面を持つ。自己主張の塊のような米国人に理解してもらうのは簡単ではない。
 大岳は勉強会の参加者と車座になって座り、話し合いながら教える。「分からない」。「私もまだ、悟っていないから」。時には自分の未熟さもためらわず認める。
 線香の香りが漂う禅堂で、30分間の座禅が終わった。今年から勉強会に通い始めた著述業のケビン・クラスト(48)は晴れやかな表情だ。「禅の教えはなかなか理解できない。特に言葉で説明しようとするとうまくいかない。ただ、大岳と会って、座禅で言葉を忘れようと努めると、少し近づいた気持ちになる」
 大岳は自分のやり方に手応えを感じ始めている。
 修行の邪魔になると考えて遠ざけてきた大好きな音楽を、最近は楽しむ余裕が出てきた。ボブ・ディランを聞きながらの書道が毎朝の日課だ。高齢の日系人信者との懇親会ではマイクを握って美川憲一の「新潟ブルース」を歌う。「歌うと仲良くなれるんですよ」。いたずらっぽく笑った。

米国にあふれる「ゼン」

60年代から一気に広まる

 米国では至る所で「ゼン」を目にする。真剣に学ぼうとする人々が座禅などを体験できる施設や禅寺は全米各地に広がっているほか、語感がいいこともあり、書籍のタイトルから商品の名称にまで多用される。「リラックス」「癒やし」などを連想させる言葉として使われているようだ。
 米国では20世紀初めからカリフォルニア州やハワイ州に仏教寺院が建立された。日本人移民の心のよりどころという性格だったが、1950〜60年代、米国で増えたヒッピーの若者たちの間で禅が注目され始める。
 曹洞宗の僧侶、鈴木俊隆(しゅんりゅう)は英語で「禅へのいざない」を出版、62年にはサンフランシスコに「禅センター」を開設。現在、こうした施設は「おそらく全米に200から300。小さな座禅会を含めたら数え切れない」(ルメー大岳)。
 ただ、興味を持つ人の間でも、しばしば座禅が単なる瞑想(めいそう)と混同されるなど誤解もある。禅の関連情報を集めたサイト「スウィーピング・ゼン」の編集者アダム・テビーは「仏教の教えとは知らずに座禅に取り組む米国人は多い」と解説する。
 日本人の感覚では理解しがたい使われ方も。メロンのリキュールのカクテルに付けられた名前は「ゼンの夢」、あるアジア料理のレストランは「ゼン・ビュッフェ」を名乗る。緑茶成分入りの炭酸飲料水「ゼンマスター」の広告は「古代の僧侶は瞑想前、気持ちを落ち着けるために緑茶を飲んだ」とうたう。(文 本蔵一茂、写真 鍋島明子、文中敬称略)=2011年06月01日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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米ロサンゼルス・リトルトーキョーの禅宗寺で座禅を組む大岳。米国人に、座禅が単なる瞑想とは異なることを教えるのは難しい、という

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