広場取り戻した誇り

「わたしも歴史の一部に」 責任背負い、明日へ

 「頭を上げろ。おまえはエジプト人だ」。数十万の人波に勝利の歌がこだました。催涙弾や火炎瓶が飛び交った「戦場」に花火が舞う。赤、白、黒の三色旗がはためくエジプトの首都カイロのタハリール広場。約30年間続いたムバラク独裁政権が大規模デモで崩壊した2月11日の夜を、ガーダ・アブド(27)は忘れない。
 「こんな幸せな日に、どうして泣くの?」。友達の言葉で涙がさらにあふれた。もう誰も、うつむいて歩く必要はないんだ。「今日からエジプトはわたしたちのもの」。携帯電話にどこからかの誇らしげなメールが届いた。

東京育ち

 父が東大の留学生。家族で10歳まで東京都調布市で過ごした。「心は日本人になって」戻った北部ザガジグはカイロから車で2時間、ごみばかりの灰色の街だった。イスラム教に厳格な両親や教師に囲まれ、中学校ではノートにハートマークを書いただけで「不良少女」扱いされる。この国が嫌いだった。
 大学の英文学科を卒業後、自由を求めて紅海沿岸のリゾートで働いた。海と砂漠以外、何もないホテル暮らし。体調を崩して昨年秋にザガジグに帰郷したが、仕事も見つからず、10歳年上の夫とは離婚。「何がしたいかさえ分からない」。どん底だった1月25日、18日間の「エジプト市民革命」が始まった。
 「民衆の望みは政権打倒!」。カイロで、北部アレクサンドリアで、全国で人々が叫びながら治安部隊と衝突した。政治に無関心だったが、インターネットの交流サイト「フェイスブック」を通じ、鎮圧で多くの人が殺されたのを知った。
 「街には秘密警察が潜み、努力して探しても仕事がない。みんなが苦しみを抱えている。私だけの問題じゃない」。29日、生まれて初めてザガジグでデモに加わった。知らない人と手をつなぎ、声を張り上げた。「何て気持ちがいいんだろう」

 2月3日、家族の反対を押し切り、全財産1500エジプト・ポンド(約2万円)を手に、宿泊先も決まらないままカイロ行きのバスに飛び乗った。目的地はアラビア語で「解放」を意味するタハリール広場。大統領支持派がラクダや馬でデモ隊を襲撃、多数の死傷者を出した「ラクダの戦い」の翌日だった。

つながる

 戦車が展開する広場は人々であふれ、「解放区」となっていた。昼はデモをして配給のサンドイッチを食べ、夜は男性と一緒に路上やテントで寝た。セクハラはエジプトでは日常的だが、広場では一度も受けなかった。人生初の野宿。「どこに泊まっているんだ」。父からの電話に答えたら、怒って切られた。
 襲撃で負傷し包帯を巻いた人があちこちに。「また襲われる」と言われていたが、怖くなかった。大学生、お金持ち、ホームレス。薄い毛布で寒さに震えながら、出会ったことのない人と話をした。「何千年のエジプトの歴史で市民が初めて声を上げた。わたしも歴史の一部になりたかった」
 政権崩壊の瞬間。広場からどよめきが聞こえた。「うそ、うそ?」と叫んでいると、ひげを生やしたイスラム原理主義者の男性と目が合った。若い女性を批判ばかりする原理主義者。戸惑っていたら、笑顔でピースサインを送ってくれた。勝利の実感がわいた。
 政権が崩壊し、「冬」が終わった広場には交通渋滞が戻り、車のクラクションが響く。当時の熱狂を示すものは「革命記念」のシールを売る屋台ぐらいだ。「あの時の広場は幻の国だったのかも」。ガーダは笑った。近くの友人宅に泊まりながら、最近、通訳の仕事を見つけた。
 エジプトはムバラク氏の支持基盤だった軍の暫定統治に変わった。次の選挙まで本当に国が変わるのか分からない。「でも政権崩壊の翌日から、みんな街の掃除を始めた。これからは通りの汚れも国の責任にできない」
 「革命前、私は何もなかった。今は誇りを持って歩くことができる。周りと一体感を感じる。この国が大好きになった」。そして、力強く付け加えた。「これって奇跡ですね」

アラブの主役、若者に

「改革」途上、デモやまず

 チュニジア、エジプトの独裁政権崩壊の原動力となったのは、インターネットとカメラ付き携帯電話を自在に操るガーダのようなアラブの若者たちだ。米誌タイムによると、中東・北アフリカの人口のうち約6割が30歳未満。民主主義や自由といったグローバルな価値観を求める若者らがアラブ世界の主役に躍り出た。
 エジプトでは大統領の任期短縮を含む憲法改正案が国民投票により77%の賛成多数で承認され、軍主導による民主化プロセスが進んでいる。
 ただ、政治犯の釈放や旧政権高官らの拘束などを求める市民がデモを継続、改革はいまだ途上にある。
 タイムなどによると、エジプトの人口約8300万人のうち、30歳未満は61%。うち37%は無職で通学もしておらず、いわば「ニート」。若者の半数は毎日、ネットに触れているとされ、エジプトのフェイスブック利用者は約400万人。アラブ諸国では最も多いといわれる。
 エジプトのデモには、「ムバラク打倒」で一致した左派勢力や穏健派イスラム原理主義組織ムスリム同胞団なども参加した。同胞団は大統領支持派との衝突で最前線に立ったほか、診療所を設けるなどしてデモを支援した。普段、サッカーの試合で暴動を起こす「フーリガン」らも、治安部隊との衝突で活躍したという。(文 高山裕康、写真 原田浩司、文中敬称略) 

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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東京都調布市内の小学校に通っていた1990年、遠足で写真に納まる6歳のガーダ(右端)。「日本での思い出は楽しいものばかり。日本が祖国だと信じていました。女性が不自由な思いをするエジプトがまったく好きになれず、日本に帰ることばかりを考えていました」という

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